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文学作品に描かれる「在台日本人」

第三章 隙間の憧憬―日本に憧れる在台日本人作家

3.1 在台日本人が台湾に暮らす様相

3.1.2 文学作品に描かれる「在台日本人」

在台日本人は台湾に生きていたが、アイデンティティ認識が内地の日本に依 拠し、居所によって変化されない結果が伺われる。この両立的な状態にいた在 台日本人は日本や台湾に対する態度を分析する必要がある。何故かと言うと、

両地への理解は「台湾人」キャラクターを造形するときに影響を与える。ここ には第二章のテキスト『台湾の息吹』と『台湾の旅』における在台日本人に関 わった段落を通して考察したい。丹羽文雄と佐多稲子は、同じ「日本人」の目 線で、「台湾にいる日本人」たちが台湾に過ごしたありさまを観察して作品の中 に記録した。そうしたら、旅客の日本人の目線で観察した現象と実際に個別の 在台日本人作家の生き方との間に関連性があるかどうかも合わせて討論できる と考える。

これからは三つの部分に分けられて例を挙げる。第一に、台湾と融和できな い状況。第二に、在台日本人の郷愁。第三に、台湾住民に対する欲張りの挙動 である。

101 柳書琴『戦争と文壇-日本統治末期の台湾の文学活動(1937.7-1945.8)』、国立台湾大学歴史 研究所修士論文、1994 年、p.87-88。

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3.1.2.1 台湾と融和できない状況

まず、『台湾の息吹』を見てみよう。時局講演の関係で紋多は新竹に到着した。

映画劇場有楽館の中に集まった人はだいぶ内地人であって、屋外に拡声器によ って講演を聞いた聴衆は本島人も交じっていたが、内地人が多数を占めた。一 人でも多くの本島人を聞いてもらいたいと思った主人公は、新竹の地理と環境 を観察した。台北と台中に挟まれた新竹は、「中間的な地理が含まつてゐた宿命」

があった。紋多は「冷淡、ゆきずりのこころ。中間的な存在のはかなさ、腹立 しさ、わびしさ。中間的な無傷さ」と感じた。それを前提として、紋多は新竹 の在台日本人に対する評価は、以下のようにまとめる。

(1)「大地にしつかりと腰を下してゐない不安と不均衡を感じた」

(2)「大地に根を張る頑固さに缺けてゐる」

(3)「彼らは新竹の生活者ではなく、新竹といふ土地の生活を假に生活して ゐるやうに思はれてならなかつた」

(4)「一應生活者にはちがひないだらうけれど、生活しながらも見物人とし て、受用者としてのみ新竹の風土、人情、金銭に觸れてゐる」(p.514-515)

丹羽文雄は在台日本人の様子を細かく描写する。論理的にいうと、在台日本人 は台湾での生活者の一員に属されたが、生活のところと結び付けなかった。紋 多はこの印象が個人的な偏見であってくれると望んだが、「彼らがかもし出す雰 囲気の中には、彼らを裏切るやうなものがありありと存在した」をも看取した。

まるで空気の中に漂っている状態に対して、些かに不満も流露してくる。つま り、「裏切るやうなもの」は在台日本人の台湾を生活の重心にしない態度を指す のではないかと思う。

次に、『台湾の旅』では、主人公は花蓮の開拓村「吉野村」を訪ねた。村長と の話し合いに若い娘たちの結婚難を知った。若い男が外へ出て行ったのは理由 の一つであるが、村での生活はあくまでもその範囲が限られるのも一つである。

さらに、

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村の若い男やその親さへ、内地の生れ故郷の村からせめては嫁を迎へたいの だといふ。生れ故郷に繋ぐものを求める人の心の切なさを責める強さも、旅 人には持ち得ぬことだ(p.469)

という在台日本人が内地の故郷との繋がりを維持したい思いが現われる。結婚 とは、血縁的結合だと言えるので、生活の土地と生まれ故郷と比較してから後 者を選ぶことは、日本への憧れを忘れられない証だと見なすだろう。

3.1.2.2 在台日本人の郷愁

『台湾の息吹』で、紋多と連れは台中の日本旅館に着き、台湾の内地の女性 によって迎えられて「内地風」の歓待を受けた。「臺灣にゐても結構内地の生活 が出来るのだといふ不安のなさを倒錯的に示した」状況に対して違和感を覚え た。特に、「頭ごなしに臺灣の特異を求める旅行者」にとって好奇心を満たして ほしい気持ちが先回りするのである。それに、「客は、客として歓待者の慰めの 材料となるべき宿命に立つものであるが、だれも納得はしない」という不満が 表現されてしまうが、「東京風の歓待のなかには、また臺灣の内地人の郷愁もふ くまつてゐる」(p.516)と理解する。紋多は旅行者として、「異国情緒」の招待 を楽しみにしているが、失望した。同じ「日本人」であった在台日本人は実に 故郷のことを懐かしんでいる。「内地人」は「在台日本人」を台湾文化を伝達す る任務を担うべき人間であったと見なした。一方、「内地人」は自身が元の日本 文化を擁する者はずであったと確信した。

