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第五章 降臨神話と天皇号

第一節 降臨神話における王権思想

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第五章 降臨神話と天皇号

第一節 降臨神話における王権思想

天皇制は、日本史全体にかかわる最大の研究テーマであると言われている。

本節は古代国家における天皇の在り方と天皇の始源となる神話を分析し、天皇 の統治の基となる構造と文化的背景に焦点を当て、分析を試みていきたい。

『古事記』と『日本書紀』などの文献では、大和朝廷の発祥の地のいきさき を明らかにし得ないと武光誠が指摘している。そして武光によると、大和朝廷 の発祥地については、日向から東の方へと進撃した磐余彦が率いる軍隊が大和 を征服したと記されていた。磐余彦が橿原で即位して初代の神武天皇になった ということが、この物語は磐余彦を神の子孫とする極めて神話風の内容となっ ているという。138

また、天皇はもちろん、神代の昔から天皇だったわけではなく、ある段階で 成立したものであると言われている。天皇号の成立については全く触れないわ けにはいかないため、ここでは天皇号の成立について論じてみる。大津透によ れば、現在では、通説とまでいかないとしても、天皇号の成立を天武天皇、持 統天皇朝に想定する説が支配的であると指摘している。139

安丸良男によれば、王はどのようにして超越的な権威性と支配の正当性を獲 得するというのが、王権論にとってもっとも根源的な問いとされている。差し 当たっての形式的な答えは、広義の即位礼儀を通してということである。王は 人間であり、政治的な支配者であるが、しかし彼らは神に近づき、或いは神と 一体のものだとされる。140

138.武光誠(2003)、『大和朝廷と天皇家』、平凡社、P.284。

139.大津透(1999)、『古代の天皇制』、岩波書店、P.3。

140.安丸良夫(2002)、『天皇と王権を考える第五巻―王権と儀礼』、岩波書店、P.1。

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天皇制における広義的な即位儀礼は、八世紀ごろから践祚、即位の礼、大嘗 祭の三段階に分けられている。安丸の解釈では、昭和天皇を例にしてみれば、

死去してすぐ一九八九年一月七日午前一〇時に剣璽等が次の天皇に渡されて 践祚の儀が行われた。即位の礼は翌年の十一月十二日、大嘗祭は同月の二十三 日の夜から翌日にかけて行われた。

また、安丸の説明に従えば、大嘗祭は二回以上の廃絶や中断を経て、一七三 八年に再び再興された。近世の国学や水戸学では、大嘗祭は天照大神に由来す る天皇位の正統性を根拠づける神秘的な宗教儀礼として重んじられ、この見方 は近代に継承された。そこでは、天孫降臨神話に依拠して、天照大神から引き 継がれる天皇の神性、つまり現人神としての天皇の特質が重要視される。141

天孫降臨の神話は、日本神話の中での最大のピークだと鳥越憲三郎は指摘し ている。天皇の祖先が天つ神として天からこの国土に降臨したことを宣示する ことにより、神聖にして犯すことのできない王権を確立しようとした。そのた めにその神話は絶対に必要なものであったという。

鳥越の解釈によると、天孫降臨の神話を狭義に解すれば、高天原から天孫で ある瓊瓊杵尊が、この国土に降臨する時のことであり、この天孫降臨の物語を 軸として、主の構成をなされていたものである。古代人の考えでは、人と人と の戦いは、同時に神と神との戦いでもあった。それで勝利を遂げた自分たちの 神が実際の戦いにおいても勝つことができると信じていた。

このような考え方を日本の神話にはめ込んでみると、この国土の主権者を降 服させて、高天原から天孫が降臨して統治をすることになる前に、高天原の神 と根の国の神との間に、征服と服従の事実が前提として必要だと考えられる。

それが高天原の主権者である天照大神に対し、根の国を代表する須佐之男が降 伏するという物語となって始まると鳥越が言っている。142

141.安丸良夫(2002)、『天皇と王権を考える第五巻―王権と儀礼』、岩波書店、P.3。

142.鳥越憲三朗(1970)『神々と天皇の間』、朝日新聞社、P.190。

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その征服される根の国という設定に、都から出て西北の出雲の国が選ばれた のである。前章の第二節に言及したように、須佐之男は高天原でさんざんの悪 事を働いた末で、天照大神がそれに怒り、身を隠して、須佐之男を根の国であ る出雲の国へと追放した。

