國立臺灣大學文學院日本語文學研究所 碩士論文
Department of Japanese Language and Literature College of Liberal Arts
National Taiwan University Master Thesis
「日本人」に造形させられた台湾人
―太平洋戦争末期における「国策文学」の考察―
The Japanized Taiwanese: A Study on
Government Controlled Literature in the late WWII Period
侯紀安 Chi-An Hou
指導教授:陳明姿 博士 Advisor: Ming-Tsu Chen, Ph.D.
中華民國 104 年 6 月
June 2015
i
謝辭
台灣奔騰的山、海、與河。停駐在血管、脈絡、神經深處的記憶。
驀然回神,才發現自己竟把台大當作醫學院在念,一待就是八年。兩紙畢業 證書掂在手上,輕的彷彿不經意,卻重的佔去人生的三分之一。在學校的漫長時 光,感謝指導老師陳明姿教授,頑抗學生如我時常摸不著方向,萬分感謝老師不 吝給予許多機會,在關鍵時刻指出弊病所在,讓我終能完成這個重要階段。
謝謝如春風溫煦般的太田登教授,啟發我對日文閱讀及解讀文本的樂趣,並 持續鼓勵和給我最大的協助。由衷感謝兩位口試委員,黃翠娥教授和吳佩珍教授,
沒有教授們的犀利指點,這份論文就失去了向上進步的機會。十分感謝日文系教 授們和系辦的長期照顧,感謝法律系教給我冷靜又熱情的腦袋,也謝謝台文所和 台大眾多族繁不及備載的課程裡所累積的腦力激盪。
以及我的心靈支柱,相伴四年的洞友兼戰友─從共同樂趣一路戰到太陽花,
最終峰迴路轉回歸論文戰場。謝謝薇婷/妹兒、殷婕/禽獸、品宜/貴貴、鄒評/師 兄、婧芳/芳芳、勤文/文文、子芸/法納、伊涵/阿獎、愛珊、育青,特別致謝雯 琪協助校對英文摘要,以及廷瑋/女帝,感謝她溫柔並堅定的一雙手,指引我度過 幽谷重新發掘陽光。也謝謝研究所的佳辰學姊、瑋婷、宜欣、和大前輩辻桑。
謝謝兩位摯愛的親友。香港的君莉/阿月,地理條件無法阻擋我們相知相惜,
感謝她始終大力鞭策我不能半途而廢。以及思瑾/兔兔,許多時刻包容我天馬行空 畫著未來的大餅,讓我繼續勇敢的向前衝刺。
一個像風也像山的人。他的想法、文字和照片重新召回深藏心中對於台灣的 強烈眷戀及想像。謝謝鈞量/黑羊,最後時刻那些意識和攝影上的撞擊,毋寧是值 得紀念的陪伴。謝謝明謹/左盃,夢寐以求的兄長,各種方面讓我更自信堅強。
最後也最重要的,作為根深蒂固的文學院學生,從來不欠對於世界的幻想力,
但卻欠缺務實的經濟力。非常感謝爸媽的栽培,還有小弟吐槽與體貼兼容並蓄的 支持。謝謝遠在美國的貴英表姊,英文寫成的祝福沒被語言力阻隔,仍然很溫暖。
因緣際會,從第一天遇見這些存在於土地上七十年的故事起,那些重新複製、
影印在新開本上的印刷字體,難讀、難以辨識、不真的很好理解。擔在肩膀上,
很重。卻讓我飛翔。
ii
摘要
西元 1895 年,台灣成為日本帝國第一個殖民地。自此之後的五十年,台灣與日本共有 一段歷史經驗。殖民統治後期,從日中戰爭到太平洋戰爭,時局的動盪及隨之而來陷入泥 淖的戰局,迫使當時的台灣住民接受不平等待遇之際,面對另一項急迫的任務,亦即成為 為「皇國」奉獻心力的「日本人」。縱使戰爭的傷痛已逐漸消逝在歷史的洪流之中,身為後 人,面對歷史,追求正義,前提在於建立完整而客觀的史觀。為了從不同的角度理解「台 灣人」被形塑為「日本人」的文學形象,本論文以太平洋戰爭末期殊為流行的國策文學為 中心進行考察。
國策文學的範疇,特指符合官方政策理念,或直接由政府下令撰寫的作品。作品的選 定,首先劃分為「本島人」、「在台日本人」和「日本人」等分類標準。其中,並以《決戰 台灣小說集》、丸井妙子的《戰事的背後》、丹羽文雄的《台灣的氣息》及佐多稻子的《台 灣之旅》作為本次研究的分析重心。透過小說及隨筆兼具的文學類型、兩種民族,匯聚三 種不同視角的作家觀點,觀察作家在藝術與政策間如何取得平衡,以及戰爭時期作家如何 呈現眼中接受皇民化的台灣人樣貌。
藉由上述分析,推知兩點。第一、血緣本身即具有強烈的國家認同意涵,但地理空間 的移動或生活環境的薰陶,也影響作者本身在刻劃角色時的態度。本論文所選之作品中,
作者現身文本的比例較高,其意志也直接影響文本內容。因此,作者介入作品的象徵,可 視為內文中的「實像」;而其所創造之「台灣人」的角色,則可視為「虛像」。第二、在構 築台灣人要如何成為「理想的」日本人形象時,筆者試圖將其分為精神世界及肉體鍛鍊等 兩種方法。作者所選擇的切入點,也會反映其對於「台灣人」的「日本人化」此一問題的 理解。
關鍵字:國策文學、殖民地文學、日治時期、太平洋戰爭、皇民化、國家認同、文學形象
iii
要旨
1895(明治 28)年にて、台湾は日本帝国の初の植民地となり、母国の日本とともに歴 史経験を共有している。日中戦争から太平洋戦争に至るまで、台湾の住民は差別待遇の 問題を直面しざるを得なかった。それに、時勢の混乱と戦局の泥沼化によって、台湾人 は新たな任務を課せられ、すなわち「皇民」になり「皇国」のために戦争を協力する。
現在、戦争がもたらした創傷は時間の流れに従って癒していく。植民地歴史の後継者の 一人として、正義を求める前提は客観的な史観を樹立することだと考える。それゆえ、
異なる視点を導入して「台湾人」が「日本人」に造形させられたイメージを研究するた めに、本論文は太平洋戦争末期に流行っていた「国策文学」を中心として考察をはじめ る。
国策文学の作品を言えば、当局の政策や理念を符合するもの、あるいは政府の命令に よるものなどがある。作品を選ぶ標準が、「本島人」「在台日本人」と「内地人」という 三つのカテゴリの中に決定される。具体的には『決戦台湾小説集』、丸井妙子『たゝかひ の蔭に』、丹羽文雄『台湾の息吹』と佐多稲子『台湾の旅』として研究の重点を置く。小 説と随筆を通し、二つの民族から三つの視点を集め、芸術と政策との間に文学者がどう やってバランスをとるかを観察したい。また、戦争期において、作家の目に映る皇民化 を受けていた台湾人の様相をどう表現するかをも研究する。
上述の分析により、二点目の結論を導き出す。その一、文学者の血縁は国家への共感 と強い繋がりが存在するが、作者がキャラクターを描写している態度は、地理的空間の 中の移動や生活環境の要件に影響される。本論文で選ばれる作品で、作者がテキストの 中に登場する場合が少なくないと思うので、作者が介入する象徴は作品の「実像」と見 なして、創造される「台湾人キャラクター」は「虚像」だと推定する。その二、作品の 中にどうやって台湾人を「理想的」な日本人として構築されるかを検討するうちに、筆 者は「内面的精神世界」と「外側の肉体改造」の二種の方法をまとめる。文学者が決め る作法は、実に台湾人の「日本人化」という問題に対する認識を反映すると言えよう。
キーワード:国策文学、植民地文学、日本統治期、太平洋戦争、皇民化、アイデンティ ティ認識、人物造型
iv
Abstract
In 1985, Taiwan became part of the Empire of Great Japan as its first colony. For the people in the mother country and colony, they’d shared a common history for fifty years. However, during the final period of Japanese rule in 1937, Taiwan began with the eruption of the Second
Sino-Japanese War. Until the end of the Pacific War, the Taiwanese people were treated unjustly as the Colonial Government aimed at Japanizing Taiwanese society. They’ve tried to build the
“Japanese spirit”, the Japanese identity, and encouraged participation in the war effort. Even though the pain of war had been recorded in history, as one of colonial’s posterity, the pursuit of justice was our mission; and the premise was to build a complete and objective conception of history. In order to understand how the Taiwanese people were molded into Japanese likeness, this thesis focuses on the “Government Controlled Literature” which was popular during the later phase of the Pacific War.