そして、『台湾の旅』に台湾神社に参詣した「私」は、参道をまいったうちに 周囲の景色に惹かれて、在台日本人の心緒を思い浮かべた。

参道の石燈籠は、数へ切れぬほど竝び、それには皆、内地人のひとりひとり の名や、縣人會の名が掘つてあつて、それらをみながら登つてゆくと、何か そこに結集した日本人の切ないものがひしひしと傳はつてきて、悲しくなる ほどのものであつた。(p.462)

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その悲しさは、石燈籠ばかりではなく、羽織と晴着を着て、お詣りをしている

「遠く故郷を離れて暮す人の心に」も出現してくる。「家族睦み合ひ、國を拜む やうにこの神社に詣る心にもひとしほの切ないものがある」とは、佐多稲子が 描写した彼らの懐郷の姿である。広い景色の中で浮き上がって羽織を「望郷の 象徴」と見なした「私」は、在台日本人の生活の習わしを着目した丹羽文雄と は違って、在台日本人の精神世界に触れる。そして、「吉野村」に村長の話を聞 いた「私」は「血を流すほどの同胞の辛苦がこゝで續けられたのだと聞くと今 まで台湾といふところに、たゞ異国的な興味をだけ持つてゐたことがすまなく 思はれてくる」(p.469)。「私」は紋多と同じように台湾に対する異国の想像を 強い印象づけられるので、思わずに「在台日本人」のことを次位に置いて無視 しやすくなった。

外在の行為は内面の心理とともに「内地」の物事を絶えずに慕った感情を示 される。在台日本人は「台湾」に定着していなかった現象が、故郷に対する懐 かしさを間断なく持っているにも影響されるだろう。

3.1.2.3 台湾住民に対する欲張りの挙動

『台湾の息吹』における日本旅館の段落では、旅館で旅装をといた紋多と連 れは、内地人しか歓待しない宿でかき集められる調度品により不快を感じた。

これは底を見透かされてしまう蒐集癖や貪婪なかき集め趣味だと見られて、「ま るで勝利品のように、首狩り族があつめたしやり頭のやうに並べてゐる」(p.517)

と紋多は云々した。連れは、これが内地人としての開拓者の情熱と己の苦闘の 歴史を一つ一つもので現したと解釈してあげてから、紋多は認める。だが、三 十年にかかって高砂族から山刀や服や豹の皮などのものをかき集めた骨董屋さ んに、紋多は再び非難した。

骨董屋の主人の自負する顔を見て、彼は趣味や道楽で集めているのではなく、

土俗学のためでも勿論ないということが分かる。それに比べて、「現在の高砂族 の部屋は、装飾品に飢ゑでゐる」事実に対して紋多は「何か殘酷な氣がするよ」

と示す。「残酷」と意識した原因は、「彼ら(高砂族)が無智的によろこんで交 換をしたのだとはいへ、無智を利用することは殘忍ではないだらうか」という

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のである。

このような内地人商人の悪い趣味の例としては、日月潭の杵唄を興行化させ ることもその一つである。紋多は東海岸でバスに乗ったときに、商用に出かけ る内地人が赤襷の高砂族青年の敬礼を「單に時局的な一點景として漠然と眺め 去つた顔が多」く、中にも時局的な楽しい発見をした人もいるを発見した。こ こまで、時局に冷淡な態度を見せる在台日本人の狡さと貪欲への不満が頂点に 達して、紋多は内地人に対する怒りがようやく噴出した。

両者は在台日本人の生活の様相をめぐって描いたが、立場が異なっている。

丹羽文雄は戦時下の「皇民化運動」を視点で集めるので、先行研究でまとめる ように、在台日本人の性格は、「台湾はしょせん他郷の地で、骨を埋める安住の 地でないという旅人感覚や、金銭や商売が目的で狡さを働かせる功利的な一面、

そして時局や戦争に対する無関心さなどが露出されたといえる」102という批判的 な態度によって強烈に示される。却って、佐多稲子は在台日本人の動向を関心

そして時局や戦争に対する無関心さなどが露出されたといえる」102という批判的 な態度によって強烈に示される。却って、佐多稲子は在台日本人の動向を関心