第四章 異色の大和桜―自己像を探す本島人作家
4.3 本島人の作品分析―『決戦台湾小説集』
4.3.1 言外の意味―醸しだされる作家の態度
4.3.1.2 龍瑛宗「若い海」
客家人の龍瑛宗は、本名は劉栄宗。「パパイヤのある街」を以て文壇に登場し た後、勤勉に諸作を発表し続けた。張文環と呂赫若とともに戦争期に最も活躍 した本島人作家の一人だと言える。彼は「少年の頃は、ツルゲーネフ、その後 はゴーゴリ、最近ではゾラに注目してゐます」と述べ、海外文学を熟読したの で、影響を受けた。その作風は台湾知識人の内奥の煩悶を主題にしたものが多
216 呂赫若「一協和音にでも」『台湾文芸』(台湾文学奉公会)1-2、1994 年 6 月、p.3-13。『日本 統治期台湾文学 文芸評論集 第五巻』緑蔭書房、2001 年、p.272。
102
く、戦時下の本島人作家の中でも特異な位置を占めると評する217。この点につい て、葉石濤氏は「彼の小説に、欧米現代小説の技法が多用される痕跡が明らか である。世紀末頃における退廃的思想の介入によって、キャラクターの知識人 が特に苦難の十字架を背負って自ら圧迫の運命を嘆いていた」218と言う。横地啓 子氏も彼の文学成果について、「龍瑛宗の文学は二重の意味で、植民地的であっ た――一つは日本文学の模倣、もう一つは翻訳を経た諸外国の文学の模倣とい う意味」「龍瑛宗は日本文学や翻訳文学を模倣しつつ、自らのオリジナリティー として台湾的な要素をそこに持ち込んでいたのである」219と評価する。戦時期に、
彼は「日本文学報国会台湾支部」と「台湾文学奉公会」の幹事を務めて、1944 年『旬刊台新』の編集長にもなった。
1942 年に第一回「大東亜文学者大会」の台湾代表の一人として、会場で「大 東亜精神とは日本を中心とする大東亜の同胞が共に楽しみ、共に喜ぶ精神です。
民族と民族との理解、魂と魂との交歓が根底的なものと思います」と簡単な挨 拶をした220。帰台後、『台湾文学』で発表した「道義文化の優位」という大会の 感想文は、日本が東洋文化の保存国だと認め、文学者が東洋の美を宣揚した芸 術性豊かな作品を創造しなければならぬと宣伝した。文学者は戦争期における さまざまな支援が自明なことである。龍瑛宗は次々と国策を支持して、破綻の ない発言が、どんな意義を持っているだろうか。同じく「大東亜文学者大会」
の参加者の濱田隼雄から熱心さが足りないと批判したが、小説で現われる様相 はどうだろうか。
高雄海兵団に派遣された龍瑛宗は「若い海」という短編小説で「皇民化運動」
の要素を細かく物語の中に編み込む。主人公は海兵団X分隊所属の本島青年、
二等水兵の森川(改姓名)と王祐坤である。同郷の二人は兄弟のように親しく、
217 『日本統治期台湾文学小事典』、p.111。
218 葉石濤「論張文環的『在地上爬的人』」『台灣鄉土作家論集』、遠景、1979 年、p.111。朱家慧
『兩個太陽下的台灣作家─龍瑛宗與呂赫若研究』、台南市立藝術中心、2000 年、p.43-44 から引 用する。
219 横地啓子『抵抗のメタファー:植民地台湾戦争期の文学』、東洋思想研究所、2013 年、p.164。
220 龍瑛宗「皇軍に感謝」(大東亜文学者大会速記抄)『文芸台湾』5-3、1942 年 12 月、p.22-25。
『日本統治期台湾文学 文芸評論集 第四巻』緑蔭書房、2001 年、p.318。
103
海兵団で厳しい訓練を受ける。その訓練の内容は、カッターに乗って櫂を漕ぐ こと、水泳、手先信号、銃剣術などがある。訓練後に海兵団から退団を待つ二 人は、今後の一等水兵の生涯を期待するという明快な物語である。
この作品は、従来の作風とは変ったと感じえる。一般的に、龍瑛宗の作品は 一貫した優美で繊細な筆致の表現が豊かであると考えられる。例えば、西川満 は「龍君はめづらしい位に藝術味の豐な仕事をつづけてゐる」221という賞賛があ り、龍瑛宗自身も文学の美しさを強調する。羅成純氏が言った「植民地の現状 を告発する写実主義文学」を優先し、リアリズムの作風を崇拝した台湾人作家 と比べて、彼は「エキゾチシズム文学」と「ロマンチシズム文学」に対して寛 容な態度を持った。
僕はエキゾチシズム文學は、あつてもいゝぢやないかと思ふしかし、それは 文學の本流ではなく、建設的文學のみが、新しい現實の創造の槓杆となるも のである。だからといつて、リヤリズム文學一色に塗り潰すことも寂しいこ とゝ思ふ。文學は色とりどりに咲き亂れた方が、文化を豐かにするものであ る。ロマンチシズム文學も、人間の精神を昂揚させるものである。僕たちは 視野を狭めてはならない。文學作品は藝術作品であるかぎり「美」を忘れて はならない。藝術の根底はすべて「美」だからである。「美」のない作品は、