Whether the works conformed to the nation’s policy or were written from the order of official authorities, they were a part of the Government Controlled Literature. The standards which I’d chose for the works of Government Controlled Literature divides the authors into three categories.
These are “Japanese”, “The Japanese who lived in Taiwan”, and “Taiwanese”. These works became known as: The decisive battle in Taiwan: collection of short stories, Behind the war by Marui Taeko,
The breath of Taiwan by Niwa Fumio, and The journey in Taiwan by Sata Ineko. By reading and
researching through novels, essays, and three additional perspectives of various authors, we could observe how these authors maintained the balance between arts and policies. Furthermore, we could explore how they’ve depicted the Taiwanese confrontation during the “Ko__
minka movement”.
According to the analysis, at first, blood relation was strongly connected to national identity.
But the movements in geographical space and different living environment became the overriding influences in these authors’ description of their characters. Therefore, the symbolisms used by these authors in their own works could be thought of as “real image”. Their created characters could be deemed as “virtual image”. Second, when analyzing authors in how to create the ideal Japanized Taiwanese, I’ve collected evidence based on two methods. The first is the analysis of the mind, and the second is physical reformation. After all, the methodologies the authors used in their work selections would reflect their understanding about Taiwanese’s Japanization.
Keywords: Government Controlled Literature, Colonial Literature, Taiwan under Japanese rule, Pacific War, Japanization, national identity, literary image
v
目錄
謝辭 ... i
摘要 ... ii
要旨 ... iii
Abstract ... iv
目錄 ... v
表目錄 ... vii
第一章 序論 ... 1
1.1 研究動機 ... 1
1.2 研究目的 ... 3
1.3 研究方法 ... 4
1.3.1 時期の設定 ... 4
1.3.2 作家の分類 ... 6
1.3.3 作品の選定 ... 8
1.4 先行研究 ... 13
第二章 膨張の帝国―理想像を探す内地人作家 ... 17
2.1「日本人」―意義の変容と優越性の完成 ... 17
2.2 戦時下の文学者動員 ... 24
2.3 内地人の作品分析 ... 28
2.3.1 丹羽文雄『台湾の息吹』 ... 30
2.3.1.1「勤行報国青年隊」と「文学者」 ... 31
2.3.1.2 台湾風土における日台の融和と競争 ... 36
2.3.2 佐多稲子『台湾の旅』 ... 40
2.4 結び ... 44
第三章 隙間の憧憬―日本に憧れる在台日本人作家 ... 46
3.1 在台日本人が台湾に暮らす様相 ... 48
3.1.1「台湾文化」を建設する意図 ... 48
3.1.2 文学作品に描かれる「在台日本人」 ... 52
vi
3.1.2.1 台湾と融和できない状況 ... 53
3.1.2.2 在台日本人の郷愁 ... 54
3.1.2.3 台湾住民に対する欲張りの挙動 ... 55
3.2 在台日本人の作品分析 ... 56
3.2.1 濱田隼雄「爐番」(『決戦台湾小説集』) ... 57
3.2.2 丸井妙子『たゝかひの蔭に』 ... 63
3.3 結び ... 69
第四章 異色の大和桜―自己像を探す本島人作家 ... 71
4.1 皇国思想と天皇制による「皇民化運動」 ... 74
4.2 日本人意識と台湾人意識の頡頏 ... 80
4.3 本島人の作品分析―『決戦台湾小説集』 ... 88
4.3.1 言外の意味―醸しだされる作家の態度 ... 94
4.3.1.1 張文環「雲の中」と呂赫若「風頭水尾」 ... 94
4.3.1.2 龍瑛宗「若い海」 ... 101
4.3.1.3 楊逵「増産の蔭に―呑気な爺さんの話―」 ... 109
4.3.2 苦悩の正体―押し付けられる時代の性格 ... 115
4.3.2.1 周金波「助教」 ... 115
4.4 結び ... 124
第五章 結論 ... 126
参考文献 ... 132
vii
表目錄
表(1.3.2) ... 8
表(1.3.3-1) ... 9
表(1.3.3-2) ... 12
表(3.2.2) ... 64
表(5-1) ... 127
表(5-2) ... 130
1
第一章 序論 1.1 研究動機
2015(平成 27)年、日本にとっていわゆる「終戦七十年」という象徴的な時 点が来た。第二次世界大戦が終わって以来、戦争責任・歴史認識などの問題が 繰り返して検討されているが、終始忌諱のような存在として認められる。1895
(明治 28)年にて日本帝国の領土の一部になった台湾は、植民地の身分によっ て、母国の日本とともに歴史経験を共有している。戦争がもたらした傷は人間 にとって最も直接かつ強烈であったので、現在の人たちはどのようにこの問題 を取り扱うか。王徳威氏は、歴史上に起こったさまざまな暴力と人間が持ち続 ける創傷について論じる。再現する可能性のない暴力と創傷に対して、私たち は哀惜の念を持って追念すべく1。因みに、歴史の流れは瞬くのように過ぎてし まうが、「正義」の追求を忘れはしない。その思弁も簡略化するものではないだ ろうかと考える。
