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台湾風土における日台の融和と競争

第二章 膨張の帝国―理想像を探す内地人作家

2.3 内地人の作品分析

2.3.1 丹羽文雄『台湾の息吹』

2.3.1.2 台湾風土における日台の融和と競争

台湾を巡歴していたうちに、その風土を直ちに親しだ紋多は、「勤行報国青年

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隊」に魅了させてしまった。そのほか、領台五十年の歴史の中に「日本式」を 象徴している物事も台湾に沁みていた状況に関して、彼も鋭い目で観察した。

台湾の土地柄といい、外来者の日本文化といい、戦時下の特別な時点で、文化 はもっと深い意味を含めて、まるで人間・政治・思想の意識を負っていた器の ようなものだと思う。換言すれば、「人」をめぐって日本意識と台湾意識を討論 する一方、人間の思うを映した風物にも見逃せないと考える。以下は、三つの 段落をとりあげて分析したい。

第一に、物語のはじめ、紋多は知り合いの岡田東一と巡りあい、「臺灣の風土 が、君の精神の上にもうまく合つてゐるとみえる」「君はまるで生れた時から臺 灣にゐる人間みたいだよ。東京時代の君は、結局借りの住ひだつたんだね」と 友人ののびのびとした顔色によって驚かれた。あくせくしない美点を屈託なく 伸ばしている友人は、なぜ台湾には腰が落ち着いて見えたか。紋多の結論は以 下のように示す。

臺灣の抱擁力か。頭で生きるよりも、先づ肉體に生きる岡田の生き方には、

臺灣の風土が適つてゐるのではないか。(p.501)

これも「肉体」は「頭=精神」より優先だという論調である。身体上の修練は 民族改造の手がかりであるが、ここで台湾は「肉体の成長」にふさわしいとこ ろになったという結論を得る。台湾の風土は異民族の「肉体派」を納めた「抱 擁力」があるばかりか、一歩進んで「生命力」も持っている。

次は、台中の宿で庭に植えた樹木は紋多に不快感を与えた場面をみてみよう。

せまい庭に、樹木が窮屈に繁つてゐた。臺灣の風土を考慮に入れずに建てた 日本家屋のみじめな敗北の姿をさらしてゐた。樹木は日本風の家屋に少しも 気がねせず、のびるだけ伸びてゐた。傍若無人の生活力であつた。(p.516)

廖秀娟氏はこれを「植民地の逆襲」と指す。日本風の家屋はこの庭で存在感が 薄くなるが、読者の目は台湾の風土に順応し、気ままに伸びている樹木に奪わ

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れる。それはまさに、植民地の一つの勝利を暗示するものであったと廖氏は指 摘する79。「植民地の勝利」であるかを別にして、筆者が「肉体」の問題をここ に置いて検討してみたいと思う。

前述の考察をみれば、体調が良くて若やかな肉体は「日本人」になる要件だ と認められる。ただし、台湾の「抱擁力」は日本の暮らし方に適さない「日本 人」を受け入れる。それに、台湾における「傍若無人の生活力」は日本式の造 景と規定を不覚して自由に成長していく。この二点について考えれば、身体的、

肉体的な特質を帯びる台湾は、日本に比べて優勢がないとは言えないだろうか。

作者の丹羽文雄は「台湾人の肉体の塑性」を頼って日本人改造の目標を達成す ると思った。実はこの力は日本を反撃するおそれがあると予見する。

以上は、台湾の風土の力がすこし植民母国の勢いより強かったと見えるが、

以下の段落は華麗な筆致で描かれる日本を代表する「太陽」を取り上げる。「本 島人の生活の匂ひのまん中にゐた」紋多は、黄昏のときに「鄭成功の武威は思 ひ出さず、鼻のつかへる窮屈を感じた」赤嵌樓を見学した。

灼燃した太陽が(略)血のやうな赤色で、ぼつかりとはふり出されてゐた。(略)

晝間は白く灼けながら、人間からはるかにはなれた様相になつてゐるが、い ま眺めやる太陽は、繪にとらへられた太陽があつた。人間の手でとらへるこ とのできる太陽の色であつた。人間的な色調であり、中天に灼燃してゐる時 よりももつと太陽らしかつた。太陽と人間の融和の美しさが捉へられる瞬間 であつた。その融和がはるかとほくに見えれば見えるほど、精神的な透明な、

美しいかがやきが増すやうであつた。(p.528-529)

鄭成功という日本に深い関連を持っていた人物に関わる場所で、日本政府の指 導や統治に際して恩威の象徴の「日の丸」を筆を尽くして描写される。その政 治的な意味がいうまでもなく強いだろう。「日の丸」の旗を象徴する太陽は、「威 厳と恵み」をアジア民族に与えながら、彼らの尊崇、畏敬の念も要求される。

79 廖秀娟「丹羽文雄「台湾の息吹」論」p.35-36。

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故に「太陽の如く偉大な強い荘厳な威力」である日本の統治が正当化される80

「二度と忘れることの出来ない内面的な風景であつた」と称賛した紋多にとっ て、いわゆる「内面的な風景」は実際に精神的意義の色彩が濃いものだろうと 思う。この段落で作者は太陽の美しさと荘重さを具象化しながら、太陽の色が

「人間的な色調」をも強調する。太陽は日本という国家の代表的な象徴として、

一般的には触れられない存在のように脅威感が生じやすいので、「太陽と人間の 融和」と書いてある作者の企図はその距離感を打破し、植民地の民衆に親しい イメージを作ると言えよう。

純然たる「日本色」を塗りつぶされた台南の赤嵌樓に台湾の夕暮れを見てか ら、「太陽と人間の融和」の具体例が出現する。古い市街に歩いた紋多は、「ど の家の部屋のつき當りの壁にも、日の丸が掲げてあつた」に気づいた。

どの日の丸も色が黒くなつてみえた。しよつ中線香や護摩を焼くせゐか、そ の家の生活の色がしみつくわけか。祖先の位牌を祭る壇上のはるか上部の壁 にある日の丸は、どぎつい感じではなく、すでに家族のものと溶け合ひ、見 なれたものになつてゐた。紋多は色の黒くなつた日の丸から、おびただしい 言葉を聽く思ひがした。――皇民錬成!(p.530)

半紙で印刷した日の丸は家々の壁に張って、しかも位置は祭壇の上である。こ こに至って、「日の丸」は本島人の信仰の中心に侵入した。このような精神上の 改造は、国策の宣伝あるいは複雑な理想を使わず、むしろ太陽の光が台湾の各 地に及んでいる簡単な表象によって述べられる。つまり肉体改造の反復性と同 じ概念で使う。何故かと言うと、「日本精神」とは何かという問題について、作 者の丹羽文雄は深くその問題の内実を解釈したことはないようである。そのた め、「太陽=日本」への賛嘆は表面化したものになってしまい、作者の感情を述 べるものだけである。

80 鈴木麻雄「大東亜共栄圏の思想」『近代日本のアジア観』、p.257。

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