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→?別の目的で源泉を水割りにしているところもあります。(cf. ウイ スキーを水割りにする。)

(10)と(11)は主要部動詞の内項との複合にもかかわらず、普通名詞とし て「~をする」に使われるのではなく、直接「-する」について動詞述語に使 われており、表 1 の「品詞」のところの反例となっている。(12)は付加詞と の複合であるが、動詞により、形容詞に使われるほうが多いようであり23、し かも杉岡の一般化にも反している24。(13)は「水で割る」という部分を「水割 りにする」と言い換えるとふつうではないと思われる。しかし、杉岡の主張に よれば、(10)と(11)はあくまで普通名詞であるため、そもそも動詞として は使えないと予想される。また、LCS で形成されるとされている(12)と(13)

も LCS から複合語の選択制限がどこによるのか説明できない。

(14)「早茹で」と「水割り」の LCS:

「早茹で」:[x ACT-ON y FAST]

「水割り」:[[x ACT-ON y BY MEANS OF WATER] CAUSE [y BECOME[BE DILUTE]]]

(14)から我々は付加詞が元動詞の LCS におけるどの意味述語を修飾するか という情報しか読み取れず、なぜ「源泉を水割りにする」ことが違和感を覚え させるのかという情報は入っていない。そこで、複合語全体の統語的特性は杉 岡の指摘の通り、付加詞が修飾する LCS の意味述語によって左右されやすいと いうことは確かであっても、(10)~(13)に挙げた現象も説明できる語形成 モデルが必要だと思われる。

3.3 本論文の提案

従来の研究では、語の構成に重点が置かれ、考察が行われてきた。最も代表

23 Google 日本で『早茹での』と『を早茹でし』で絞り検索した結果、それぞれ 1380 件と 107 件だった。

24 杉岡は「手作りする」、「手作りの人形」のように二通りの使い方を持つのは道具・様態を 意味する付加詞が作成・使役変化動詞と複合した場合に限られると指摘している。(伊藤・杉 岡 2002:121)

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的な研究ともいえる杉岡の研究も音韻構造と生産性などの面から、「内項+動 詞」型と「付加詞+動詞」型の動詞由来複合語を二つの異なったレベルで生成 されると証明しようとし、語形成プロセスに着目し、考察を進めているが、筆 者は認知意味論の用法基盤モデルの立場から、意味重視の語形成モデルを提案 したい。

認知意味論の言語観では、ことばはあくまでも現実世界から切り離され、独 立した存在ではなく、常に現実世界と関わり合っており、認知能力の一種とさ れている。具体的な例を挙げると、我々人間はあるものを見たときに、そのも のの成分より、用途を先に認知するのではないだろうか。たとえば、あるボー ルを見た場合、それを「セルロイドボール」や「ゴムボール」よりも、先に「ピ ンポン玉」、「野球ボール」と認識するのではないだろうか。そして、この事実 は言語にも反映されると考えられ、本論文の研究対象を取り上げて述べると、

筆者は「内項+動詞連用形」だから、動作の名前だとか、「付加詞+動詞連用 形」だから、複雑述語だとかいうふうに考えず、むしろ現実世界で「需要」(動 機付け)があるので、既存の「型」(スキーマ)を通して複合語を創り出すと 考える。ただし、筆者の知る限りでは、従来の認知意味論に基づいた研究では、

複合語の意味は往々にしてその構成要素の足し算で求められるものではない25 と見るものが多いようである。たとえば、ジョン・瀬戸(2008)は「ウイスキ ーの水割り」という例を挙げ、その文における「水割り」は「水」と「割り」

が合成したものよりも、「水割り」が一つで知覚されると述べている。確かに その考え方に基づいては、我々がふだん食べる「油揚げ」も単に「油」と「揚 げる」による結合に過ぎないとは考えられず、「油+揚げる+豆腐」という

「1+1=2+α」と考えざるを得ないが、それにしても複合語の分析可能性

(analyzability)を完全に否定するまでもないだろう。事実、「油揚げ」が「油 揚げ麺」のような使われ方では、むしろ全体は「油で揚げる」としか意味しな いし、つまり「1+1=2」のような結果になっているのではないかと思われる。

では、動詞由来複合語は一体いかに形成されるのだろうか。筆者は次のような 語形成モデルを考案している。

25 すなわち「1+1≠2」というゲシュタルト(Gestalt)という考え方である。(河上 1996)

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(15)認知意味論に基づいた動詞由来複合語の語形成モデル26

27

先に挙げた「水割り」や「油揚げ」などのように、たとえ一語として意識さ れがちながらも、その構成から抽出されたスキーマは一つの語形成の仕方とし て健在しているのだと考えられる。

(16) [[主要部動詞の内項/付加詞]動詞連用形] スキーマ

[[油]揚げ]] → [[オリーブ油]揚げ] 事例

この考え方に基づいては、動詞由来複合語は項構造レベルで形成されるか、

語彙概念構造レベルで形成されるかという区別がなくなり、このような形態を 持つすべての造語は類推もしくはアナロジー(analogy)によるものだという ことになる28。このように、前項は様々な要素を入れ替えるという範列的関係

(paradigmatic relation)が可能ながらも、それは後項、すなわち主要部動 詞の内項か付加詞のいずれかでなければならないという統合的関係

(syntagmatic relation)はふつうの文と共通し、音素レベルから文レベルま で、スキーマで統一的に捉えようとしている認知言語学の発想と重なる部分も あると思われる。ただし、本論文の第 1 章でも言及した名づけ機能が示した通

26 このモデルは吉村(2003)を参考に筆者が作成したものである。

27 ここでいう「既存の語」とは我々の脳内に存在する心的辞書に登録されている語のことで ある。

28 西尾(1988)も似たような考えを示しているが、生産性の格差から、複合語を創り出す「型」

が一つだけではなく、幾つか存在するとしている。また、浅尾(2007、2009)も構文形態論

(Construction morphology)を導入し、筆者と近い考えを示している。

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り、「語」である以上、必ず「文」と違う部分があると想定される。たとえば、

影山(1999)は第一章の冒頭で、次の例を挙げて比較している。

(17)a.私は山に登るのが好きだ。

b.私は山登りが好きだ。影山(1999:2)

(18)黒塗りの車

氏の説明によると、複合語表現の「山登り」は単に「山に登ること」を意味 するに止まっているのではなく、スポーツないしリクリエーション活動として の山に登ることに意味が限定されるという。同様な現象は(18)においても見 られる。(18)の指示対象はただ「黒く塗った/塗られた車」という意味のみな らず、特に高級な乗用車を指すという29。形式重視の研究では、上の現象を「語 彙化(lexicalization)」によるものだと扱われているが、認知論の立場では、

名づけ機能がもたらした特殊な意味は実は我々の経験と密接な関係に立って いると考えられ、なぜほかの意味が自動的に排除されるかは理想化認知モデル

(Idealized Cognition Model)によるものだと考えられる。

(15)を通して、従来では例外と扱われてきたものが説明できるほか、語彙 化と処理された部分も捉えることができると予期される。