第 3 節 中国態度の転換
1. 総署態度の転換
前節で述べた通り、柳原が既に 9 月 16 日に中日仮条約を成林に渡したが、
成林がそれについて何の処置も取っていなかったことが窺える。成林は 9 月 19 日に総署より柳原宛の「大信不約」という返信をもらったら、それが柳原 らの意と異なっていることを知り、総署の返信をそのままに置きながら、柳原 より渡されてきた仮条約を 9 月 20 日に総署へ上達し、さらに李鴻章を訪れて、
柳原の件について李鴻章と商議した。李鴻章は当時以下のように成林に述べた。
…(上略),據少筌揆帥云:日本求約之意,已非一日。中國與泰西所立各約,
該國早已爛熟於胸,是以柳原等來津未久即呈約底,非宿構焉能如此之速?…
(中略)…。但該使既先將約底送來,是其意在必行,已可概見,恐非片言所 能阻止。又如西洋各小國來華定約,倚英法為呵護,來者不拒,勢無如何。
此番日本遣使來商,未始不視中國之允否,以定西洋之向背。設因拒絕所請,
致該國另託英法為介紹,英法更助該國以譸張,彼時允之則示弱於東藩,不 允必肇衅於西族;在彼轉有唇齒之固,在我愈有牢籠之方。似又不如由我准 其立約,以示羈麋,此即前函所云,縱不能為中國外援,斷不使為西國外府
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必致過肆要求,是以畧為推宕。前於復函內,業經敘明由尊處相機回答,原 不必過於拒絕,恐其舍而之他。茲接來函,知立約一層,不能不允所請,惟 查向來各國議立條約,均係特派使臣,與中國欽派大臣會同定議,該國明年 如有欽差到津,定行立約。所有條約底本,咨存總理衙門備查。先由尊處與 該差官將此情形說明,總以向來立約,均係兩國大臣議立。刻下若遽行商訂,
實與向來辦法不符。該差官如肯轉圜,再由本處給與復文,將准其立約之意 敘入,庶與前次復文不大相背。萬一該差官堅欲先議約底,即由尊處會同李 協揆,遴派府道大員,將約底各條詳加核對,其中如有與英法條約相同,而 中有流弊之處,均應簽出更改。刻下先就伊十六條內無關緊要者議定大概,
以示舉行立約之意,並告尚有應行更易之處,仍俟來年派使前來,再行統議。
如此辦理,該差官當可敷衍回國。73
明らかに総署は立場の換わることについて、工夫していたと窺える。さらに、
日本との締約について、立場がいっそう緩んできたことも窺える。また、先に 柳原と仮条約の商議について、総署は依然として日本よりの特派大臣が中国に 来ている限りできると持論していた。しかし、万一柳原が固く先に商議しよう と持論するなら、差し当たり緊要でないところを取り上げて柳原と商議して、
柳原を申訳して彼を帰国させると成林に指示した。総署の返信は 10 月 2 日に 成林の手に至った。
ところで、成林は 9 月 27 日に柳原に総署の立場が緩んできたと伝達した後、
柳原と先に条約を議するか否かについて、数日に渡って相譲らなかった。10 月 2 日に上述総署の指示をもっらたら、成林は柳原を訪問して、「復與陳說多 方,往復再四,該使似又疑此時無肯與議,恐將來立約之說未甚可憑」と柳原を 勧告したが、柳原は中国の決心を疑っていた。
そのため、成林はまた 10 月 5 日に柳原を訪れて柳原と再三弁論した。故に、
柳原は先に条約を商議することを諦めたが、かえって総署より下した相締約を 許す照会を求めた。成林は 10 月 6 日に総署に公文書を送って総署より柳原へ の照会を求め、中に、
成林因於昨午親赴該寓,仍照來諭各節詳切開導,謂王爺大人既許以俟有大 員來議,將來豈有反覆之理。如此辯論時許,該使因但請加一覆函,俾得回 國銷差。其先議約底一層,似已作為罷論。即祈王爺大人將覆給該外務省信
73 前掲 近史所檔案館 外交部門 №01-21-024-01-001 総署より成林宛「函復日本差官堅請換 約一事仍由貴處會商妥辦議定示復以便辦理由」
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函迅速寄來,俾該使見有覆函,免致再生波折。緣恐該使未得覆函,或生他 念,彼時又須多費唇舌。
至成林履次與柳使辯論,均以李協揆為波折,即昨日面晤該使,猶告以總理 衙門改給覆文一節,亦係李協揆加信寄去等語。此番王爺大人所給覆函,儘 可仍援李協揆為轉彎之據,且與成林連次所告之言相符。74
成林が柳原の持論に大変困られていることが窺える。また、総署立場の換わる ことについて、李鴻章が建言してたためであると、成林は総署にアドバイスを した。
総署が 10 月 8 日に成林に日本外務卿宛、中日間の締約を許す書簡を送って、
翌日成林の所に届いた。成林が 10 月 12 日に書簡を柳原に渡って、75柳原一行 は 10 月 19 日に天津より出発、10 月 25 日に上海に到着した。10 月 27 日に上 海で外務省へ公文書を作成して、帰航の日程とついでに寧波まで当地商売の状 況を探察する旨を上申した。閏 10 月 2 日に烏渡・寧波に至って探察し、閏 10 月 8 日に上海に立ち戻った。同月 17 日に上海より出発、同月 25 日に東京に到 着した。76