さて、戦争に関連する文学は「戦争文学」と「国策文学」などがある。前者 は戦争の実相を描くものだというが、後者は国家・政府と民衆――特に文学者 を指す――との競い合いの結果だといえよう。時代の良さと悪さを問わず、作 家の本職は筆を尽くして書くことである。「支那事変」が勃発した二ヶ月後、「挙 国一致・尽忠報国・堅忍持久」の三大スローガンをめぐる「国民精神総動員運 動」が開始した。徴用された「ペン部隊」をはじめ、従軍作家は海外の戦場に 派遣されているところに、農民文学・生産文学・労働文学などの「国策文学」
も流行っていたので、文壇は戦時色の一色に塗りつぶされた2。一般的に捉えて、
この時期の作品は「文学性」が乏しいと批評されているに限らず、千篇一律の 内容、退屈で公式化の中身などマイナスの評価も少なくない。「政治に奉仕した」
趣きがしばしば味わえると思われる。それゆえ、作品は凡そ排棄され、遺忘さ れておる運命に打ち当たる。しかし、文学とは作家が世のありさまを見証した 記録だと考えよう。詩人の壺井繁治の言葉を引用したい。
1 王徳威『歴史與怪獣:歴史、暴力、叙事』、麦田出版、2004 年、p.6。
2 平野謙『昭和文学史』、筑摩書房、1975 年、p.229。
2
新体制がどんなものか、私には予測し難いけれども(略)ただ私たち文学に 携わっている者の一ばん恐れるのは、文学に対する政治乃至政策の機会的適 用です。文学・芸術というものは、ある意味で人間活動の中、最も贅沢なも のであるが、それが贅沢であるという点から無闇に政治の剪定鋏で刈り込ま れると花や実ばかりでなく幹まで枯れてしまうと思います。しかしどんな政 治でも人間の空想力まで絶滅することは出来ぬだろうし、今後の文学はそう いうほうこうにおいて、これまでとちがった美しい花が咲くだろうし、また 咲かねばならぬと思います。3
戦争期において、文学は立つ余地がようやくなくなり、まもなく「政治」の力 に覆い被されてしまうことを壺井繁治は予見した。が、このような文学に対す る信念は人間が困難や苦痛に向かった積極的な態度を現される。戦争を省みる ときに、文学作品はその影響および意義を理解する参考になるものだと思う。
ところが、「太平洋戦争」=「大東亜戦争」という歴史的な背景に引き戻して みると、戦線の拡大は当時の日本帝国に圧力を迫らせる。植民地の資源がそれ 以上有効的に利用され、人力の動員を最大限に広げられる日本政府にとって、
「台湾人」を一刻も早く「日本人」に改造するのは急務の課題となった。ひい て、いわゆる「皇民化運動」は展開し、台湾人がまるで泥人形のように造形さ せられた。「国家」への忠誠心の再構築は、「アイデンティティ」の再認識の問 題を起こさせる。新たな「日本人アイデンティティ」を造って国民統合を図る ために、国語教育と文化改造運動などの施策が採用された。台湾人に単なる「日 本」への帰属意識を要求させるだけではなく、台湾の漢民族が抱いた中国への 思慕、あるいは成形中の台湾意識を排除することなどは、日本政府が面した挑 戦に含まれる。人間は社会的動物であり、アイデンティティ認識とは人格の構 成において極めて重要な部分である。被植民者としての台湾人は自分自身で「日 本人」を受け入れるかどうかの問題に迷っているが、実は対外的にこの身分を 拒否する隙間がほとんどなかったようである。一方、植民者の日本人は支配者
3 これは『日本学芸新聞』(1940 年 8 月 10、25 日)から「新体制と文学」のアンケート調査で 掲載される壺井繁治の考えである。桜本富雄『日本文学報国会 大東亜戦争下の文学者たち』(青 木書店、1995 年)から引用する、p.12-13。
3
の立場で、新しい領地における新しい「国民」を観察する。二つの民族の視点 は同じ目標の「台湾人」に集中してから、文学上にどんな効果を生じたのか。
太平洋戦争をめぐって歴史的葛藤は東アジアの国にとってまだ解決のきっか けを待っているのである。台湾はその一環に属され、しかも統治者の変遷を遍 歴している。台湾のジャーナリズムにおいて「皇民化」や「日本人化」という のは政治的なキーワードとして考えられる。客観的にこの問題を歴史の本質に 戻して検討したい。「植民地」台湾の後継者である私たちは「正義」を求める必 要があると考えながら、異なる立場で「正義」を詳しくて深く理解することも 欠かせないと思う。
1.2 研究目的
新しい政権の移入は、常に上層的な統治基盤に解体を働きさせる。同時に、
定着された民族の組成と文化の結構も大きな衝撃を受けられた。日本統治期を 含め、鄭成功の台湾占拠や清の併合という支配者は台湾で政権を建てるときに、
台湾住民に対して共同の政治的集団意識をも要求する。
植民地時代に、日本人を加え、複雑な民族で共同体を形成していたが、島内 に大多数を占めている漢民族は相当的な文化的発言権を握っていた。植民政策 の抑圧のもとに多くの知識人は漢文化アイデンティティを根強く抱き、中国を 文化と歴史の「故郷」と見なした「祖国意識」を持っていた4。一方、「台湾人」
アイデンティティの登場も頻りと起こった抗争や文化運動に連動していた5。そ れゆえ、文化上の誤解は日本統治末期にいたるまで続いていた。時は太平洋戰 爭に入った後、台湾は神聖かつ重要な「南進基地」「南方の鎖鑰」となったので、
植民者と被植民者の衝突は戰爭によって表面的に中止された。台湾人は、心を 天皇に捧げて聖戦に献身する物心両面に動員された結果と逆転した。
こういう現象は台湾の文学史上一つの特殊な時期を創出する。台湾人を完全 なる「日本人」に改造させられる皇民化運動の展開は、「国策文学」の中に散見 される。日本帝国が樹立する理想的な「日本人」の標準を達成しようとした「台
4 黄俊傑『台湾意識と台湾文化―台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷』、東方書店、
2008 年、p.102。
5 若林正丈『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』、筑摩書房、2001 年、p.53 。
4
湾人」キャラクターは、台湾人と日本人作家は各々の立場をもって描き上げら れる。元々文学とは、文学者が自由的な発想を発揮し、独特な活気と生命力を 擁するものである。国家権力の干渉をはじめ、戦争の破壊は外部の世界ばかり か人間の内面に侵入し、作品の内容は実質的に国家の政策に影響されてしまっ た。これこそ文学に薀蓄されている自由の精神と創造力が潰された原因である。
弾圧事件が頻発していた高圧的な時期に、国策の頸木から脱されない日台文学 者は思想上の混乱期に入った。これを前提として、文学者は帝国に徴用されて 民衆に国策を伝える任務を務める。検閲制度の制限下で、宣伝の任務を全うし ようとする一方、自らの文学的な理想を完成したいという進退両難に処する作 家たちにとって、両者のバランスをいかに保つのは、時代からの質問だと思う。
天皇の輔弼を目的とした新体制運動が急進的に展開しているところに、「バス に乗り遅れるな」という流行語が現れた。文学者は余儀なく国家の動向と一致 する立場を示さざるをえなかった。時代の行き詰まりを直面して、国家政府の 方針と個人の理想との衝突は如何に妥協したり調整したりした過程を跡付ける ことによって、文学の産出をまず理解する。そして、本論文の目的は、政治性 を内包され、従来無視されている戦時下の「国策文学」を選び、太平洋戦争末 期の作品に「日本人」に造形させられた「台湾人」のイメージを中心に討論す る。「台湾人」の「日本人化」という歴史の事実は台湾人作家の他に、統治者の 日本人作家の目線を含めて考察することを試みる。
