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張文環「雲の中」と呂赫若「風頭水尾」

第四章 異色の大和桜―自己像を探す本島人作家

4.3 本島人の作品分析―『決戦台湾小説集』

4.3.1 言外の意味―醸しだされる作家の態度

4.3.1.1 張文環「雲の中」と呂赫若「風頭水尾」

若いときから渡日し、左翼組織「東京台湾文化サークル」に参加し、文芸誌

『フォルモサ』を発行した張文環は、帰台後も文学の事業に勤めて、西川満主 宰の『文芸台湾』と競り合った『台湾文学』を創刊した。彼の作品は、「ヒュー マニズムの手法と郷土文学の理念を借りた民俗的な手法と、暖かい気持ちで人 びとの庶民的な喜怒哀楽を描く場面が至るところに見受けられる」と評価する197。 一方、「(『台湾文学』)雑誌が機となつて臺灣文化に意のある人々が、今までの 趣味的な文化から一步前進して情熱と誠實のある臺灣文化の創造に活動するで あらうことを思ふと、私も何かした一種の樂しさをおぼえたのだ」198と賞賛した 同じく『台湾文学』の同人であった呂赫若は、台湾の土着の風習や伝統的家庭 を写実的に描き痛烈な社会批評となっており、完成度の高い作品が多いという のである199。彼の作風を言えば、詳しい叙述手法で人物と事件を描くのである200。 植民地文学の代表的批評家である葉石濤氏は、呂赫若を「社会主義リアリスト」

「己の主義に忠実な知識人」だと論じている。例えば、文学活動において慎重 であったので、たとえ『文芸台湾』のメンバーであっても作品を発表したりす ることを避けた。終始客観的な観察者に徹して妥協することなかったとしてい るという201。また、張文環に対して、葉石濤は「ヒューマニズムとは彼の文学で 最も重要な特質である。台湾人農民の悲惨な生活を描写するものによって、世

197 張恒豪「人道関懐的風俗画―張文環集序」『台湾作家全集・短編小説集/日據時代 張文環集』、 前衞出版、1991 年、p.10。

198 呂赫若「想ふまゝに」『台湾文學』1-1、1941 年 5 月、p.106-109。『日本統治期台湾文学文芸 評論集』第三巻、緑蔭書房、2001 年、p.413。

199 中島利郎編・著『日本統治期台湾文学小事典』、緑蔭書房、2005 年、p.118。

200 許俊雅「冷筆寫熱腸─論呂赫若的小說(節錄)」『臺灣現當代作家研究資料彙編 10 呂赫若』、

國立台灣文學館、2011 年、p.165。

201 葉石濤「清秋―偽装的皇民化謳歌」『台湾文芸』総第 77 期、1982 年 10 月、p.21-26。「徴用 作家たちの「戦争協力物語」―決戦期の台湾文学」、p.146-147 から引用する。

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界中における農民たちの慎ましさや素朴さを成功的に釈明する」202と言う。

理念を堅持し続けた二人の作品「雲の中」と「風頭水尾」で、前者は木材増 産の伐採人夫の生活にふれ、素朴な暮らし方を望んでいる人妻の願いをヒュー マニズムに溢れる筆致で描かれており、後者は「風頭水尾」という海風と塩分 の多い土壌で最悪な環境に直面して、智慧と勤勉で困難を克服していく農夫た ちが描写される。彼らの小説はまさに黄得時の言ったような「實生活の中に喰 ひ込んだものをどしどし書いてもらひたいもの」203だと認められる。伐採人夫と 農夫はともに国家の「聖戦完遂」要請に基づき、増産に邁進する「産業戦士」

の姿で現われるが、作品のなかに戦時期の緊張感にはほとんど触れなかった。

「雲の中」に巨大な樹木が伐り倒される場面で「嵐に堪へてきた古木の姿を一 瞬して、人間もしくは國家のために犠牲にすることは尊いやうな感じがして、

見るものをして神々しいものに打たれずにはゐられなかつた」(乾、p.167)と

「雲の中のこの世界が、遠い太平洋で戰つてる軍艦とは密接な關係があるのを 聞くと、一層たのもしく思つた」(p.167)204などの段落で戦争の関連性を提起す る。

1943 年、台湾において皇民化や時局に関わる作品が少なくなかった現象につ いて濱田隼雄は批判する。そしたら、多くの責問を受けた「本島人作家」の作 品は、国家の検閲を通過する理由は何だろう。例えば、張文環の他の作品に、

台湾における伝統社会の封建陋習や養女制度を批判するものがある。これは「皇 民化運動」の趣旨に通じるので通過したのである205。もう一つの理由は、『文芸 台湾』に掲載したエッセイを見てみよう。

