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第四章 神道における中国思想

第三節 道教の日本伝来と神道

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最後に、前記の『古事記』と『日本書紀』冒頭の「天、地」開闢の隠された 原動力ともなるべき、陰陽天体の神格化という半面を根底に残存していると山 上は言っている。120

以上から見ると、『古事記』と『日本書紀』は古代の中国思想に強く影響さ れていることは明白であり、道教からも影響が及ばされているということは明 快に示されている。

第三節 道教の日本伝来と神道

道教の定義については前節のようにまとめてある。しかし神道が道教に影響 を与えられたという証になっているというようなことはまだない。松田智弘が

『古代日本の道教受容と仙人』で説明したように、道教に日本伝来を記するも のはないという。

道教が日本へ伝来していれば、もちろん道観、道士、道教教典が存在し、仏 教のような宗教活動がなければならない。だがそのような痕跡はないと言われ ている。江戸時代に、本居宣長は日本への道教伝来を否定したという。宣長は おもに道教の日本における宗教展開を否定したという。121

しかしながら、道教的要素を日本のなかから抽出し、求めることは困難であ ると考えている。道教に宗教の展開がないのであれば、道教の実際を知らない まま要素だけを受容したため、日本文化に融合し、見分け難くなっていたと松 田智弘は言っている。122

また、後漢末期に「太平道」という道教の教派などの成立によって、道教の 日本伝来は二世紀末から三世紀にすることはやや強引な考え方だと思われる。

120.山上伊豆母(1989)、『古代神道の本質』、法政大学出版局、P.11。

121.松田智弘(1999)、『古代日本の道教受容と仙人』、岩田書院、P.297。

122.松田智弘(1999)、『古代日本の道教受容と仙人』、岩田書院、P.297。

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松田によれば、儒教、仏教の理解から考えると、文字の読み書きさえできなけ れば、道教への理解もあり得ないという。そのため、道教への理解は、日本に 漢文の素養がはじめて成熟した時期の五世紀ごろだと考えている。

道教が日本へ伝来し、影響をもたらしたことは朝鮮にあると言われている。

儒教、仏教の伝来を経験に、道教もそのような経由で日本へと伝わったと予測 できるのであろう。

松田の指摘によると、道教の日本伝来は七世紀の中葉であるという。皇極天 皇の時代に、道教的信仰に関心を寄せる傾向が存在するのは、高句麗が道教を 唐より得たことと関係している。高句麗へ道教が唐から伝わったのは、栄留王 七年(六二四)である。宝蔵王二年(六四三)にあらためて唐に道教を請う。

唐はこの宝蔵王の要請に基づき、道士に『老子道徳経』123を持たせて高句麗へ と派遣している。朝鮮における道教伝来は、高句麗、百済、新羅三国と唐の間 に緊張状態が続くなかで行われている。

また、唐から道教を伝え、道士を派遣したのは高句麗と新羅であり、百済に 伝来はないが、要素はあるという。124三国の緊張関係は、唐は使者を送り、そ の対立関係を緩和し、和解をさせた。高句麗が唐の道教を受容する理由は、も ちろん唐との友好を求めているということである。だが、高句麗には新羅、百 済二つの国に備えている同時に、唐にも警戒をしなければならない状態にある。

道教の受容は、なぜ唐との友好関係に繫がっているかというと、唐にとって 道教は重要な宗教であり、松田の説明によると、唐は李氏であり、道教の教祖 の老子もまた李氏であって、道教を保護し、教えを尊んだ所以である。唐の高 祖の世に、太上老君が現れ、「我こそが帝の祖である」といったとされるほど、

123.中国の道家書である。二巻、合計八一章、約五〇〇〇字からできている。春秋時代末期に、老子 の著したものと伝えられるが、実際には、戦国時代における道家思想家の言説を、漢初に集成し たものという。その思想は、宇宙間(自然界)に存する一種の理法に着目し、これを道と称し、

相対的一時的とする人の道に対して、恒久不変の道としてこれを讚美する。

124.松田智弘(1999)、『古代日本の道教受容と仙人』、岩田書院、P.299。

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道教を受け入れることはイコール唐の皇室を尊ぶことになる。ここからも、道 教の思想と皇室は密接に結びついているがわかる。

天皇の称号も、道教に求めて、この天皇号を採用したのは宗教的意義が含ま れるからであるという。この部分は、次章の第二節に詳しく説明したい。

言うまでもなく、日本の由来を記す『古事記』、『日本書紀』は史書に違いは ないが、神代からの説き方は宗教的である。混沌から独神が生じ、そして陰陽 二神が生じて、天、地、人、日、月、島々などを生み、ここに万物の発生をみ る、という構成は『老子』の「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、