他の学説では、例えば大林太良が『東アジアの王権神話』では、こうなって いる。天照大神が須佐之男の暴行により天岩戸に神隠しをした時点では、すで に一回殺害された。須佐之男によって死亡した機織り女が実は天照大神自身で あるということは、多くの学者が考えたことであったと大林が言っている。143 このことについては、次節にさらに詳しく説明したい。

水林彪によれば、『古事記』の建速スサ之男、すなわち須佐之男は、天照大 神、月読神とともに、伊邪那岐の禊から生まれた三貴子の一柱である。乱暴を 働くこともある神ではあったが、それは神名が示唆するように生来強く「建」

速く勢いのある「スサ」男神であったことに加えて、伊邪那岐の黄泉国訪問に 帰結として、葦原中国にもたらされたらしい禍神という悪神が付着してしまっ たことの結果であった。祓によって悪神が除去されるならば、建速スサ之男は その本来の善性を取り戻し「貴子」となるという。144

それに対して、『日本書紀』では須佐之男が素戔嗚尊となっている。それは ほとんど正反対の性質の神であった。素戔嗚尊という神名がすでにこのことを 示唆している。「素」は根本、本質、基本成分などの意、「戔」は害する、損な うの意、「鳴」は泣く、叫ぶの意であり、全体として泣き叫び他を害すること を本性とする神というほどの意味になる。物語の展開も素戔嗚尊がまさしくそ のような神であることを示すのである。145

須佐之男はそのような神である故に、父母である伊邪那岐と伊邪那美はこれ

143.大林太良(1984)、『東アジアの王権神話』、弘文堂、P.90。

144.水林彪(2002)、『天皇と王権を考える―第四巻宗教と権威』、岩波書店、P.32。

145.水林彪(2002)、『天皇と王権を考える―第四巻宗教と権威』、岩波書店、P.33。

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を根の国へ逐ふこととなった。須佐之男はこの命令に従わず、高天原に上がっ てそこで様々な悪事を行う。最終的に高天原の神々に色々な刑罰を科され、根 の国へと放逐されたという。

天孫降臨の物語の続きでは、前記のように、根の国である出雲の国へと追放 された須佐之男は、出雲の国の簸の川の上流に降り、老夫婦とその娘に会い、

八岐大蛇が毎年この老夫婦の娘を呑みに訪れてくることを知った。須佐之男は 八つの酒槽の支度をし、八岐大蛇が一つ一つの頭を酒槽に入れるのを待つ。そ して八岐大蛇が酔って眠っているうちにすべての頭を斬った。その尾のところ に剣があり、それはのちの草薙剣である。

須佐之男はこの剣を高天原の天照大神に献上し、老夫婦の娘の櫛稲田姫を娶 り、国造りの大神である大国主神を生む、これが上巻の神代篇の終わりである。

鳥越憲三郎によると、神剣を大蛇の尾から出たものとしたのは、その剣を神 聖にして神秘なものに権威づけるためである。その神剣を、根の国の主長から 高天原の主長へ献上する。それは言うまでもなく高天原に対する根の国の降伏 を意味するものであった。どの部族も降伏の印として、主権を表徴する神宝を 奉献したという。146

天孫、すなわち天神の子孫が天上世界(高天原)から地上の世界に降臨する という君主の悪政に苦しむ人民たちを救済し、地上の世界に「大和」と「太平」

を実現するための教戒を授けるという宗教哲学が重要な地位を占めていると いう。147

先ほど言及したその神剣は、のちの草薙剣となったのである。また、その神 剣は大蛇のいるところ常に雲気があったことから、天叢雲剣とも呼ばれている。

天照大神はこの剣を三種の神器の他の二種、つまり八咫鏡と八尺瓊勾玉ととも に、子孫である瓊瓊杵尊に授けて天下らせ、それ以来皇居に安置されたと言わ

146.鳥越憲三朗(1970)『神々と天皇の間』、朝日新聞社、P.192。

147.福永光司(1978)、「天皇と真人」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、PP.15-16。

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れている。前述の真人と神器の詳細ついては、次節にまとめていきたい。