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濱田隼雄「爐番」 ( 『決戦台湾小説集』 )

第三章 隙間の憧憬―日本に憧れる在台日本人作家

3.2 在台日本人の作品分析

3.2.1 濱田隼雄「爐番」 ( 『決戦台湾小説集』 )

青年時代に台北高等学校文科乙類に進学した濱田隼雄(1909-1973)は、東北 帝国大学に入学していた期間、社会主義運動と農民運動に熱中する。1933 年に 渡台し、教職につく傍ら、小説や随筆も数多く発表し、当時の在台日本人作家 の中ではいちばん多かったと言われる。代表作の長編小説『南方移民村』は内

103 「黄得時「臺灣文壇建設論」『台湾文学』1-2、1941 年 9 月、p.2-9。『日本統治期台湾文学・

文芸評論集 第四巻』、緑陰書房、2001 年、p.31。

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地人移民村(台東鹿野村)の蔗糖栽培の苦闘を描かれる。彼の文芸作品は特異 に「リアリズム」の作風に帯びたと評価される。龍瑛宗から「知性的作家」と 評価されるが、「西川満氏と共に、人生の土べたにべつたりと坐りこんで泥んこ になり、胴間聲をはりあげて人間哀歌を歌ふ作家ではないと思ふ」104とも批判さ れる。松尾直太氏の考察では、台湾にいた知識人の一人と意識した濱田隼雄は、

周囲の文化人たちは中央文壇の東京を唱和して、「外地の台湾」を追求する行い に対して不満がある。台湾のことを写実的に描写して台湾の文学を創造したい 理想を持っている105。彼の短編「病床日記」は「湾生」が自分が台湾に生まれた 事実を直面できないし、内地に繋がりを一生懸命に維持したい態度を批判する。

濱田隼雄は、この歪んだアイデンティティは台湾への関心がない象徴であると 認める106。松尾直太氏は、台湾文学の建設に熱心している濱田隼雄の文学を前期 と後期を分ける。前期は「理想性興味」、後期は「体制性興味」である107。前期 に完成した作品の中に彼の社会主義思想、批判性を含まれる純文学の興味があ る。つまり、周りの台湾の現実を素材として、当局との間に距離を保っている。

戦争期になると、濱田隼雄の立場が変わって、「二千六百一年の春、臺灣文藝の 新體制に寄せて」108という文章を発表し、台湾の文芸運動の政治意義を強調して、

台湾人作家は「自我改造」を以て「職場奉公」すると提唱する。また、「臺灣文 藝の近況、初夏に寄せて」に、「當局の、これらの文藝人に對する関心と支持の たかまつたことである。文藝は、もとより役所の支持のみによつてできるもの ではない。(略)臺灣のやうな土地では、情況がちがふので、その支持なくして は文藝が一定のレベルに達することはむづかしいと思ふ」109と書かれる。この文 章が発表される時点に、当局は文芸の価値を注意しはじめる。松尾直太氏の見 解で、濱田隼雄は当局に台湾文芸界の重要性を告げ、援助や文学者の地位の向

104 龍瑛宗「「文藝台湾」作家論」『文芸台湾』1-5、1940 年 10 月 1 日。陳萬益編『龍瑛宗全集[

日本語版]第四冊 評論集』、p.71-72。

105 松尾直太『濱田隼雄研究―文学創作於臺灣(1940-1945)』、台南市立図書館、2007 年、p.47。

106 同上、p.81。

107 同上、p.85。

108 濱田隼雄「二千六百一年の春 臺灣文藝の新體制に寄せて」『台湾日日新報』、昭和 16 年 1 月 3 日。

109 濱田隼雄「臺灣文藝の近況 初夏に寄せて」『台湾日日新報』、昭和 16 年 5 月 9 日。

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上などを目ざしたのである110。また、濱田隼雄は「大東亜戦争」が鼓吹した精神 に対する解読もこの時期の作品に散見されると考える。例えば「ことあげ」を 見てみよう。

南方への基地になるのは、会社や工場を建てることによつてばかりではない。

この島に根をつけることが第一だ。この島のものを愛し、汚いものは美しく しようではないか。円公園を軽蔑することは止さう。(略)台湾の本当の文学 もかうしたこの島への愛から生れるのだ。111

この時期に濱田隼雄の文学は国策へ傾けたが、他の在台日本人に比べて中立的 だと思う。しかも台湾の文化を排除しなくて包容する態度を主張した。

『決戦台湾小説集』の委嘱計画に選ばれる作家の一人として、濱田隼雄の派 遣地は「日本アルミニュウム工場」である。彼は「工場の鬭魂」という派遣感 想文で、作品を書いていたうちに、ある夜の放送を聞いたことを提起した。「内 地の某飛行機工場がサイパンの玉砕に激憤し、よしやらう、やらうと雄哮びを あげる情景を聽き、僕は眼頭を熱くした」112と書いてあった濱田隼雄は、工人た ちの逞しい雄哮びの後に続けた機械の音によって、工場の決死の鬭魂を目に見 えるような大きな感激を受けた。それゆえ、「僕がお世話になつたxxの日本ア ルミ工場でも、この悲愴な玉砕に同じやうに新しい鬭魂を燃してゐるだらう」