1.3 研究方法
1.3.1 時期の設定
初の海外領土になった台湾をはじめ、中国・朝鮮や南洋諸島などのところが 次々と軍国主義の道に歩んでいた日本の支配範囲に画された。1931(昭和 6)年 から発端した満州事変としてはじめられ、日中戦争・アジア太平洋戦争を経て、
1945(昭和 20)年終戦にかけての一連の戦争について、鶴見俊輔は「十五年戦 争」と呼ぶ。連続していた戦争によりて、明治維新後の日本は壮大な国勢がう かがえるが、全国のあらゆる方面がはなはだしく影響された。中国との衝突が 勃発してから、日本国内において排外主義的・軍国主義的なブームはだんだん
5
溢れてきた。戦争支持の意図が含まれているプロパガンダが流行し、新聞とラ ジオなどのマスコミは特定的な言論・報道を編成したり、操作したりして、一 方向的な大量伝達を用いた。全国は熱狂的な雰囲気に引きこまれ、しかし戦争 が予想外に十数年を伸びていて、厭戦情緒は醸されてきた。
1941(昭和 16)年 12 月 8 日、対米英戦争は日本帝国のマレー半島・真珠湾に 集結しているアメリカ太平洋艦隊への奇襲攻撃で始まった6。これは歴史上に周 知の「アジア・太平洋戦争」の緒戦である。支那事変を含め「大東亜戦争」と 呼称する公的な立場が宣布された7。第二次近衛内閣が提出した「基本国策要綱」
と大東亜共栄圏確立を図る「大東亜新秩序建設」の根本方針は遂に全面的に実 行され、日本帝国主義はアジアモンロー主義的膨張の最終的実現へ突き進んだ8。 大東亜共栄圏の構想とは、共栄圏内の諸民族自身の繁栄と安定を目標とし、ア ジア共存共栄の関係を構築する姿勢を示されるが、実は日本の自存圏と防衛圏 を確立してほかの地域を資源供給地域とみなすことを骨子としてスタートした と考えられる9。こういう「帝国主義的事実と民族親和という理念の矛盾」10か ら生じた厳酷な現実のもとに生き抜いていた人間は、惨烈をきわめる悩みを抱 き続けていた。
日本帝国の国民は真珠湾攻撃の大勝利に沸きに沸いて、これから逆転の惨敗 とは予期しなかった。「撃ちてしやまむ」という決戦標語が出来上がられたとい うものの、アメリカの「カエル跳び作戦」と呼ばれる戦略の成功と伴い、戦況 が悪化しながら、南西諸島・台湾は 1944(昭和 19)年 10 月に空襲された。マ スコミから敗戦の様子を全面的に隠蔽され、事実をほとんど知らない作家はな おさら文学統制の圧力を受け、1945 年 8 月に終局的な結末を迎えた。
太平洋戦争が幕切れとなるまえの段階において、米英への敵愾心に基づいた 国民皆兵のアトモスフィアはいよいよ消えてしまい、生活上の不便、間近に迫
6 『日本文学報国会 大東亜戦争下の文学者たち』、p.5。
7 大東亜戦争という呼称は、敗戦後日本占領政策を実施した連合国総司令部(GHQ)によって 公式に使用することを禁じられた。戦争目的であった大東亜共栄圏の建設が日本の侵略を隠蔽す る仮面であったことを明確にする意図で、現在は「太平洋戦争」「アジア・太平洋戦争」などが 一般に通用している。同上、p.5。
8 江口圭一『十五年戦争小史』、青木書店、1988 年、p.174。
9 鈴木麻雄「大東亜共栄圏の思想」『近代日本のアジア観』、ミネルヴァ書房、1999 年、p.259。
10 同上、p.258。
6
っていた戦禍など、厭戦的な無力感が帝国の隅々に籠もっていった。民心が離 れるおそれがあったゆえ、国民的統制がいっそう強めた。本論文で研究したい 作品は 1943-1945 年間に出版されたものにする。創作の動機、キャラクターの 特色やテキストの内容は基本的な分析の項目であるが、この時期の作品は「戦 時色」に染められたので、作家と国家・検閲制度・パトロン、作家と読者との 間に横たわる複雑な関係が観察できる11。それに、作家の意図と作品の中に表現 してあげたい価値や理念が太平洋戦争から惹起した歴史背景との結びつきもか なり強いと思われる。
1.3.2 作家の分類
日本統治期における台湾で、台湾人(特に漢民族を指す)、台湾で暮らしてい た日本人、日本から台湾に旅をした日本人という三種類の人間は文学的遺産を 残した。
まず、法理的に言えば、台湾人は日本の植民地になってから日本国籍を持っ ていた。「日本人」と呼ばれでも誤りはないである。しかしこのような国籍の変 更は人為的な要因が大きかった。「台湾領有」の幕が正式的に開けると、漢民族 の武装闘争はひっきりなしに 1910 年代までに至った。台湾の原住者は異族の日 本人の統治を反抗する一方、被植民者としての差別待遇をも拒否する。が、台 湾総督府の政権が確立し、統治の基礎が安定しつつあったことを伴って、国語 教育の浸透、戦争がもたらした動員などの原因で、台湾人の内部にアイデンテ ィティ認識がついに変化していた。さらに「皇民化運動」の登場は台湾人にと って「私は誰だろうか」という苦悩の頂点だと言えよう。この悩みは単なる日 本帝国に対する抵抗意識に基づいたものだけではない。「日本人はずなのになぜ 台湾人として生まれたか」という「劣等感」によって引き出された可能性もあ る。以上のような細かい心緒は文学に反映しているときに相当的に幽微である ため、解読することはあまり容易くないと認められる。
そして、台湾人の場合とは異なって、大和民族の血が流れている「日本人」
11 フィックス「徴用作家たちの「戦争協力物語」―決戦期の台湾文学」『よみがえる台湾文学―
日本統治期の作家と作品』、東方書店、1995 年、p.137。
7
は生来帝国の臣民であった。先天的な優勢を保っている「日本人」は、帝国の 勢力範囲内では「日本人」の模範として、「日本人」を評価する標準をどう創出 したのか。また、日本帝国に付属していた周辺地域の人びとが「我が族」の一 員になろうとする意図に対してどう考えたか。前述の台湾人とは反対の立場で、
しかも支配者的な位置からみると、「台湾人が日本人になった」問題を討論する ときのヒントだと考える。では、日本本土の日本人のほかに、台湾に暮らして いた日本人の場合はどうだろうか。台湾の風土や人間に密接で頻繁な接触して いたうえで、国家に対する共感は依然として母国の日本に強く繋がっている。
戦争が招いた混乱を加え、生活していた土地と民族の連繋という両者の隙間に 自己の定位を探して確かめることは、台湾にいた日本人の課題だと思う。
台湾人と日本人の作品を選ぶまえに、まず作家を「台湾人」「日本人」「台湾 に暮らしていた日本人」という三つの範囲に区切られる。なお、なるべく歴史 の現場に接近しようとしたが、歴史的呼称を使う。当時、日本の国土を内地と 外地に区分する習慣があった。内地とは、国家全体のために制定された法規が 原則として当然行われる地域といい、具体的に言えば本州、四国、九州、北海 道、沖縄をいう。これに対して、外地とは日本の統治権は完全に実施されるが、
前述の法規が行われず、地域のために特別に制定された法規が一つの体系をな して行われる地域であり、朝鮮・台湾・澎湖島・樺太・関東州・南洋群島を指 す12。それにより、本論文では、植民地台湾に来た内地の日本人は、「内地人」
と呼ばれる。そして、植民地政府は台湾人を簡単に「漢人」と「蕃人」に分け られるが、正式的な呼称は「本島人」と「高砂族」である。ここでは「本島人」
の作品しか限定されない。最後に、日本統治期における台湾文壇で、「本島人」
との競い合う対象は「台湾をいどころとする日本人」は「在台日本人」として 称される。表(1.3.2)のようにまとめる。