政治論文であり宣傳文であらう222。
「若い海」に戻って、龍瑛宗の派遣現地の感想を見てみよう。彼は執筆中に記 録映画「加藤隼戰闘隊」「轟沈」を観た。
かかるロマン性の排除あるひは、極度なる節約は、いままで見られない現象 であり、しかも、そこに觀客の緊張と興味を觸發してゐるところをみれば、
221 「昭和十五年度の臺灣文壇を顧みて」『台湾芸術』1-9、1940 年 11 月、p.20-22。『日本統治 期台湾文学文芸評論集 第三巻』緑蔭書房、2001 年、p.335。
222 龍瑛宗「南方の作家たち」『文芸台湾』3-6、1942 年 3 月 20 日。『龍瑛宗全集[日本語版]第 四冊 評論集』、p.99。
104
藝術といふものもひとつの動きつつある歴史的存在として、歴史の制約のも とに發展をとげてゐることがわかる。223
「遠洋にゆく日」「荒波を越えて」「みごとな食欲」「月夜の練習」「めぐる想ひ 出」「やがて荒海へ」などの六節に分けられるテキストは、まるで映画のように 一つ一つのシーンを切り替える。龍瑛宗は新たな書き方を試みようとしたこと が伺われる。戦争の雰囲気を呼応し、「観客の緊張と興味を触発」するために、
龍瑛宗の代表的なロマンチックな形式が除かれて、「極度なる節約」に書きぶり に替わってきたと考える。
テキストの部分は、「若い海」の組み立ても完成度が高いと思う。作品で登場 する人物は本島人を中心にして、海兵団団員とその家族のことがある。二人の 若い水兵の成長と訓練を詳しく描写するほかに、民衆が積極的に「皇民化運動」
に参加する様子も描かれる。さらに主人公が海兵団に参加してから、家中の状 況が向上してきた描写がある。天皇を崇拝すれば、奇跡が起きる場面さえも現 われるゆえ、完全に総督府の標準を合せる典型的な作品だと言っても過言では ないだろう。
まず、主人公の森川と王祐坤が物語の先頭に登場する。「浮雲ひとつなく、か らりと空は青く晴れてゐるが、さうさうと南風が吹いてゐて、かげらふのたつ てゐる野には、夏草がしきりになびいてゐるのがみえる。真夏の太陽に燒かれ ながら、海兵團X分隊の白い列が、元気よく夏草の小徑を踏んで、海の方へ歩 いてゐた」(乾、p.93)という爽やかな描写によって新興の高雄市を描かれる。
そして、海上訓練の場面はすぐ読者に「海兵団」の生きる様子を伝える。猛訓 練に没頭している二人は、外面の世界を忘れ、ひたすら荒波を乗り切ることに 精力を注いでいる。
目的地まで漕がねばならぬ、漕げ、漕げ、齒を喰ひしばつて漕げ、これが與 へられた至上命令だ。猛然と奮い立つた。もう力を出しきつてしまつたと思
223 龍瑛宗「戰時下の文學」『台湾文芸』(台湾文学奉公会)1-4、1944 年 8 月、p.73-83。『日本 統治期台湾文学 文芸評論集 第五巻』緑蔭書房、2001 年、p.286。
105
つたのに、またまた新しい力が泉のやうに湧いてきた。なんといふ不思議な 生命力であらう。精神を集中し緊張すれば、超人間的な力が出るものだ。(p.96)
命令を完遂したい意志を支えられて、青年兵士の優れる身体上の要件は最大限 に発揮される。「青い青い涯しない海、そこに、はげしい戰ひが行はれてゐる。
それと思ふと、森川も王祐坤も、じつとしてをられない昂奮にかられるのであ つた」(p.97)という場面で、若い男たちが戦争に刺激された純然たる興奮の心 情も表示される。最後の段落の「やがて荒海へ」で、二人は「第二軍裝を着て 晴れやかな氣持でそそくさと街をあるいた」(p.107)、颯爽の軍人像が完成させ る。将来のことを憧れている気持ちが溢れている森川は、本島青年の自分を励 まれる。
まもなく二等水兵生活よ、さらばだ。そしてもつと、はげしい一等水兵の生 活が待ち構へてゐる。ふと、分隊長の言葉が耳もとで囁いてゐるやうな氣が した。「鞭の影を見ずして走る馬を駿馬といふ。われわれは常に駿馬たれ。」 さうだ。われわれは、駿馬とならなければならぬ。われわれは、本島青年と しての力を試したい。(p.109)
庄明宣氏は龍瑛宗の作品の中に漂っている「現代意識」を指摘する。特にキャ ラクターの性格や心理状態の描写が優れているところに着目する224。筆者の考え では、作者の龍瑛宗は「若い海」の中の人物との間に距離感を保っている。主
庄明宣氏は龍瑛宗の作品の中に漂っている「現代意識」を指摘する。特にキャ ラクターの性格や心理状態の描写が優れているところに着目する224。筆者の考え では、作者の龍瑛宗は「若い海」の中の人物との間に距離感を保っている。主