と思い込んだ。「逞しい鬭魂」を伝達するために、彼は作品「爐番」を完成する。

物語の場所は「激しい、熱い、苦しい」アルミニュウム精製工場であり、四 人一組で六つの爐を持った高炉係で働いている台湾人工員の金圳は主人公だと 設定する。教員としての作者濱田隼雄は、まず労働における基本的な態度が正 反対のキャラクター「工員の金圳」と「人夫の呉」を設ける。工員と人夫の仕 事について内容上の差異は「工員になれば賃銀も増すし、手當やら保險までつ くのだが、それだけに責任が重くなつた。好きな時に休んで郷里に歸つたりも

110 松尾直太『濱田隼雄研究―文学創作於臺灣(1940-1945)』、p,130。

111 濱田隼雄「ことあげ」(『文芸台湾』8 号 2-2、1941.5.20、p.66。

112 濱田隼雄「工場の鬭魂」『台湾文芸』(台湾文学奉公会)1-4、1944 年 8 月、p.73-83。『日本 統治期台湾文学・文芸評論集 第五巻』、緑陰書房、2001 年、p.286。

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出來ない。不自由だ」(乾、p.13-14)である113。なので、人夫の呉は、自分の私 欲と自由を考えて、増産にあまり参加したくない。組長から呉をも勧められた が、「肉體の酷使とのんびり自由に暮らしてきた気持」を考えると、その返事が 渋っていた。つまり、工場の方では生産命令以上の増産を強行してゆく上に、

この職場を死守する責任と義務が担わなければいけない。「産業戦士」が作業し ている環境の厳しさは「飛行機を一機でも多く作り出す原動力となる重大な、

大東亜一のアルミ工場で、勞務者の一瞬の遅滯が戰力に大きな影響を生む」

(p.14)という段落でわかる。

そして、「産業戦士」として、最も重要な任務は「生産命令」を完成するこ とである。「爐番」で提起される命令及びその産量の急迫性は以下の段落で見ら れる。

何百とある爐の一つでも死ねば、生産命令の達成がそれだけ遅れるのだ。至 上命令が生産量を定めてから、工場には明日と云ふ日はなかつた。今日の遅 滯を明日で取り返すことは出來なかつた。明日百%以上の能率を上げても、

それは今日の遅滯なくとも明日當然出し得べき力だ。今日の遅滯は明日の力 を減らしてしまふだけだ。(p.28)

「爐番」が発表された後、『台湾文芸』で濱田隼雄が書いた第一人称でxxアル ミ工場の見学を中心に「生産命令」という小説を掲載される。一般的に「爐番」

の取材小説と見なしている114。作者を代表する主人公が「工場生活の中で一番愉 しいのは何ですか」と問われるときに、彼の答えは以下のように示す。

それは、生産命令を貫遂したとわかつた瞬間です。年度末の最後の日、命令 された量をどれだけ生産したか、はつきりと具體的に數字で示される瞬間で すよ。これで命令以上にどれだけやれたかがわかつた時、ほんとに安心した

113 本文で使うテキストは『決戦台湾小説集 乾之巻』、ゆまに書房、2000 年。以下には脚注を 省略する。

114 松尾直太『濱田隼雄研究―文学創作於臺灣(1940-1945)』、p,237。

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愉しい気持になります。115

「生産命令を貫遂したとわかつた瞬間」は工場生活の中で一番愉しい経験であ ることからみると、使命感の完遂という価値の重要性は戦争期に特に大きくな った。濱田隼雄の視点で、日本人に比べて台湾人の使命感が弱いので、改正す る必要がある。

総督府は本島人に対する特性の分析において、こういう結論を得る。「勤勉で 倹約家である一方、貧困にあえぎ、賭博癖や窃盗癖の傾向がある。従順、慎重 で辛抱強い。話好きで自分を売り込むことに長け、嘘も平気で並べ立てる。社 交的でへつらうこともうまく、表面は味方のふりをしても実は裏腹であったり する」という116。作者は反面教材を創造した。増産に対して自覚がまったくない し、労働しなくて気軽な生活もあきらめないキャラクターは「本島人」だと指 される。濱田隼雄は教化を受ける必要がある人間は「本島人」しかいない立場 も明確になっていく。それに、増産の圧力、疲れすぎた体はようやく主人公に 影響を与え、辞めるという念頭にかけられる。寝てしまえば連中が大変だと思 ったが、「誰が二度とあんな苦しい嫌なところへ行くもんか」と力んでみる金圳 は、

人手の不足な時だ、何處にだつてゆき場所はある。辭表を出して、郷里で一 月位遊んでから新しい職場を探すのもいゝ。(略)空襲必至なこの臺灣、しか

人手の不足な時だ、何處にだつてゆき場所はある。辭表を出して、郷里で一 月位遊んでから新しい職場を探すのもいゝ。(略)空襲必至なこの臺灣、しか