私たちが、國民の旗手となつて、國民の美觀を指導するといふことは、藝術

202 『臺灣現當代作家研究資料彙編 6 張文環』、國立台灣文學館、2011 年、p.44。

203 黄得時「臺灣文壇建設論」『日本統治期台湾文学・文芸評論集 第四巻』、p.32。

204 本文で使うテキストは『決戦台湾小説集 乾之巻』、ゆまに書房、2000 年。以下には脚注を 省略する。

205 張修慎「1940 年代における台湾の「郷土意識」と柳宗悦:『民俗台湾』と『月刊民芸・民芸』

を通じて」、東亜人物移動と文化的多様性国際シンポジウム、台湾大学日本語学科、2011 年 6 月 11 日、p.5。

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家の最大の光榮であり、使命と思ふ。戰争の美もよし、産業の美もよし、農 の美もよし、風物の美もよし、戀愛の美もよし、傳統、歴史すべてよろしい。

藝術の全道徳を発揮することから、真の日本の藝術が生まれるのである。日 本の文學が生まれるのである。206

「唯一つ日本の民族の血から生へ、その中に深く毛根を張つた日本の文學を樹 立しよう」という目標を持った打木村治は、それぞれの類型に属される文学の 性格や独特性を認めるが、外地文學・地方文學などの名称を打破し旧体的思考 から離れるを主張する。つまり、「日本文学」を建設するために、張文環と呂赫 若が描写した山林の美、農業の美は日本人にとって受け入れられる客体となっ ている。

ただし、もしこの美は日本精神を象徴する「増産の美」として解釈できたら、

太平山、海や台風、乏しい水資源などの景色はいずれも台湾に根ざした風土感 を保っている。派遣地から戻ってきてから、作家たちは「派遣作家の感想」と いう文章を完成して『台湾文芸』に寄稿した。張文環の「増産戦線」では、山 で働いている人たちは厳しい環境で生活している様子を見て、山の人間と平地 の人間の隔りを記述する。

必要以外な感情に走れることはない。町が戀しいとか、寂しいとか、と言つ たやうな餘裕などは持つてゐない。たゞ目前に控へてる仕事をやつてのけな ければならないことだけで、頭が一杯になつてゐる。(略)平地にゐる人達の 神經が、いかに病的になつてゐるかわかるのである。餘りにも自己の感情に とらはれてゐるために、感情過剩といふ病気にかゝるものだ。207

世間から隔絶するところに生きている人々を詳しく観察して、張文環は一種の

206 打木村治「外地文學私考」『文芸台湾』3-6、1942 年 3 月、p.39-41。『日本統治期台湾文学・

文芸評論集 第四巻』、緑陰書房、2001 年、p.104-106

207 張文環「増産戰線」『台湾文芸』(台湾文学奉公会)1-4、1994 年 8 月、p.73-83。『日本統治 期台湾文学 文芸評論集 第五巻』緑蔭書房、2001 年、p.290。

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普遍的な人間性を体得した。静かな山での生活は静謐で寂しいが、平地の生活 は賑やかで焦燥感に駆られるのである。同様に、呂赫若の「風頭水尾」も都市 から離れている世界を描き、そのなかに農民たちが自給自足で暮らし、「社会主 義的農村ユートピア」208と見なしてもよい。要は、張文環と呂赫若の小説では、

人間が天地の一隅に存在する光景を描出されるのである。

『決戦台湾小説集』での作品は「改姓名の台湾人」を主人公にする場合があ るが、「雲の中」と「風頭水尾」の主人公は、山林伐採に従事する鄭水来の妻阿 秀、と謝慶農場の農夫徐華と農場の親方洪天福である。全文では、「姓名を変更 しない」点で主人公たちは「台湾人」という身分を示してくれる。

「雲の中」において、三種類の台湾人のイメージが作られる。一つは、日本 帝国の軍隊に参加する男である。鄭水来の友人の陳木根や事務員の阿旺は、阿 旺が海軍志願兵に合格してまもなく入団のことを討論する。「馬鹿云へ、戰爭に 行つたからと云つて、必ずしも死ぬとは限らないではないか」「いや、死ぬ覺悟 でなければ、日本兵士といへるか」(p.167-169)という対話からみると、帝国 のために戦死したことだけは「日本人」になる道だと当時の人が認められる考 えである。第二種は、都市の賑やかさを憧れる男である。特に水來は線路人夫 から事務員に上がった以後、妻の阿秀は婉曲的に自分の思いを流露する。「事務 員と云つたやうな紳士的な仕事よりも、阿秀はむしろ樵夫になつてもらひたい と希望するのである」「水來はかへつて妻のゐない町に出張するのをたのしんで ゐるやうであつた」(p.170)。言うまでもなく、第三種は「雲の中」の中に「純 朴な生活と雲の中の新鮮な空氣に憧れてゐた」ヒロインである。日本統治後期 に基本の国策の「工業化」「南進基地化」が提唱される雰囲気の中に、都市へ行 くことは流行っていた。女主人公は時勢とは反対側に立つのである。この決心 は張文環の自身の反映ではないだろう。「私の文學する心」の中に彼の思いを示 す。

私はただ、自分は現實を追ふ空しさをも知つてゐると同時に、夢の空しさを

私はただ、自分は現實を追ふ空しさをも知つてゐると同時に、夢の空しさを