12 百瀬孝著、伊藤隆監修『事典 昭和戦前期の日本:制度と事態』、吉川弘文館、1990 年、p.3-4。
また、本書で引用される中村哲「植民地法」(『講座日本近代法発達史(5)』(勁草書房、1968 年、
p.178)の見解は、外地という言葉は植民地という刺激の強い言葉を避けるためのものである。
8
台湾 日本/内地
本島人 在台日本人 内地人
表(1.3.2)
1.3.3 作品の選定
「本島人」「在台日本人」「内地人」の三つのカテゴリが確定され、作品の選 定は「国策文学」という基準に依拠して考える。つまり、内容には国家の影響 力が留められる痕跡を注目する。日中両国の衝突が長期間の戦争に変ってから、
戦争文学は時勢にしたがって現われ、その担い手が「戦争体験者」だと言われ る。軍隊体験者、従軍体験者(報道班員・記者・看護婦・軍属など)のほかに、
「銃後」も重要な分類の一つである13。例えば、旧プロレタリア作家、気鋭の中 堅・新人、兵隊作家など全文壇を網羅して国策推進を展開した文芸銃後運動に よって国策文学の活発な動きが見せる14。戦線の後方にある「銃後」は戦争に直 接的に参加していない国内の国民のことを指す。戦場で起こったさまざまな殺 戮や破壊の様相を描かれている作品ではないが、銃後で完成した文学は国家の 施策や方針を伝達する特色がある。国家・民族への団結と帰属意識を繰り返し て強調する精神的な宣伝戦という効果において、国策文学は当局にとって戦時 下に不可欠な武器だと言えるだろう。
さて、台湾を研究の中心としたので、「国策文学」以外にまた他の要件をあわ せて考える。第一に、当時、台湾のところどころは戦争によって渦巻かれた。
場所に限られたより、台湾を廻して各地の状況を描かれた作品のほうが戦争の 破壊力を全面的に理解できるだろう。第二に、軍需産業が盛んになり、都市と 工場は戦争の雰囲気がいちばん濃かったが、実は各産業を含め、戦時下におい て大規模な人力の動員は農村や山村まで及んでいた。それゆえ、作品のなかに、
帝国の建設を務めていた人びとが注目されるところに置くはずだと思う。第三 に、国家が文学者に向かって強制的な態度は「派遣作家」の出現で示唆する。
13 長谷川泉「「戦時下の文学」の構図」『国文学 解釈と鑑賞』48(11)、至文堂、1983 年 3 月、
p.7。
14 都築久義「国策文学について」『国文学 解釈と鑑賞』48(11)、至文堂、1983 年 3 月、p.13。
9
自由に題材を選ぶ権力は奪われ、あるいは特定の目的のために書くことを強要 される。内地人作家が日本から帝国の領地に派遣され、本島人が皇民奉公会に 組織されて作品を完成したのは、この現象を反映する。
では、以上の条件をまとめてみると、『決戦台湾小説集』、丸井妙子の『たゝ かひの蔭に』、丹羽文雄の『台湾の息吹』と佐多稲子の『台湾の旅』という四つ の作品を選んだ。
『決戦台湾小説集』は台湾文学奉公会と総督府情報課の主導で七名の本島人 と六名の在台日本人の作家を集めて仕上げた短編小説集である。作家たちは戦 時生産の際に鉱山・油田・工場・農場、公用地や山岳地帯、鉄道などのところ を訪れた。現場で一週間に工員・船員・坑夫とともに生活し、その体験を素材 として用いられる。この計画で募られた作家は異なる出身であった一方、大抵
『台湾文学』と『文芸台湾』という対立的な文芸団体に所属された。互いに対 峙していた関係があったが、官庁の命令に順従して一同作品を発表した。本来、
両者の間に存していた民族・作風・イデオロギーなどの差異は『決戦台湾小説 集』の機にして繋がって、「国策文学」という大きな枠組みで共存した。その複 雑性は、本島人と在台日本人が同じく日本帝国に対する帰属意識を討論すると きに参考に値する資料だと思う。
なお、『決戦台湾小説集』では小説が十一篇、詩が三篇。表(1.3.3-1)で作 者・作品・発表時間と掲載機関を示す。
決戦台湾小説集〈乾之巻〉台湾出版文化株式会社、1944.12.30 決戦台湾小説集〈坤之巻〉台湾出版文化株式会社、1945.1.16
【小説】
巻 作者 作品 発表時間 掲載機関
乾
濱田隼雄 炉番 1944.7.15 『台湾時報』294 号 高山凡石
(陳火泉) 御安全に 1944.8.13 『台湾文芸』第 1 巻第 4 号 龍瑛宗 若い海 1944.8.10 『旬刊台新』第 1 巻第 3 号 吉村敏 築城の抄 不明 『台湾文芸』不明
張文環 雲の中 1944.11.10 『台湾文芸』第 1 巻第 5 号 河野慶彦 鑿井工 1944.11.10 『台湾文芸』第 1 巻第 5 号 坤 西川満 幾山河 1944.8.1 『旬刊台新』第 1 巻第 2 号
10
周金波 助教 1944.9.20 『台湾時報』296 号
楊逵 増産の蔭に 1944.8.13 『台湾文芸』第 1 巻第 4 号 新垣宏一 船渠 1944.11.10 『台湾文芸』第 1 巻第 5 号
呂赫若 風頭水尾 1944.8.25 『台湾時報』295 号
【詩】
乾 西川満
石炭・船渠・道場
〈戦争と勝利の結晶石〉
〈この一刻を〉
〈斗六国民道場〉
1944.8.20 1944.9.18 1944.11.10
『台湾新報』
『旬刊台新』第 1 巻第 7 号
『台湾文芸』第 1 巻第 5 号 坤 長崎浩 山林詩集 1944.11.10 『台湾文芸』第 1 巻第 5 号 楊雲萍 鉄道詩抄 1944.11.10 『台湾文芸』第 1 巻第 5 号
表(1.3.3-1)
小説集の全体を通して、「邪悪な米英」を打倒し、皇民錬成を行われ、日本のた めに奮起する精神を宣伝する。詩を除いて十一篇の小説の中に「台湾人」がど のように「日本人」として生きている姿を描写する六篇を選ぶ。本島人の部分 は、龍瑛宗の「若い海」、張文環の「雲の中」、楊逵の「増産の蔭に」、呂赫若の
「風頭水尾」と周金波の「助教」がある。そして、在台日本人の部分は、濱田 隼雄の「爐番」にする。
次に、丸井妙子の『たゝかひの蔭に』も在台日本人の作品に属される。決戦 下の増産現場へ派遣された作家のなかに男性だけではなく、ほぼ台湾全島を跋 渉し、金爪石鉱山・材木伐採の太平山・移民村・青年錬成所などのところに行 き、体験をルポルタージュとして発表した女性がいった。丸井妙子は「決戦台 湾随筆集」15と呼ばれる『たゝかひの蔭に』において、同じく戦時下の産業現場 の様子を描き、彼女も女性の目線で、銃後種々の女たちの生活を特に書いてあ った。
『たゝかひの蔭に』は『決戦台湾小説集』とは違って、日本総督府情報課や 台湾文学奉公会の命令で完成させた文学作品ではなかった。しかしこの作品は 政府との間に深い関係が存在する。1943(昭和 18)年 12 月、当時の長谷川清総
15 中島利郎『日本統治期台湾文学集成 17 台湾随筆集三』の作品解説では、「女性が描いた「決 戦台湾随筆集」―丸井妙子『たゝかひの蔭に』ついて」からに借りた言葉。『決戦台湾小説集』
の作家派遣で張文環は太平山を訪れ「雲の中」を書き、高山凡石(陳火泉)は金爪石鉱山に派遣 されて「御安全に」を書いた。丸井妙子も同地に訪れておったので、「決戦台湾随筆集」といえ ようと中島氏は考える。p.579-583。
11
督は丸井妙子を接見し、しかも出版するときに「麗筆繪蓬莱」という題字を送 った。また、本の序言も東洋大学学長で日本文学報国会の評論随筆部会会長の 高嶋米峰が書いたものである。国家の最高権力者や国策の執行者に関連してい たことからみると、作品の中身が国家の方針に符合して認可されたはずである。
そして、作家の政治的立場も比較的に明らかであったと言えよう。