三は万物を生ず」(「道化第四十二篇」)125という考えとは同様である。

阿部吉雄によると、道が万物を生成する過程は、まず道が一元気を生ずる。

次にその一元気は分かれて、陰と陽の二気となる。次にその陰、陽二気が感応 し合って、第三番目の沖気を生ずる。その沖気によって万物を生ずるという。

また、『淮南子』でも、「夫れ精神は天より受くる所にして、形體は地より禀 くる所なり。故に曰く、一、二を生じ、二、三を生じ、三、萬物を生ず。萬物、

陰を背にして陽を抱き、沖気以て和を為す。」(「精神訓」)126と似たような記述 が載っている。

上述のとおり、道教教典を思想的根拠に『古事記』『日本書紀』は編まれて いる。これは、王化の思想であると松田智弘は言っている。127また、前述の皇 室の由来は、宗教的に説かれる。

推古天皇の時期には、「天皇記」が記されたという。遣隋使、遣唐使を通じ て、中国の先進文化を積極的に取り入れかけた時期にあたる。唐の文化に倣う 限りでは、唐の保護する道教は無視できないと思われる。推古天皇の時期に、

道教は唐から高句麗に伝わり、「天皇記」という書名からも、皇室が道教を王

125.阿部吉雄(2010)、新漢文大系『老子・荘子(上)』、明治書院、PP.78-79。

126.楠山春樹(2008)、「精神訓」、新釈漢文大系『淮南子(上)』明治書院、PP.322-323。

127.松田智弘(1999)、『古代日本の道教受容と仙人』、岩田書院、P.302。

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化思想にしようと窺われる。

このように道教を王化思想としながら、道教の宗教的展開を禁止した理由は、

王化思想と皇室の権威を守るためであったと松田は指摘している。128唐の道教 の宗教的展開が許せば、唐の皇室を崇めることにも繋がりやすく、古代日本の 皇室にとってはあまり望ましくないことである。倣うことは許されるが、それ 以上の関りはないとされていた。

ひとまず、神道という言葉に戻してみる。第二章に言及したように、神道は 昔ながら「かんながらのみち」だと言われている。随神の道は、神代の昔から 伝わり、神慮のままで、まったく人為を加えない道である。神代から伝えられ た、日本固有の物の見方や考え方と書いてある。

福永光司によれば、平田篤胤は神道という言葉がはじめて用いられるのは、

西暦七二〇年、元正天皇の養老四年に成立した『日本書紀』である。その前の 七一二年に成立した『古事記』では、まだ用いられていないという。また、篤 胤は用明天皇の御巻のはじめに書いてあった「天皇弘法を信じ、神道を尊ぶ」

のなかの「神道」を神事の意味に解釈し、神事の「事」を神道の「道」と対応 させる。

「事」と「道」を区別する考え方は、道家の哲学で強調されることであり、

福永の指摘によると、具体的には、『荘子』ないしは『淮南子』、とくに『淮南 子』の「要略篇」では、「事」と「道」をはっきり区別し、全体的の論述の二 本の柱とするわけである。129

ところで、神道という言葉は、平田篤胤の説明によれば、中国の『易』の観 の卦の彖伝に見える言葉である。観は『易』六十四卦の一つであるが、『易』

の卦の文句に、「盥て薦めず、孚有りてうやうやし」というのがあって、つま り神を祭る場合に、手を洗って清める。「薦めず」というのは、お供え物など

128.松田智弘(1999)、『古代日本の道教受容と仙人』、岩田書院、P.303。

129.福永光司(1982)、『道教と日本文化』、人文書院、P.21。

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をすすめる前の、これから祭祀を行うという緊張の精神状態であり、それは人 間の精神のなかで一番純粋な誠実さのこもった状態であって、敬虔さの極致で あるというのが『易』の経文である。130つまり、篤胤は日本の神道と中国の神 道の違いを強調し、儒学者の神道観を徹底的に排撃するわけであると、福永が 指摘している。131

最後は、『古事記』冒頭の内容を顧みていきたい。福永光司の解釈によれば、

『古事記』漢文の全体的な構成は中国古典文献によるもので、その中国古典文 献の中には六朝隋唐時期の道教文献が多く含まれる。特に『古事記』の序文の

『古事記』漢文の全体的な構成は中国古典文献によるもので、その中国古典文 献の中には六朝隋唐時期の道教文献が多く含まれる。特に『古事記』の序文の