第四章 異色の大和桜―自己像を探す本島人作家
4.3 本島人の作品分析―『決戦台湾小説集』
4.3.2 苦悩の正体―押し付けられる時代の性格
「僕は日本に生まれた。僕は日本の教育で大きくなつた。だから、日本人に ならなければ僕は生きたって仕様がないんだ」と『志願兵』に載せられる著名 な言葉である。文学界に話題を呼ばれる『志願兵』の先例を持っておるので、
当局側が周金波に期待しているのは『志願兵』的なテキストではないかと考え られる。このため、彼の派遣先が生産現場ではなく国民道場となった理由があ ると推測される242。
1941 年 6 月 20 日、待望の志願兵制度の施行が発表され、周金波は日記に思い を書いた。
私はこの日ほど自信に満ちた喜びを感じたことはない、私は長い孤独の殻か ら抜け出せそうだ。実際の台湾経験は通算しても十年に満たない、東京震災 後台湾に引き上げたときは四歳で片言の日本語しか知らない、十四歳、上京 したときは日本語は再勉強しなければならなかったが、日本語は上達するに つれて台湾語を徐々に忘れていった。そして、私は台湾の社会面とはいつも 外れている。接触点などあっても密着しない。真実面を映し出すことができ ない。日本語が半端なら台湾語も半端だ。文章を書くのは畑違いである。書
242 和泉司「〈皇民文学〉における〈国語〉と軍事動員―周金波「助教」ノート―」『三田国文』
(53)、慶應義塾大学国文学研究室、2011 年 6 月、p.61。
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いていること、言っていることはほんとうに共鳴を得ているのではない243。(下 線は筆者)
多くの先行研究は「皇民作家」――特に周金波、王昶雄、陳火泉(高山凡石)
――を討論するときに作品を中心にするが、他の台湾人作家とは異なった立場 を持っている原因をあまり触れていない。この日記に故郷の台湾との間に越え がたい距離感を流露する。成長過程の関係で、彼は逆に日本に親しんでいる。
因みに、台湾語より日本語の熟練度が高いので、台湾に戻って、周囲から受け とる程度にも影響されると思う。1943 年 4 月、彼は『文芸台湾』30 号に「故郷」
という短編小説を発表する。
ここの社会が空怖しくおもはれてそれは撲られる、蹴られるといふよりも自 分が自分の故郷と恋ひ慕つて帰つてきたここが自分を遇するにこの冷淡さ、
無理解さ、不親切さを以てしたといふこと、もはやとりかへしのつかないこ とになつたやうな空怖しさが犇々と迫るのであつた。244
故郷の台湾を慕っていたはずであったが、帰台後に「冷淡」「無理解」「不親切」
という否定的な印象をづけられた。このような倒錯的な現象について、「帝都」
の東京から台湾に帰ってきた被植民者が「故郷」を喪失すると朱恵足氏は解読 する。言い換えると、帝国の中に現代的な移動方式で異なる民族、文化と暮ら し方を経験した植民地の主体は、故郷の台湾に住みやすくない状態になってし まったのである245。
とはいえ、故郷に対して若干の違和感を感じている周金波は、台湾文学の建 設に大きな熱情を持っている。「日本の一翼としての台湾」とか、「成生する生 命の躍動を多く持つてゐる現在の台湾」とか、動乱や破壊期の最中にいても、
台湾の地で台湾文学の光彩を放つことができるだろう。周金波は自らが持った
243 周金波「私の歩んだ道――文学・演劇・映画」『周金波日本語作品集』、緑蔭書房、1998 年、
p.253-254。
244 周金波「故郷」『周金波日本語作品集』、p.98。
245 朱恵足『「現代」的移植與翻訳:日治時期台灣小說的後殖民思考』、p.186-187。
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台湾文壇に対する熱意を詩を唱うように「台湾文学のこと」で表現する。
現在の台湾、保守する台湾、追従する台湾、呼号する台湾、脱皮する台湾、
躊躇する台湾、抗弁する台湾、媚態する台湾、拒絶する台湾、嘆息する台湾、
懐疑する台湾、雑居する台湾、躍進する台湾、さういつた成長せんとする台 湾の生命の躍動がめまぐるしく回転してゐる。最も身近に最も切実に台湾の 生命を感じる者は台湾に住む我々の筈である。246
つまり、徹底的な日本式の教育をうけて、故郷の台湾に複雑な感情があるが、
志業の文学をあきらめたくない。この矛盾的な苦悩は周金波は創作上に影響を 与えると思う。
さて、『志願兵』によって文壇に一躍注目されていた周金波は、戦後に「志願 兵」のことを告白した。あのときに従軍を志願した人間は、ほとんど心から喜 んでいる血気盛んな義士であった。台湾において差別されていた主因は、流血 しなかったなのであるとよく知られたので、流血したり、犠牲したり、義務を 実践したりしてから、地位が獲得するという定式は普遍的に認められた事実に なる247。
