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容のモデルであることを指摘された。しかし、この論文は折衷料理を中心に、
西洋素材についてあまり触れなかった。それに、特定な西洋素材に絞っている 論文は殆ど牛肉11や乳製品12に着目し、西洋野菜の定着について研究は乏しい。
従来の西洋野菜の定着についての研究では、ジャガイモ13の研究が多いが、同 じ西洋野菜であるタマネギの研究は殆ど品種改良に力点が置かれ、定着過程は いまだ明らかにされていない。先行研究が乏しいからこそ、より一層研究の価 値があると言える。人間生活の基本である食物を歴史学の視点から論理的に研 究する意義は大きいと言える。
1-4 研究方法
研究方法としては、先ず野菜栽培史におけるタマネギ導入の様相や官営と民 間の生産過程を明らかにする。
次に、宮中の献立など公式の場において提供されていた純粋な西洋料理の献 立、横浜をはじめとする外国人居留地の西洋料理店のメニューからタマネギの 使い方を考察する。また、明治初期に出版された西洋料理書から、日本の西洋 料理におけるタマネギの調理法を考察する。
そして、西洋化された軍隊食の献立、西洋風の料理を提供している洋食屋の メニューからタマネギの使い方を検討する。また、女学校で行われた料理授業 の教科書から、洋食におけるタマネギの調理法を考察する。
そしてその次に、軍隊食の献立、女学校で行われた料理授業の教科書、雑誌 における料理記事から、和食におけるタマネギの調理法を考察する。
最後に、西洋料理の利用法と洋食の利用法と和食の利用法を比較し、タマネ ギがどのように日本在来の食生活の中に組み込まれていったかを明らかにす る。
以上の方法から得た情報を通じて、近代日本におけるタマネギの受容の具体 相を明らかにしたい。
11 宮崎昭「わが国の肉食文化」(『食生活研究』第 11 巻第 1 号、食生活研究会、1990 年)
12 施佩妤「日本近代化過程における牛乳、乳製品の受容」(台湾政治大学日本語文学系修士論 文、2005 年)。
13 月川雅夫「ジャガイモの食文化史研究-ジャガイモをどのように食生活に役立たせてきた か-」(『食生活助成研究の報告』第1 巻、味の素食の文化センター、1991 年)。
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第 2 章 日本におけるタマネギの輸入と栽培
2-1 タマネギの栽培起源
タマネギの栽培起源について、『園芸大百科事典』では、
タマネギは文化史的には栽培起源のもっとも古い植物の一つで、紀元前5000 年ペルシア地方で栽培されていたといわれ、古代エジプト時代、ギーザのピラ ミッド建設者がだいこんやにんにくとともに多量に消費していたことが記録され ている。その後、地中海沿岸地帯をへてヨーロッパ南部、東部へと広がり、とく に16 世紀にアメリカに導入されて以降、著しい生態的分化をとげ、世界的にも 重要な野菜の一つとなった。1
と記している。
また、『農業事物起源集成』では次のように書いている。
ラインハルト氏に従へば玉葱の原産地は中央亜細亜であって、此処より諸方 に傳播され、紀元前三千年頃には支那ではこれをTsung なる名称を以て呼ん で居たことは、当時の支那の文献中にも現れてゐる。又地中海沿岸諸国に於 て既に玉葱の中で甘く軟かきものと、辛粗なものとの二種類を区別してゐたや うである。ザンスクリットには玉葱を呼ぶにPalancla,Lataka 及び Sukandaka な る三つの名を以てしてゐる。後世ローマ並にギリシヤで玉葱が重要な蔬菜とさ れたことは、これをおおくの文献によって知り得ることであるとしてゐる。又ド·カ ンドル氏は紀元前五千年頃のカルデヤ王国(ペルシア地方)では玉葱を神符と して用いたこともあると云う。又紀元前四千年頃埃及王国に於いてもこれを神 聖なるものとして神壇に供へ、祝日に於いてのみ僅かに之れを食卓にのぼせ たほどに珍重されたものである。2
つまり、タマネギの原産地は中央アジアであり、古代から神聖な食べ物とし て重宝されていたという。そして、古代エジプトやギリシャ、ローマ時代を経 て、15、16 世紀頃にはヨーロッパの地中海沿岸地帯に広まり、16 世紀にアメ リカに導入された。以上のことから、タマネギは古くから西洋では重要な蔬菜 の一つとして栽培されていたことが分かる。
ここでは、タマネギがいつ頃、どのようにして日本に入ってきたかついて検 討したい。また、その栽培の様子も見てみたい。
1 山下俊正『園芸大百科事典』(講談社、1986 年)P1572。
2 大野史朗『農業事物起源集成』(青史社、1978 年)P345。
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明治以前の記録にみられるタマネギ