主題・取材・内容上に言えば、『決戦台湾小説集』は『たゝかひの蔭に』と同 時に類似点を持っている。作者たちは関心した対象が主に戦時下の庶民であっ た。「産業戦士」として働いている様子を生き生きに描いたことに加え、文学者 もキャラクターを借りて自分の立場を示した。ところが、作家が創作するまえ の自主性を言うなら、前者が受動的、後者が能動的だという相違点もあるが、
この二作の国策の色彩が強烈であった。
そして、台湾が日本の植民地になってから、内地人は記した紀行、随筆や小 説などの作品が少なくないである。戦争が勃発以来、文学者はほとんど「文芸 講演会」の理由で来台した。佐多稲子は 1942(昭和 17)年に豊島与志男・浜本 浩・村松梢風らとともに台湾に行った。翌年、丹羽文雄は文学報国会「台湾支 部」の設立で日本文学報国会の事業部長戸川貞雄、庄司聡一と日本文学報国会 及び皇民奉公会台北支部が催した「文学報国講演会」に参加した。彼らは総督 府の仲立ちで台湾全島を遍歴して、林献堂や楊逵などの有名人と会面し、皇民 化運動の最中の台湾印象を各自の観点で記録した。その後、『台湾の旅』と『台 湾の息吹』は『台湾公論』で連載して出版した。
本島人と在台日本人のセクションと比べて、内地人の部分で選ばれる作品は 同じく「大東亜戦争」の雰囲気に籠もられた台湾に暮らしていた人間や社会現 状に対して鋭敏な観察が提出される。また、佐多稲子と丹羽文雄は植民地を訪 問した理由は軍部の文学者動員計画によって促される。台湾以外に、二人の作 家は派遣作家の身分でいろいろな海外の戦地に遊歴した経験があった。国家か ら渡してきた宣伝の任務を負いながら、国家意識の有無や強弱も彼らにとって
「台湾人」のアイデンティティ認識問題に影響を与えたと推測できよう。
表(1.3.3-2)に用いて、三つの分類と作品をまとめて示す。
12
本島人 在台日本人 内地人
『決戦台湾小説集』
龍瑛宗「若い海」
張文環「雲の中」
楊逵「増産の蔭に」
呂赫若「風頭水尾」
周金波「助教」
『決戦台湾小説集』
濱田隼雄「爐番」
丹羽文雄
『台湾の息吹』
丸井妙子
『たゝかひの蔭に』
佐多稲子
『台湾の旅』
表(1.3.3-2)
『決戦台湾小説集』と『台湾の息吹』は小説の範疇に属され、『たゝかひの蔭に』
と『台湾の旅』は随筆に近いと考える。植民地統治の小説はどんな特色を持っ ているか。朱恵足氏の見解で、当時の台湾社会は帝国主義や植民主義など多様 なイデオロギーに充ちていた。この時期の小説における虚構性は、言葉以外に 隠された種族、性別、階級など不平等に基づいた権力關係を表す16。つまり、小 説とは、文学のジャンルの中に虚構性が相対的に高いものとして、直接的に作 家の理念を表現するのではない。小説の想像力、政治に関わるイデオロギーと の關係は、作品の内部をめぐって考察しなければならない。そのため、本論文 に取り上げる小説で「台湾人」が造形させられた「日本人」のイメージを分析 するときに、作者とキャラクターに繋がって考えることや、両者を分けて討論 することができる。それに比べて、随筆の場合は主に第一人称で書かれるもの なので、作品の内容が作者の本来の意図や理念を反映し、「台湾人」に対する描 写も作者の観察や反芻した結果によって展示されると考える。
また、テキストのほかに、「官庁出版物」もかなり重要な参考資料だと思う。
例えば、皇民奉公会の情報機関誌『新建設』、台湾文学奉公会編集・出版の機関 誌『台湾文芸』17。それに戦時下の体制に即応するため、台湾総督府は『台湾日
16 朱恵足『「現代」的移植與翻訳:日治時期台灣小說的後殖民思考』、麦田出版、2009 年、p.19。
17 1943 年(昭和 18)11 月 13 日、台湾市公会堂(現中山堂)において、台湾文学奉公会主催、
台湾総督府情報課、皇民奉公会中央本部、日本文学報国会後援で行われた「台湾決戦文学会議」
では、台湾の二大文芸誌『文芸台湾』『台湾文学』が共に停刊した後、完全に公的な立場に立っ た『台湾文芸』は創刊された。
13
日新報』『興南新聞』など台湾の六大新聞18を統合され、「国民をして弥やが上に も戦意を昂揚せしめ、必勝信念の推進と確保」という目的で官許の『台湾新報』
を出版した。台湾新報社もまだ『旬刊台新』の旬刊雑誌を発行した。政治家の 発言、官庁の文書、国家の立場を支持していたマスコミの報道などの資料は「国 家の語る言葉」と認められており、「厳密には『現実』そのものではないが、い わば言説が『現実』に影響をあたえる接点として重要である」ので19、この資料 をも考察の一部にする。
以上の文献は政策主体の「公文書」の性質を帯びたので、その時の人びとが 対面していた困難、緊張、不安定な社会の情勢を理解するときに役に立つ資料 だと考える。というわけで、民間の文芸誌(例えば『文芸台湾』『台湾文学』『台 湾芸術』など)に掲載される評論・散文、作家自身の文章・エッセイなどは、「作 品」以外に文学者の意向を示した著述をも参考にする。こうして、できるだけ 公的や私的な資料を両方ともに備える。
1.4 先行研究
文化人が政局に圧迫された境遇、台湾人の「日本人アイデンティティ」認識 の変化と台湾人が作品におけるイメージは、本論文では討論したい課題である。
その課題を分析するために、先行研究では三つの方向性に分けて考えてみよう。
それは「時代背景」「国家意識・アイデンティティの形成」と「テキストの分析」
である。
まず「時代背景」の部分からはじめる。日本統治末期において台湾文壇は戦 争にもたらした激変を迎えた。李文卿氏の『帝国想像―戦争期の台湾新文学』20 と柳書琴氏の『戦争と文壇-日本統治末期の台湾の文学活動(1937.7-1945.8)』21 は文学者が向かい合った「文学の夜」22をはじめ、1940 年代に停滞してしまった
18 六紙は『台湾日日新報』『興南新聞』『台湾日報』『高雄新報』『台湾新聞』『東台湾新聞』。
19 小熊英二『〈日本人〉の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』、 新曜社、1998 年、p.13。
20 李文卿『帝國想像―戰爭時期的台灣新文學』、国立台湾文学館、2012 年。
21 柳書琴『戰爭與文壇―日據末期台灣的文學活動(1937.7-1945.8)』、国立台湾大学歴史研究所 修士論文、1994 年。
22 龍瑛宗「ひとつの回憶、文運ふたたび動く」『台湾新民報』、1940.1.1。支那事変の勃発によ って、1920 年代から 1930 年代にかけて成熟するようになった台湾文壇は前景が黒くなり、つい
14
台湾文壇が甦ってきた契機を探求する。例えば、両氏は「大東亜戦争」「大東亜 共栄圏」と「大政翼賛運動」など時代の波瀾に、極めて巨大な越境的「国家権 力」の影響下、日台の文学者は風前の灯火のように文学の道を堅持していたこ とを注目する。そして『文芸台湾』と『台湾文学』の二大文学団体の競争につ いて、柳氏が集団と国策との関係を明らかにし、集団内の作家が「戦争」を全 般的に受け入れたか、あるいは排斥しながら利点を利用したかを分析する。一 方、1930 年代以後国語教育の成果がだんだん現れたので、李氏は「戦争協力」
の問題について、インテリゲンチャが国家に対する帰属意識も曖昧になった現 象を着目し、「皇民作家」の出現にしたがって本島人の文学者を分類することを 試みる。両者の研究は戦争期の歴史事件と文化上の連関性を重んじて、政局の 変遷と文学者の対処に焦点を絞っている。作品を細かく分析する部分はないよ うであるが、戦争における歴史的脈絡、文学者に及ばしていた影響を把握する ために重要な研究資料だと考える。
