2.2 明治政府が取り組んだタマネギの輸入と栽培
2.2.1 開拓使での輸入と栽培に関して
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ネギの種を取り寄せて栽培したのである。
明治以後におけるタマネギ
しかし、タマネギが本格的に日本に入って来たのは明治に入ってからである。
生産した主体で大きく分けると、明治政府によって生産されたケースと民間人 により生産されたケースの二つに分けられる。
2-2 明治政府が取り組んだタマネギの輸入と栽培
明治政府が取り組んだタマネギ栽培としては、開拓使によるものと内藤新宿 試験場、三田育種場でのものがあげられる。
2-2-1 開拓使での輸入と栽培に関して
開拓使とは明治の初期に北海道の開拓経営のために置かれた行政機関であ る。明治2 年(1869)7 月 8 日、太政官の一部局として設置され、同 15 年(1882)
2 月に廃され、のち北海道庁となる。
【年表】開拓使関係年表
明治2 年(1869)7 月 8 日 開拓使設置。
明治3 年(1870)5 月 9 日 黒田清隆を開拓次官とする。
明治5 年(1872)9 月 20 日 開拓使が北海道土地売貸規則、地所規則を制定。
明治7 年(1874)8 月 2 日 黒田清隆が参議兼開拓長官に任じられる。
明治14 年(1881)10 月 11 日 開拓使官有物払下げ中止。
明治15 年(1882)2 月 8 日 開拓使を廃し、函館、札幌、根室の三県を置く。
『北海道の歴史』8より 1872 年から 1881 年にいたる十年間に、開拓使はアメリカ米国農務局長の地 位にあったホーレス·ケプロン(Horace Capron)9を開拓顧問に招き、御雇外 国人を招請して欧米の産業技術を導入し、全国的な殖産興業政策の一環として その施策を展開した。
北海道の農業を確立させるために、顧問ケプロンは先ずそれに必要な農具、
種苗、動物などを欧米より輸入するとともに、東京に大規模な試験場を設け、
北海道においては函館、札幌、根室の三ヶ所に分け、函館地方には七重開墾場 と称していたものを設置し、札幌地方には札幌官園を設け、根室地方には試芸 園を設け、内外国の植物を試作した。これがきっかけで、タマネギが他の外国
8 田端宏『北海道の歴史』(山川出版社、2000 年)P347。
9 (1804−1885)アメリカの農政家である。明治 4 年(1871)開拓使顧問として来日。
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種の植物とともに開拓使の手で導入され栽培された。以下、これらの試験場に おけるタマネギ栽培について説明する。
A. 東京農業試験場
東京農業試験場は明治4 年(1871)9 月に、東京青山南町同北町麻布新笄町 に設置され、東京出張所農業課に属する。そして、明治15 年(1882)3 月に、
廃使により御苑に加えられた。本試験場を設置した目的は、動植物良種を外国 で購入し、その種子が北海道の風土への適否を知るために、先ずそれを東京に 試し、その風土に適することを察してから七重試験場に移し漸次全道に及ばそ うとすることである。又、現術生徒を置き西洋農具使用より牧畜樹芸を伝芸し、
卒業後七重試験場に派遣することで全道農業の模範とすることである。また、
東京青山南町七丁目一番地(松平頼英邸上地)三万七千六十六坪、同北町七丁 目二番地(稲葉正邦邸上地)五万坪、麻布新笄町十四番地(堀田正倫邸上地)
四万七千五百六坪は本試験場の使用地とする。
東京農業試験場におけるタマネギの栽培については、『開拓使事業報告』で は「明治四年、始テ内外諸種ノ蔬菜ヲ播種シ其種子ヲ札幌、根室、七重試験場ニ分 送ス」10と書いている。つまり、本場では明治4 年(1871)から様々な蔬菜を栽 培しはじめた。ここでタマネギがこの諸種の蔬菜に含まれているかどうか分か らないが、【表1】によると、
【表1】東京農業試験場におけるタマネギの栽培面積及び生産額
年次 作付反別(反11) 収穫高(斤12) 価格(円)
明治5 年 0.0060 190 13,300 6 年 0.0905 829 57,890 7 年 0.0819 778 54,460 8 年 0.0611 575 34,500 9 年 0.0922 867 52,020 10 年 0.0527 530 26,500 11 年 0.0005 140 7,000 12 年 0.0005 132 3,900 13 年 0.0007 209 7,298 14 年 0.0002 32 3,150
『開拓使事業報告』13より作成
10 大蔵省『開拓使事業報告』V3(北海道出版企画センター、1981 年)P241。
11 1 反=991.736 ㎡
12 1 斤=600g
13 大蔵省『開拓使事業報告』V3(北海道出版企画センター、1981 年)P241。
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明治5 年(1872)から米国タマネギの記録が載っているので、おそらくタマネ ギは明治4 年(1871)に諸種の蔬菜とともに東京農業試験場で栽培されたと推 定できる。又、明治11 年(1878)以後、本場のタマネギの面積が急に減るの は、北海道の試験場がすでに自力でタマネギを栽培できるようになり、本場で の栽培の必要性が少なくなったのではないかと考えられる。