これは、植民地統治の下に失われた平等的な地位を一生懸命求めようとして 悩んでいた台湾人像である。日本統治期に亙って、従属的・支配的な制限を打 破することは、台湾人が追求する価値だと言えよう。「助教」の主人公、斗六国 民道場の助教に勤める台湾人の若者の蓮本弘隆は、「日本人になれない」という 恐怖心をずっと持っている。その理由を究明すれば、「民族差別」という大きな 圧力は彼の心身をすべて支配されていたのである。「日本人」として生きること を要求されていながら、日常生活では「本島人」として無視されているという のは事実である。その政治に現われている差別の現実は、知識人にとって極端 に残酷であったと思われる248。荊氏は『志願兵』を評論するときに、周金波の態 度は「アイデンティティ認識の問題ではなく、宿命である。これは変化の過程
246 周金波「台湾文学のこと」『台湾日日新報』、昭和 16 年 12 月 6 日。
247 游勝冠『殖民主義與文化抗争─日據時期台灣解殖文學』、p.407 から引用する。
248 張修慎「日本の「近代の超克」思想と戦時下台湾知識人の諸相」、『台大日本語研究 11』、p.23。
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でもなく、存在の状態である」と指摘する249。「日本人にならなければ僕は生き たって仕様がないんだ」とどん底から沈痛に叫んだ作者にとって、日本人化は 解決すべき問題より生存の方式の選択が彼の心境にふさわしいだろう。という わけで、『決戦台湾小説集』の作品を考察するときに、張文環・呂赫若・龍瑛宗・
楊逵などの作者は「日本人になる」をめぐってさまざまな事態を「扱うべきだ った問題」として見なしたと注目する。が、日本人の身分で生きている一種「存 在状態」にいった周金波は、作品の内容に「存在」の「状態」をそのまま描き 出した。これは両者の作品を比較するときに見逃せない違いだと考える。
まず、物語のあらすじを述べる。主人公の蓮本弘隆は、国民道場の一ヶ月の 訓練を受け、退団を予定するが、上司から道場の助教の職務を推薦して、彼を 誘われる。理由は、蓮本は修練生の中に唯一人の中学卒として模範修練生であ る。将来のことを迷っていた蓮本は、医専志望したが試験が失敗し、中学校の 同窓生はみな「新時代」の仕事を従事した250ので、「重荷を背負つて果して道場 生活をうまくやつてゆけるだらうか、その自信さへ持てない」(坤、p.41)と一 段と悩んでくる。最後に、国語不解者の修練生の沈石頭から「増産戦士、滅私 奉公」など鼓舞の言葉を書いた葉書を受け取ったので、助教になると決めた。「蓮 本助教」と呼ばれると、主人公は「やつてゆける自信が新たに湧いてきた」
(p.46-47)と感じる。
ある日、蓮本は重大な任務を命じられる。その内容はある青年学校に行って、
本物の歩兵銃を番号表と照らし合わせて点検してから受けとる。彼は番号表を 手帳の中に挟んで、大事に胸の懐しに蔵い込んだが、雨中行進に参加したり、
修練生を指導したりした。三部生の国語不解者の蔡樹根が間違って彼の上着を 洗濯したので、番号表が紙屑しか残されなかった結果となった。
高熱で悪夢にうなされる蓮本は目が覚めてから必死に謝罪する。番号表の字 が薄れて読み難かったが、番号だけで読めるので廖助教が代わりに取ると山田 教官が彼を慰める。また、「赦すも赦さぬもないよ。君の責任感は立派だ。立派 だとおもつてゐるよ」「五年の遠足のときに先生の上衣を川に落して、いきなり
249 荊子馨『成為日本人:殖民地台灣與認同政治』、p.163。
250 例えば、海軍工員、軍属、甲種飛行機操縦生、軍通訳など。「助教」、p.38。
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水に飛びこんでいつたときの君を思ひ出すよ」(p.74-75)と蓮本を優しく安心 させる。
高潮を迎える物語の終盤に、自分の「台湾人」という身分に対して恐怖感を 持った蓮本は「日本人」「日本的素養」を確かに身につけているかと「本当の日 本人」に強く懐疑されてしまう。太平洋戦争後期に白熱化した皇民化運動の時 期に、このような不安な心理状態は台湾人に相当な圧力を与えた。「助教」で登
高潮を迎える物語の終盤に、自分の「台湾人」という身分に対して恐怖感を 持った蓮本は「日本人」「日本的素養」を確かに身につけているかと「本当の日 本人」に強く懐疑されてしまう。太平洋戦争後期に白熱化した皇民化運動の時 期に、このような不安な心理状態は台湾人に相当な圧力を与えた。「助教」で登