第三章 隙間の憧憬―日本に憧れる在台日本人作家
3.2 在台日本人の作品分析
3.2.2 丸井妙子『たゝかひの蔭に』
1919 年(大正 8)台南に生まれた丸井妙子は、台南第一高等女学校に就学期 間に濱田隼雄の指導を受け、卒業してから 1943 年の秋に台湾公論社に入社した。
最初の仕事は台湾の生産現場など銃後で労働に励む婦人たちらのルポルタージ ュであった121。金瓜石鉱山を皮切りに、台北、南方澳、高雄、台中、霧社、日月 潭、太平山、虎尾、屏東、台南、知本、新港、台東など台湾全島を歩いた。彼 女の文章は『台湾公論』に連載し、翌年の 11 月一冊に収めて台湾公論社出版部 から刊行した。
『たゝかひの蔭に』は合計二十篇(あとがきを含め)の短編が収録される。『決 戦台湾小説集』とほぼ同時期に出版されており、「決戦台湾随筆集」と呼ばれる
『たゝかひの蔭に』は産業現場の様子を書かれる以外に、台湾の景色をも優し くて優美な書き方で示される。表(3.2.2)で収録される文章をまとめる。
120 濱田隼雄「地球儀」『学生』32-1、p.16。『濱田隼雄研究―文学創作於臺灣(1940-1945)』、 p.202-203 から引用する。
121 中島利郎「女性が描いた「決戦台湾随筆集」――丸井妙子『たゝかひの蔭に』ついて」『台湾 随筆集三』、緑陰書房、2003 年、p.581。
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書籍化の順序 連載されるデート 訪れた場所 1 富士・櫻・霧社・日月潭 19.1.1-4 富士、霧社、日月潭 2 採鑛記 18.9.24 金瓜石
3 竹細工を作る村 18.10.16 台北州七星郡内湖庄 4
たゝかひの蔭に 18.10.24
大溪郡、角板山、枕頭 山、大嵙崁溪(現大漢 溪)、溪口臺
5 燈臺行 18.11.8
6 轉進する移民 19.5.13-2 台東、鹿野、加路蘭 7 能高越え開鑿 19.1.1 台中州能高郡
8 総督さんに會ふの記 18.12.28
9 太平山 19.2.4 羅東、太平山 10 海員 19.3.4
11
虎尾と屏東 19.3.8 虎尾北溪厝、屏東隘寮 溪
12 開田作業 19.5.12 関山次の新武呂 13 緋櫻の記 18.12.10 高雄
14 春日村 19.3.7 台南州虎尾郡北溪厝大 屯警一号
15 探坑記 19.4.6
16 浴みする高砂族 19.5.10 知本
17 漁村の移民達 19.5.12-11 南方澳、(台東)新港 18 くろがね 19.4.4
19 プユマの魂 19.5.13 20 あとがき 19.8.9
表(3.2.2)
台湾に生まれた「湾生」として、丸井妙子は「漁村の移民達」において台湾 への帰属意識と内地への憧れに触れる。
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若い娘たちはまだみぬ父祖の土地を、一度訪れてみたいと希つてゐるといふ。
臺灣で生れた、いはゆる灣生の私などが「内地へかへる」といはず、「内地へ ゆく」といふと同じやうに、彼女達は、ちゝはゝの口から語られる故里の姿 をみてくる丈で満足なのである。(p.528)122
「内地へゆく」とは、一種の指向性を表す。すなわち、「内地」は帰る場所では なく、彼女にとって「出発点」は台湾を指すことである。このような表現は、
先述でまとめる在台日本人の感情の類型と近似している。また、作品の中に大 量な時局的場面が現れて、殊に「高砂族」と「大和民族」との連関性を探そう とする意図がきわめて明らかである。次は、高砂族が日本人化の例について考 察をはじめる。
当時、国策の題材は当局にとって大歓迎な作品なので、台湾総督府と日本文 学報国会に肯定される『たゝかひの蔭に』はこの潮流に乗って、増産、義勇奉 公、国語の学習などの情景が散見される。例えば、植物が植えられるときに、「そ れ程高く成長するやうにと祈るこゝろは、増産精神に直ちに通じてゐるではな いか」(「富士・桜・霧社・日月潭」、p.309)と作者が感嘆する。正月に集まっ た高砂族の老人たちの話題は、出草や狩での手柄話から「大東亜戦争」に関わ った時局色を帯びるようなものになった。部落から志願兵、義勇隊員が次々と 出征して、子供も志願させたいと望みながら、自分も戦場に行きたい老人の姿 である。そして、訪れた作者たちの一行のために先住民の教育所で児童の学芸 会を催した。子供たちに対して、作者は「くりくりとひきしまつた姿態や、黒 み勝ちな瞳は、さすがに高砂族の精悍さを憶はせるが、愛らしいワンピースを まとつてゐる姿は、ちつとも内地人の子供達と變らない」(「たゝかひの蔭に」、
p.355)という感触を得る。
部落で変えられた先住民の生活習慣、日本の傳統習俗の浸透などの描写から みると、先住民は「日本人化」の完成度がついに高めていった。さらに、児童
122 丸井妙子『たゝかひの蔭に』、台湾公論社出版部、1944 年に出版される。本文で使うテキス トは『台湾随筆集三』、緑蔭書房、2003 年、p.291-567。以下には脚注を省略する。