B. 札幌官園
札幌官園は明治4 年(1871)に設置され、内外国およそ百種の植物を栽培し 風土の適否を試み、あるいは種子苗木等を斥売することで農事勧奨を行った場 所である。札幌官園の地積は十三万三千九百三十一坪余に至る。
札幌官園におけるタマネギの栽培については、北海道の『産業調査報告書』
は「明治四年、札幌官園ニ於テ玉葱ヲ試播セルヲ本道ニ於ケル玉葱栽培ノ嚆矢ト ス」14と記されている。つまり、札幌官園での栽培が北海道で最初の栽培である。
また、『開拓使事業報告』では次のように書いている。
明治四年、甜菜甘藍玉葱等五六種ヲ試播ス。15
明治十一年、是歳播種洋種甘藍馬鈴薯南瓜西瓜甜瓜甜菜玉葱胡蘿蔔蘿蔔 蕃椒茄子等各種ヲ播セシニ成長甚美ナリ、
明治十三年、慈姑芥子米国種玉葱甜菜南瓜ヲ播ス。
明治十四年、毎歳播種外国種ハ甘藍玉葱馬鈴薯胡蘿蔔南瓜等ニシテ最地味 ニ適ス。16
つまり、明治4 年(1871)に札幌官園でタマネギの試し播きが行われ、明治 11 年(1878)に栽培されたタマネギがよく成長したことが分かる。また、明 治13 年(1880)に米国種のタマネギが栽培され、タマネギが本場の風土に適 することが分かる。
また、東京物産取扱所17の資料では、
明治十三年、十二月札幌官園球葱試売ノ為メ三千余斤着セシニ腐敗三割許 ニ居ル、是其荷作ノ不注意ニ由ル故ニ荷作ハ米国製ニ摸シ空気流通ヲ能クシ 船中積入場所ヲ撰フヲ要ス。其中上等五六顆ニテ一英斤ノ量ニ当ル者五銭、
十顆ニシテ同量ノモノニ三銭ニ斥賣ス。18
14 北海道庁『産業調査報告書』V3(北海道庁、1915 年)P270。
15 本論文に掲載した史料はできるだけ原典に忠実に記載したが、読みやすくするため、適宜 句読点をつけたり、新字体に変えたりするなどしている。以下同じ。
16 大蔵省『開拓使事業報告』V3(北海道出版企画センター、1981 年)P87。
17 東京物産取扱所は北海道固有の物産を改良し、専ら殖産の道を図り、出産物及び海産税品 を広く内外諸国に転販し、傍ら開拓使需用の物品購入の所とする。
18 大蔵省『開拓使事業報告』V3(北海道出版企画センター、1981 年)P262。
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と書いているように、明治13 年(1880)に札幌官園のタマネギを試売するた め、東京に運ばれてきた。その中には、荷造りの不注意により腐敗が起きたが、
上等なものもできた。上等なものは五、六顆5 銭で、他のものは十顆 3 銭で販 売されたことがわかる。
そして【表2】によると、
【表2】札幌官園におけるタマネギの生産額
年次 収穫高(斤) 通価(円) 百斤価(円)
明治11 年 4,260 42,600 1,000 12 年 19,190 1460,548 2,40019 13 年 19,441 654,190 3,365 14 年 7,036 31,201 2,25520
『開拓使事業報告』21より作成 明治11 年(1878)から 13 年(1880)まで、タマネギがよく生産されてきたこ とが分かるが、14 年(1881)は不作のため、収穫量は半分以上減り、販売価 格もかなり下がったことが分かる。
C. 七重勧業試験場
七重農業試験場とは明治3 年(1870)11 月に、プロシアのガルトネル
(Gaertner.R)が借地中着手の牧畜樹芸を地所と共に授受したものである。本 試験場の目的は、東京官園より米国種牛馬羊豚及び農業現術生徒若干名を移し、
牧畜樹芸の業をはじめ諸掛を置くことである。又、開墾場については種芸を試 験し東京官園より各種の穀菜を移植し、其風土に適するものを選び、種子を人 民に斥売することである。また、本試験場の地積は渡島国亀田郡七重、飯田、
大川、鶴野、藤山、城山の各村に跨り、東西一里十町南北一里二十七町余に至 り、事務所は七重村官道東側にある。
七重勧業試験場におけるタマネギの栽培については、『開拓使事業報告』に
「明治六年、始テ蔬菜ヲ栽培シ其風土ニ適スル者ヲ撰テ種子ヲ人民ニ斥賣ス」22と 書かれている。つまり、明治6 年(1873)から本場で蔬菜を栽培し始め、その 風土に適する種子を人民に安く売ったことがわかる。しかし、どんな蔬菜が栽 培されたかが書かれていないが、明治6 年(1873)の「開拓使西洋種苗目録」
には、
ホワイテヲニヲン(白葱)レーテヲニヲン(赤葱)ラーヂレーテヲノヲン(赤大葱)
19 原史料はこう書かれているが、計算すると、百斤価は 7,610 円であり、数字が誤りである。
20 原史料はこう書かれているが、計算すると、百斤価は 443 円であり、数字が誤りである。
21 大蔵省『開拓使事業報告』V3(北海道出版企画センター、1981 年)P262。
22 同上、P151。
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エロウヲノヲン(黄葱) ラーヂラウンヲニヲン(丸大葱)23
の五品種の葱類(ヲニヲン)が挙げられていることから、明治6 年(1873)頃 には、タマネギが開拓使により導入されたことが推定できる。また、北海道の
『産業調査報告書』は「函館地方ニアリテハ七重勧業試験場ニ於テ十三年一畝ヲ
『産業調査報告書』は「函館地方ニアリテハ七重勧業試験場ニ於テ十三年一畝ヲ