◎ 出島オランダ商館
『長崎出島の食文化』によると、
日本に向う途中の安永7 年(1778)7 月 27 日にヘット·ハイス·テ·スペイク('t Huijs te Spijk)号で死去した商館長デュルコープ(M.G.Duurkoop)の遺品の 中に、ハム、チーズ類、バター、ビスケット、パン、インドネシアの米、じゃがいも、
カリフラワー、ザワークラウト、マッシュルーム、玉ねぎ、干野菜、豆類、オリー ブなど極めて数多くの食品が含まれている。3
という。つまり、彼は出島で自分の国と同じ食生活をするために、日本にない ものを本国から運んできたのである。これにより、鎖国時代から出島の外国人 がタマネギを食べていたことが分かる。
◎ 横浜居留地
横浜で最初に西洋野菜の農園を手がけたのはイギリス人であり、横浜ユナイ テッド·グラブ支配人を務めた W·H·スミスであるという。西洋野菜の栽培ばか りでなく、牛や豚を飼い、日本人に教えたり、希望があれば、野菜の種や苗を 輸入してわけていたという4。
【図1】スミスの農園
『横浜もののはじめ考』5より
また、津田仙6の「玉葱の説」には、「嘗て横浜在留の英人スミッス氏が玉葱の 種をその本国より取寄せて数年の間之を培養する(後略)」7と書かれている。つま り、クラブの経営者であるスミスは業務の上で野菜を必要とし、本国からタマ
3 箭内健次『長崎出島の食文化』(親和銀行ふるさと振興基金、1993 年)P28。
4 横浜開港資料普及協会『横浜もののはじめ考』(横浜開港資料普及協会、1994 年)P52。
5 同上、P53。
6(1837−1908)明治初期の西洋農学者である。
7『農業雑誌』第39 号(学農社、1877 年)。
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ネギの種を取り寄せて栽培したのである。
明治以後におけるタマネギ
しかし、タマネギが本格的に日本に入って来たのは明治に入ってからである。
生産した主体で大きく分けると、明治政府によって生産されたケースと民間人 により生産されたケースの二つに分けられる。
2-2 明治政府が取り組んだタマネギの輸入と栽培
明治政府が取り組んだタマネギ栽培としては、開拓使によるものと内藤新宿 試験場、三田育種場でのものがあげられる。
2-2-1 開拓使での輸入と栽培に関して
開拓使とは明治の初期に北海道の開拓経営のために置かれた行政機関であ る。明治2 年(1869)7 月 8 日、太政官の一部局として設置され、同 15 年(1882)
2 月に廃され、のち北海道庁となる。
【年表】開拓使関係年表
明治2 年(1869)7 月 8 日 開拓使設置。
明治3 年(1870)5 月 9 日 黒田清隆を開拓次官とする。
明治5 年(1872)9 月 20 日 開拓使が北海道土地売貸規則、地所規則を制定。
明治7 年(1874)8 月 2 日 黒田清隆が参議兼開拓長官に任じられる。
明治14 年(1881)10 月 11 日 開拓使官有物払下げ中止。
明治15 年(1882)2 月 8 日 開拓使を廃し、函館、札幌、根室の三県を置く。
『北海道の歴史』8より 1872 年から 1881 年にいたる十年間に、開拓使はアメリカ米国農務局長の地 位にあったホーレス·ケプロン(Horace Capron)9を開拓顧問に招き、御雇外 国人を招請して欧米の産業技術を導入し、全国的な殖産興業政策の一環として その施策を展開した。
北海道の農業を確立させるために、顧問ケプロンは先ずそれに必要な農具、
種苗、動物などを欧米より輸入するとともに、東京に大規模な試験場を設け、
北海道においては函館、札幌、根室の三ヶ所に分け、函館地方には七重開墾場 と称していたものを設置し、札幌地方には札幌官園を設け、根室地方には試芸 園を設け、内外国の植物を試作した。これがきっかけで、タマネギが他の外国
8 田端宏『北海道の歴史』(山川出版社、2000 年)P347。
9 (1804−1885)アメリカの農政家である。明治 4 年(1871)開拓使顧問として来日。
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種の植物とともに開拓使の手で導入され栽培された。以下、これらの試験場に おけるタマネギ栽培について説明する。
A. 東京農業試験場
東京農業試験場は明治4 年(1871)9 月に、東京青山南町同北町麻布新笄町 に設置され、東京出張所農業課に属する。そして、明治15 年(1882)3 月に、
廃使により御苑に加えられた。本試験場を設置した目的は、動植物良種を外国 で購入し、その種子が北海道の風土への適否を知るために、先ずそれを東京に
廃使により御苑に加えられた。本試験場を設置した目的は、動植物良種を外国 で購入し、その種子が北海道の風土への適否を知るために、先ずそれを東京に