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教育所では、その子どもたちが内地人とは違いがないのである。国語教育とい ういちばん肝要な政策であり、「決戦下殊に重要視されてゐる皇民化の第一歩は、
『國語問題の解決にあり』」と叫ばれているが、作者はここに先住民を提起し、
「山のひと達の國語に對する熱意や理解力といふものは、想像以上で實に頼も しい限りである」(「たゝかひの蔭に」、p.356)と賞賛する。教育所の子供たち の言葉使いは、拙くとも「本島人によくきかれるあの妙なアクセントはな」く、
教育所を出た青年層も綺麗な国語を流暢に使っている。この青年たちは、高砂 義勇隊、陸海軍特別志願兵、そして徴兵制度実施などの過程を経て、最後の目 的は唯一つ「明るく、強く、素直な山の日本の兒らは、南方で戰死した」(「たゝ かひの蔭に」、p.359)というのである。
総じて、『たゝかひの蔭に』の中に、「高砂族」は完全なる理想的な「日本人」
になってしまう。彼らは実行していた生活の様子が「皇民化」の典型だと言っ ても過言ではない。随筆という形式で書かれるこの作品の内容は作者が自分の 目で観察したことを記録したものか、途中で見た光景をもう一度消化して書い たものか、あるいは感想と理想を混合して完成したものか。少なくとも、丸井 妙子は国策を応援する立場はここに至って明確に確かめよう。
日本統治者にとって「高砂族」は本島人と比べて、なぜ魅力的であったか。
フィックス氏は『台湾の認識』という日本人官僚向けの官庁出版物を参考して、
両者の「民族の特性」を比較する。つまり、先住民は官僚に従順であり、勇猛 で好戦的、他者と個人的に接する場合は率直ではっきりものを言うと見なされ ている。また、情報課は戦時政策に反抗的だという徴候を先住民には認めなか ったものの、本島人はまったく相反する評価をつける。本島人の忠誠をかなり 疑っていたことが伺われる123。このような分類の方式は、戦時中台湾における当 局側の需要があらわになると言えよう。
さて、丸井妙子は皇国に捧げる高砂族の理想像を述べる一方、先住民の文化 を逐一日本人の伝統と結合させる狙いは、作品でいちばん特別なところだと思 う。以下は、この特色を持つ内容を三つの方向に分類するを試みて分析したい。
まず、先住民の男性の勇ましさと日本武士道の関連性である。作者が「サヨ
123 ダグラス・L・フィックス「徴用作家たちの「戦争協力物語」―決戦期の台湾文学」、p.153-154。
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ンの鐘」の撮影所として知られた「櫻部落」を訪れたときに、義勇隊員の戦死 のことを聞いた。「高砂族は昔から男は戰場で華々しい散るのが名譽であつた。
それが出草などではなくて御國のためにお役にたつたのである」(「富士・桜・
霧社・日月潭」、p.315)と戦死者の母が喜んで言った。また、山の人間は嘘が 嫌くて、責任感が強いので、前線で食糧輸送をしていたうちに、軍のものに手 をつけなかったために餓死した義勇隊員があったそうである。この行いは「日 本の武士道に隨分近い」(「たゝかひの蔭に」、p.364)と作者が思う。
国文学者の芳賀矢一は「戦争と国民性」の議論するときに、武士道はただ封 建時代の産物であり、日本の国民精神を貫いている「国道」こそは「武士道の 根本」だと考えられる。彼もまた愛国心と尊皇心、皇室と国土とは不可分な一 体だと主張する124。「男は戰場で華々しい散る」というのは日本の代表的な武士 道のイメージだと考えよう。日本人の文化の中に崇高な地位を持っている武士 道精神を利用されて、先住民の性格と深く結ばれる。
女性の場合は、丸井妙子は「古來の日本婦道」を知らないはずだった高砂族 の女達をとりあげる。彼女たちは日本婦道にふさわしい身振りを表わし、強く 生き抜いていた様子について描かれ、戦死された方の未亡人のことも「古來日 本の國は女が強いから強いのだといふ、この母にして征きし益良丈夫あり」(「富 士・桜・霧社・日月潭」、p.317)と称えられる。
老若男女を問わず、作者は先住民の中に「日本精神」を探し続ける。先住民 の口承されてきた伝説と旧慣に関しても介入される痕跡も残される。例を挙げ れば、日月潭の伝説である。丸井の叙述によると、湖心の玉島には一本の樟の 大樹があった。樟の根本の洞穴には二匹の白蛇が棲んでいた。化蕃と言われる かつてのツオウ族の部落民はその蛇を神の使女だと語り伝えていた。つい「お くにに役たつ日が訪れ」、奉公のために樟は伐り倒された。「しかし洞穴の中か
老若男女を問わず、作者は先住民の中に「日本精神」を探し続ける。先住民 の口承されてきた伝説と旧慣に関しても介入される痕跡も残される。例を挙げ れば、日月潭の伝説である。丸井の叙述によると、湖心の玉島には一本の樟の 大樹があった。樟の根本の洞穴には二匹の白蛇が棲んでいた。化蕃と言われる かつてのツオウ族の部落民はその蛇を神の使女だと語り伝えていた。つい「お くにに役たつ日が訪れ」、奉公のために樟は伐り倒された。「しかし洞穴の中か