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第一章 緒論

第一節 研究動機と目的

立 政 治 大 學

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第一章 緒論

第一節 研究動機と目的

まず、辛亥革命というのは何物であろうか。

辛亥革命は、狭義では 1911 年 10 月 10 日の夜武昌で一部の「新軍1」が清朝 に反旗を翻した蜂起から、1912 年 2 月 12 日の清朝皇帝(宣統帝溥儀)が退位 詔書を出した日までの期間に、中国全国各地で起った清朝支配を崩壊させた武 装闘争を指すものである。広義では、清朝末期からの一連の革命運動から、武 昌蜂起を経て中国における共和制の確立までの期間を指すものである。一見す ると、辛亥革命は中国の一事件にすぎないが、しかし辛亥革命は古代より続い てきた君主政治を終わらせ、中華民国というアジアにおける最初の共和国を樹 立した2

政治的側面から言えば、中国において数千年にわたって封建主義的専制主義 的統治システムの中に、頂点に立っている最高支配者は皇帝である。辛亥革命 によってこの皇帝制度は潰され、権力中心は大統領と国民会議等近代民主国家 制度に取って代わられた。すなわち、辛亥革命は中国が数千年にわたって築い てきた古い統治システムを打ち壊したのである。思想的側面から言えば、民主 主義の高揚と思想解放による、君主専制制度の下では皇帝が絶対的で冒涜して はならない神聖な存在であったが、辛亥革命はこのような伝統を打ち破った。

つまり、国家と個人との関係について、中国の民衆に大きな意識変化が起った ことである3

続いて、日本にとって辛亥革命は何物であろうか。

辛亥革命勃発当時の国際情勢から見ると、世界列強は経済利権を獲得するた めに、積極的に中国に進出し、中国各地域で各々の勢力範囲を領有した。この

1 日清戦争後,創建された中国の洋式軍隊。「新建陸軍」の略称。袁世凱が統率し,北洋軍の母 体となった。義和団事件後逐次増設され,各地の新軍が辛亥革命の推進力となった。『大辞林 第三版』三省堂

2 王柯編『辛亥革命と日本』藤原書店、2011、P.17

3 同上、P.4

‧ 國

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本論は、日本政府・外務省の革命勃発初期における対清政策の模索と形成過 程を考究すると共に、袁世凱の登場による南北関係の急激な変化に伴う日本・

イギリス・袁世凱三者の外交交渉を比較しながら、日本の政体干渉論を中心と して立憲君主制を堅持した原因を探求したいと思う。