第三章 袁世凱の登場をめぐる日本政府の対応
第三節 袁世凱の計略
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袁は「時局ノ鎮定ハ容易ニ期シ難ク然リ而シテ漸次各地ノ秩序紊乱ニ赴キ 追々外人ノ殺害ナドノ事故モ生シ来」たから、このままでは外国からの干渉は 到底免れることはできないと、秩序が恢復できないため外国からの干渉を恐れ た。また「現ニ漢口ニ於ケル英国総領事ノ居中斡旋ノ措置ノ如キモ其端緒ヲ啓 キタルモノト見ルヘク甚タ憂慮ニ堪ヘス而シテ外国ノ干渉ヲ避ケントセハ一 日モ速ニ平定」をしなくてはならないのだが、南方と妥協を遂げたいが「交渉 ヲ行ウヘキ中心ナク」、交渉を試みようとしたが「清国人ハ到底信任シテ之ニ 当ラシムルノ不可能ナルコトナリ」という理由で、袁は「此際日本人ノ手ヲ経 テ革命軍側ノ重立チタル者等ノ意向ヲ聞キ合セ進ンデハ日本人ヲシテ協商ノ 任ニ当ラシムル如キ方法ニテモ講スル」ほかないと、日本が調停者の重任を担 当してくれようと日本の意向を尋ねた146。
これに対し、坂西中佐は頗る重大なる問題であるので伊集院公使と相談した 上で答えられると返事し、また軍費と財政について困難のようであるかどうか と質問したところ、袁は「コノ件ニ関シテモ実ニ困却シ居リ奈何トモ策ノ施シ 様ナシ何カ名案ナカルヘキヤ」と、財政の案についても坂西中佐に謀ってくれ るように懇望した。最後に、袁は日本一国だけで居中調停に当たり得るものな らば「最モ妙案トシテ希望スルナル所ナル」と語り、「公然ノコトトナラハ之 ニ因リ直ニ他ノ外国ノ干渉ヲ召致スヘキ」と再び外国からの干渉に対する憂慮 を嘆いた147。
袁世凱と坂西中佐との会談に対して、兪辛焞氏は「袁派喜劇的な一幕を演じ た」、「日本にこのような依頼をした目的は、12 月 2 日の南京の陥落に伴う一 時的画策であった」と指摘した148。たしかに、池井優氏も批判したように後か らみれば、これは袁世凱が日本が清国対してどの程度まで援助を与えられるか、
その能力と真意を探る計略であったが149、伊集院公使はこの申し出を肯定的に 受け取った。なぜかというと、イギリスから官革の停戦交渉などから排除され ていた日本にとって、袁世凱からこのような斡旋依頼はまさに「福音」のよう
146 『日本外交文書』(清国事変)、P.390
147 同上、P.390-391
148 俞辛焞『辛亥革命期の中日外交史研究』、東方書店、2002、P.47
149 池井優「日本の対袁外交(辛亥革命期)(2)」『法学研究』35(5)、慶応義塾大学法学研究会、1962、
P.51
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なものだからであった150。
伊集院は袁の依頼について翌日内田外相に打電して報告した。第一調停の件 に関して、「内密ニ確実ナル本邦人ヲシテ武昌ヲ初メ重ナル地方ニ於ケル革命 団ノ首脳ニ就キ妥協上ノ意向ヲ探ラシムルコト」として、日本人を武昌などの ところに派遣し革命軍側の意向を探ると上申した。また第二財政の件に関して、
「若シ帝国政府ニ於テ此際何等カ御考案ニテモアラハ差当リ或ハ本使一己ノ 卑見トシテ袁世凱ニ然ルヘク申入レ置クモナルヘシ」として、財政援助の案も 検討すべきと進言した。伊集院はこららの支援により、「漸次袁世凱等深く我 に依頼せしむること得策なる」と信じていた151。
この上申に対して、内田外相は 12 月 4 日「帝国政府ニ於テハ出来得ル限リ 居中調停ノ任ニ当リ以テ時局ヲ収ムルノ労ヲ執ルコトヲ辞セス」と伊集院公使 に電訓した。しかし、内田外相は袁の依頼に疑問を抱きながら、袁に接近して 彼をコントロールし、革命への干渉に乗り出し中国の時局を左右しようとした ので、袁世凱の「真意のあるところ」を突き止めよう伊集院に訓令し、下記の ような四点を提示するよう指示した152。
(一)袁世凱は在漢口英国総領事の斡旋を外国干渉の端緒を開くものという のが、今まで接収した電報の内容によれば、英国総領事の斡旋は袁自身 の希望によるものではないだろうか。袁がイギリス側に依頼向かって斡 旋を依頼したのは日英関係に顧みて異存を唱えるものではないだろう か。袁が一面イギリス側に斡旋を求めて、日本に対してこれを甚だ憂慮 に堪えない外国干渉の端緒を開くものと告げて、調停の尽力を請うとい うのは矛盾することであり、今後各国間の離間中傷等が次第に盛んにな るので、事実の真相を確かめることが必要である。