次に、「国家意識・アイデンティティの形成」について、荊子馨氏の研究『日 本人になる―植民地台湾とアイデンティティ形成の政治』23をあげたい。荊氏の 問題意識は二つがある。第一に、日本帝国が自国の植民地理論を構築して実践 していた。その過程に被植民者が如何に「日本人になれ」を迫られるか。第二 に、台湾人にとって「日本人になる」という選択肢を除けば、ほかの政治的な アイデンティティ認識の形式が存在していたか。この問題を解明するために、
荊氏は「同化」と「皇民化」の統治手段を区別する。「同化」の理論の中に、日 本政府は被植民者の台湾人を改造する責任を担うはずだったが、「皇民化運動」
に移ると、アイデンティティ再認識している際に、種々の苦悩や衝突を内面さ せる責任を受け取るのは被植民者になってしまった、と氏は主張する。つまり、
一般的な「同化政策」の路線を継承している「皇民化」に独立させて、個別的 な研究の範疇として見られる。また「皇民文学」を創作している台湾の「協力 者」(collaborator)(周金波・王昶雄・陳火泉など)の著名な作品を取り上げ、
「日本人になる」問題を考慮したうえで、現在の研究者が作品を評価するとき
に文学活動の空白期間を迎えた。作家たちは発表の舞臺をだんだん失ったが、龍瑛宗が台湾文学 の復興に対して深く期待していた。
23 荊子馨『成為日本人:殖民地台灣與認同政治』、麦田出版、2006 年。
15
に「政治的に正しい」思惑を混ざられている現象を批判する。
荊氏は日本帝国の植民主義における「同化」政策のなかの矛盾性を分析し、
日本伝統文化のなかに「同化」という概念の存在が認められる理由を述べる。
そして、「皇民化」と戦争動員との接点が考察され、「台湾人」が「日本人にな らなければならない」と焦っていた様子ことから「皇民化」とは一種のイデオ ロギーだと見なされる。しかし、以上の議題に即して、日本人の思想上の転換 は荊氏の研究で欠落し、また本島人の作品に触れたとき、他の研究者の盲点を 提出し、必ずしも「作品」の完全なる分析ではないと考える。本論文ではテキ ストを主な研究対象として氏の研究方法を参考する一方、日本人がどんなキャ ラクターを演じているのかをもっと探究したい。
その他、帝国日本の植民地という大きな範囲で「日本人」の境界を討論する のは小熊英二氏の『〈日本人〉の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配 から復帰運動まで』24がある。尹健次の『日本国民論―近代日本のアイデンティ ティ』25と『民族幻想の蹉跌―日本人の自己像』26では、「日本人アイデンティテ ィ」の概念が帝国の拡張とともに帝国領地の人間に影響させていた現象を観察 する。前述の荊氏は「帝国」が「台湾島内の住民」に「日本人アイデンティテ ィ」の意識を強要していた図式を探求するが、後者の研究は「日本人アイデン ティティ」は「外地」と「大東亜共栄圏」によって変遷してきた様相を考察す る。本論文は二つの見方を同時に考えたい。
第三、日本統治末期の国策文学を研究する論文が多くないと言えようが、本 論文で取り上げられるテキストに関する研究は、中島利郎氏の「日本統治末期 の台湾文学―台湾総督府情報課編『決戦台湾小説集 乾之巻/坤之巻』の刊行」27、 ダグラス・L・フィックス氏の「徴用作家たちの『戦争協力物語』―決戦期の台 湾文学」28、廖秀娟氏の「丹羽文雄『台湾の息吹』論」29と許麗芳氏の「植民時
24 同注 18。
25 尹健次『日本国民論―近代日本のアイデンティティ』、筑摩書房、1999 年。
26 尹健次『民族幻想の蹉跌―日本人の自己像』、岩波書店、2011 年。
27 中島利郎「日本統治末期の台湾文学―台湾総督府情報課編『決戦台湾小説集 乾之巻・坤之 巻』の刊行」『岐阜聖徳学院大学紀要 41 巻』、岐阜聖徳学院大学、2002 年、p.1-21。
28 ダグラス・L・フィックス「徴用作家たちの「戦争協力物語」―決戦期の台湾文学」『よみが える台湾文学 日本統治期の作家と作品』、東方書店、1995 年、p.131-165。
29 廖秀娟「丹羽文雄「台湾の息吹」論」『解釋』一・二月号、2012 年 2 月、p.30-38。
16
空下の多重視点―佐多稲子『台湾の旅』(1943-1944)の台湾創作」30などがある。
「台湾文学界の総蹶起」という特殊な歴史的時点で誕生してきた『決戦台湾 小説集』は総督府の監視と指導で島内の文学者たちの作品を集めたものである。
中島氏とフィックス氏は同じくその刊行の過程について詳しく考究する。テキ ストの分析を言えば、中島氏が収録される全作品の作風を互いに比較し、フィ ックス氏は特に楊逵と呂赫若の小説を「台湾戦争小説」と見なして討論する。
また、丹羽文雄は小説の中に主人公が来台前後に大きく変わってきた態度を描 いた。廖秀娟氏の論文ではその点をめぐって、彼が「勤行報国青年隊」で修練 している青年たちの姿を惚れた以後、台湾の事情をすべてそれを「基準」とし て評価すると指摘する。そして、戦前プロレタリア作家であった佐多稲子の作 品について、許麗芳氏は「植民地に対する同情と反省」、「島内の階級問題を観 察する女流作家の視点」と「日本人としての国家立場の賛成」という三つ部分 で考察する。以上の研究は異なる見方からテキストを分析するのであるので、
その論点をあわせて参考になる。
30 許麗芳「殖民時空下的多重視角─佐多稻子〈台灣之旅〉(1943-1944)的台灣書寫」『興大人文 学報』53、2014 年 9 月、p.145-166。
17
第二章 膨張の帝国―理想像を探す内地人作家
十九世紀の末、欧米諸国が現代化のプロセスを経て、厖大なる国力を養い、
世界を「欧化」させる支配的地位を求めようとする道に進んでいった。「文明開 化」という鮮明な旗幟を掲げ、国家領土の拡張と植民地の獲得を目標としなが ら、新たな「列強」(the Great Powers)は勢い良く誕生した。明治維新後の日 本は日清戦争と日露戦争での連戦連勝によってこのような「新帝国主義」(New Imperialism)のブームに乗ってきた。徳富蘇峰の「大日本膨張論」と福沢諭吉 の「脱亜論」などの理論の形成により「海外へ発展する」姿勢が強められ、自 国の安全保障と国家の「脆弱性」を強く意識した明治期の日本は、西洋列強の 政策をまねて国際社会のヒエラルキーの階段を上がろうとした31。
海外植民地の統治は「新帝国主義」の一行に属される国家にとって解決しに くい難問である。一般に、日本植民地統治の基本方針は、日本の文化を強制す る同化主義であったといわれる32。台湾は日本帝国の初の植民地になり、島内で 暮らしていた住民も「大日本帝国臣民」となった。が、伊藤博文が個人名義で 出された『憲法義解』では、「日本臣民とは外国臣民と之を区別するの謂なり」
と述べる。日本臣民と「外国人」との区別は「血縁関係」であり、外国人に対 する厳しい身分的差別の合理化も導き出される33。維新以来「人民」「国民」「衆 庶」などと呼ばれた民衆が帝国憲法下に公式に「日本臣民」を定義され、日本 は近代国家体制を整備する第一歩が踏み出された。帝国臣民の形成は、帝国憲 法・教育勅語をはじめとする天皇制国家の各種イデオロギー装置のもと、学校 教育システムを効率的に機能させることによって展開された。大日本帝国は結 果的にはアジアを侵略し、また欧米列強との戦いに敗れて崩壊したが、その過 程において「帝国臣民」の概念は少なからず変化した34。
2.1 「日本人」―意義の変容と優越性の完成
文明初期において、欲求、征服、支配、競争という人間性は暴力的かつ攻撃
31 マーク・ピーティー著・浅野豊美訳『植民地:帝国 50 年の興亡』、読売新聞社、1996 年、p.30。