(二)もし袁世凱がイギリス側の斡旋をその真意に沿わないものであり、ぜひ 日本の手によって調停を遂げることを欲する場合に、十分に日本を信頼 する誠意を表すことが必要である。また、調停は日本にとって非常に重 大な責任を負担するので、清国側の決意が必要である。すなわち、日本
150 俞辛焞『辛亥革命期の中日外交史研究』、東方書店、2002、P.47
151 『日本外交文書』(清国事変)、P.391
152 同上、P.391-394
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の手によって調停が成立した場合、清国は必ず承認を与え、日本の体面 を損するよう行動をしないと言明する必要がある。
(三)日本は既にイギリスと交渉を始めているが、イギリスと合意した方針の 下で今回の調停を行うべきである。清国政府もこの方針を了解しその態 度は十分に合致することを必要とする。すなわち、清国政府は立憲主義 を承認し朝廷専制の弊を去り漢人の地位を尊重するようなことを誠実 に実行する必要がある。また官革双方の関係者はすべて罪を問わず将来 も口実を設けて彼らを迫害するようなことをしない決意がある。
(四)日本はイギリスとは同盟関係を持ち、将来の行きかかりに照らして自然 に内協議を遂げることを必要とするので、清国政府もこの点に関してあ らかじめ了承しておくことが必要である。また袁が内話した財政策につ いては、清国政府が日本に信頼する決意が確かなる上、日本独力により 援助できなくても日本の仲介によって欧米に資金を仰ぐ方法もあるの で、清国はこの際窮乏のあまりいかがわしい資本家に借款を求めるよう なことに努めて避けるべきである。清国政府にとってもっとも必要なの は前記の決意を定めることである。
内田外相は伊集院公使に、袁世凱には以上の四つの要求を執行する決意があ るかどうかをぜひ確認するよう訓令した。しかし、袁はその後まもなく日本干 渉の申し出を取り消し、唐紹儀153と調停の重任を当たらせた154。この意外な結 果を知った内田外相は「摂政王廃位ノ件及唐紹儀派遣ノ件ヲ英国公使ニ内話シ ナカラ之ヲ貴官(伊集院公使)ニ通報セサルカ如キモ甚タ面白カラサル」と激 憤し、12 月 8 日伊集院公使に「貴官ノ申出方ノ当否ヲ論スルハ無益ニ属スト 雖此際特ニ貴官ノ御考慮ヲ促カシタキハ袁ノ我ニ対スル態度ヲ探求スルノ一 事」として、袁世凱の真意を探求するよう命令した。また、もし袁世凱が「内 実我ヲ疎外スルノ意ヲ有シ単ニ我ヲ利用シ若ハ我ヲ操縦セントスルモノナル カ如キコトアルニ於テハ我ニ於テモ亦之ニ応スル覚悟ヲ要スル義ナル」として、
日英を離間する企図があれば日本はこれを許さないことを警告するよう訓令
153 中国,清末,民国期の政治家。アメリカのコロンビア大学に学び,帰国後朝鮮の海関長,
朝鮮総領事,外務部侍郎,郵伝部大臣などを歴任した。辛亥革命に際し,袁世凱より南北和議 の北方代表に指名された。『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』
154 『日本外交文書』(清国事変)、P.402
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ら公然とした干渉に乗り出そうとした。日本の干渉策は当初の満族を中心とし た清朝朝廷を全面的な支援から、清朝の名義上の統治の下に漢人が政治を行う 立憲君主制の支持へと方針を転換したのであった。しかし、日本の対袁外交は イギリスに一歩先んじられて袁の日本に対する信頼を獲得できなかった。また、
日本はイギリスに日英の共同干渉を呼びかけ、手を組んで列国を動かそうと試 みたが、袁の権謀術数的な行為とイギリスの日本排除の行動によって実現でき なかった163。この時期日本の外交行動の結果として、前述した 12 月 9 日の電 報「帝国政府ニ於テ強テ之ニ対シ異存ヲ有スルモノニアラス164」とイギリスに 回答するように、イギリスの単独干渉に従わざるを得なかったものであった。
163 俞辛焞『辛亥革命期の中日外交史研究』、東方書店、2002、P.49
164 『日本外交文書』(清国事変)、P.405
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