32 小熊英二『〈日本人〉の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』、 p.168。
33 尹健次『日本国民論-近代日本のアイデンティティ』、p.97。
34 同上、p.90。
18
的な行為によって隠さずに示されてきたが、「征服の権力」(Right of Conquest)
を正当化・合理化させることは、新帝国主義者、あるいは「自由派の帝国主義 者」(liberal imperialism)にとって、他の地域を占有し統治するのは常識に 合致することである。例えば、イギリス帝国は植民地人民の反感を消すために 善政(good government)や公共事業(public works)を実施する利点をあげた。
こういう植民者が持っていた思惑と、未開の土地を占領しつつ開発したことは、
植民地の発展に貢献した重要な施策だと認められる。しかし、これも植民地に おける資源の豊かさを誇大し、原住民を劣等民族として見なされた前提が存在 する35。昭和・大正・明治の三代をわたった政治家・教育家高田早苗は、「他の 優等なる民族の指導監督の下に立ちてその生産の増加を図らざるべからず」と か、「他の未開の地方・劣等の人種を併呑して、その力を増さんことを努むると 同時に、文明民族の上に政治的制馭を為さんことを力むべきものに非ず」と植 民地住民を文明に率いる任務ないし權利の正当性を鼓吹する36。著名な思想家・
文芸評論家高山樗牛の論述では「帝国主義は排他主義なり、独占主義なり、侵 略主義なり、非人道主義なり」37を率直に示す。帝国主義賛美の思想は、欧米に と同様に当時の日本でも大流行になる。
普通には、新帝国主義の流行は経済・政治・文化という三つの方面で分析で きる。まず、経済上の理由は、資金過剰(surplus capital)の問題を解決する ために新型の投資法に変えること、激しい国際貿易の競争において商品の市場 を確保すること、安い価格と穏やかに産出する原料を追求すること、本国人口 の増加を予見したので、新たな移民のところを探すことなどがある。政治上で は、はなはだしい国際競争の情勢の中に国家の利益を求めながら国家の栄光を つかむために、民族主義の雰囲気が作られ、自国に対する帰属意識を国民に鼓 舞させる目的がある。文化上といえば、領土拡張とは帝国にとって優越感と文
35 王世宗「新帝国主義與新世界文明」『台湾植民地史学術研討會論文集』、海峡学術出版社、2004 年、p.378-380。
36 高田早苗『帝国主義論』、東京専門学校出版部、1901 年。井上清『日本帝国主義の形成』、岩 波書店、1974 年、p.20 から引用する。
37 高山樗牛「詹ゝ録」『太陽』、1899 年 4 月号。『日本帝国主義の形成』、p.161 から引用する。
19
明化の使命感を示す38。
特に文化面と政治面をとりあげて考えると、マーク・ピーティー氏はこれに ついて分析を提出する。大衆ナショナリズムの勃興と関連づけて、帝国主義的 な衝動は、資本家、商人、政治家の合理的計算によるものではなく、徐々に民 主化されつつある産業国家に発生するナショナリズムと、それに基づいた大衆 運動の結果であるという。つまり、広範な階層にわたる大衆が、自分の国の経 済的利益や未来の偉大な国家像といった漠然とした見通しに動かされ、海外で の冒険主義的行動を要求する。こうした愛国的な衝動が高揚するのは、大衆が 列強間に熱く高まる敵対関係の中に自ら身を投じる時である。この説によると、
帝国主義的拡張への熱病のような競争で決定的な役割を果たすのは、資本家の 自己利益や行動ではなく、大衆の愛国的でヒステリックな熱情を扇動する政治 家のそれなのである39。
日本帝国の場合を検討すれば、国民が敵対意識と作戦の意欲を煽てられ、帝 国の利益のために犠牲しようと説得される手段は、戦争期に至って繰り返して 用いられた。幕藩体制から近代的な国民国家の道に進んでいった日本は、資源 が乏しいので、人口激増の問題や資本の蓄積など経済的な要因が「新帝国主義」
に参加する理由の一つであったほかに、植民地従属国化の危機を孕む外圧状態 のもとに対外主権の確立を迫られ、富国強兵がついに絶対的命題となる40。明治 初期における日本の知識人や政策担当者は欧米諸国の脅威から自国を守るプレ ッシャーを直面し、強烈な危機感を持っていた。国防上の動機で考えれば、山 県有朋は同心円状の戦略的範囲を設定する。「主権線」は国家生存にとって死活 的に重要な公式の領土を示し、「利益線」は日本の非公式な勢力範囲の限界、内 側を防衛するために必要とされる緩衝地帯を示していた。初期の帝国的膨張の 根本理由は、隣接する大陸や島への支配の必要性があったが、公式帝国の形成 後には、さらに外側への膨張に限界を設けることができなくなった41。それゆえ、
新たな植民地の獲得によって、防御地帯と国益の拡大を再定義する必要が迫ら
38 王世宗「新帝国主義與新世界文明」、p.380。
39 マーク・ピーティー『植民地:帝国 50 年の興亡』、p.18。
40 鈴木正幸『国民国家と天皇制』、校倉書房、2000 年、p.27。
41 マーク・ピーティー『植民地:帝国 50 年の興亡』、p.26-27。
20
れる。日本帝国とアジアの周辺国家との衝突が高まっているに至り、「大東亜戦 争」の遠因が作られていたと考える。
植民地を擁し、近代化の標準に達した日本帝国は西洋列強との最大の差異が、
日本は当時国際情勢の中に下風に立った東アジアに位置し、極東地域で黄色人 種に分類されながら、欧米諸国に占領されたり侵略されるおそれがあるゆえ、
日本人は引け目を感じて西洋列強と比肩できない劣等感を持った。日本は「欧 米」と「アジア周辺地域」を同時に「他者」のような存在と見なし、欧米とア ジア、文明と野蛮、支配と被支配という両義的な位置を占めたので、植民地政 策についてイギリスの間接統治やフランスの同化主義と異なった路線を選んだ。
日の没するところのない帝国を築いたイギリスは、文明化の責任を「負担」す る姿勢をとり、植民地の旧慣を尊重し、自立的発展の可能性を許容していた。
他方、フランス革命の思想的背景であった自然法思想と啓蒙主義の人間観は人 間の身分が生まれにより決定されていた観念を打破した。フランスが提唱して いた「同化主義」は、その自由・平等・友愛の精神を根ざされて、法律や文化 などあらゆる面の共通化を植民地で施行するのを目指す。しかし日本帝国が唱 えていた「同化主義」は「極めてアジア的起源と性格をもち、その後の発展も フランスのそれと類似してはいない」という42。被植民者は「日本語教育」を受 けて、完全なる「日本精神」を備える「日本人」になってから、論理的に政治 上の權利と自由を有するはずである。が、矢内原忠雄は日本とフランスの同化 主義的植民地政策を分析するときに両者の相違点を指す。フランス革命の精神 と異なって、民族的な優越感に基づいた日本の同化主義は「民族的・国民的・
国家的」な性質を帯びているので、軍事的統治になる可能性が高まる。
西洋列強とアジアやアフリカの植民地との支配関係に比べて、日本帝国と植 民地台湾の間に地理的近接性、人種的近縁性と文化的親近感という特徴がある。
しかし、小熊英二氏の考察では日本人が「欧米人」と「台湾人・朝鮮人などの 被植民者」に対して強い劣等感を感じていた。例えば、西洋の統治論を吸収し ながら、普遍的文明や科学技術、経済開発力において欧米に劣っていることは、
日本側の論者が痛切にわかっていた。儒教文化については、台湾や朝鮮といっ
42 同上、p.134。