第三章、 以新劇為想像的「大眾」
第二節、 藝能祭下的新劇演出
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劇團演出「防諜劇」之說,79「防諜劇」成為分類的戲劇類型之一,可見其在戲 劇政策上重要性。「防諜」也具備排華影響的引伸,同文同種的華人常成為匪諜 出現身邊,偽裝各種身分竊取機密,而身為皇民之子的臺灣人必須有所警覺,甚 至大義滅親以衛國家安全。防諜劇在戰爭時期下,除反映現實狀況外,也更強化 以大日本作為「國家」,將殖民地全數納入的形象。
第二節、藝能祭下的新劇演出
1940 年臺灣新劇聯盟成立,由聯盟指派指導者給參加劇團,舉辦演員訓練 所,約半年期間就在永樂座舉行「藝能祭」的新劇競演活動,由「廣愛」、「星光」、
「東寶」、「高砂」四團競演,80使用日文劇本但以臺語翻譯演出。81
當時日治後期 1943 年臺北市十六家戲院中,「榮座」、「新舞臺」、「萬華劇場」
專供戲劇演出,「大世界館」、「新世界館」、「第二世界館」、「大三世界館」、「國 際館」、「臺灣劇場」、「芳乃館」、「第二芳乃館」、「芳明館」、「太平館」為映畫常 設館,「永樂座」、「第一劇場」、「雙連座」被列為影劇混和戲院,「永樂座」係專 門給本島人看的小電影院,或觀眾多屬下層階級的嘈雜戲院,而西門町的電影院 則多有冷氣設備。以本島人為主要客群的戲院有「新舞臺」、「萬華劇場」、「永樂 座」,以內地人為主要客群的有「榮座」及西門町的電影常設館。82藝能祭選擇 在「永樂座」舉辦,而非試演會舉辦地「榮座」,顯示在觀眾群定位上以本島人 為主,在語言、票價的選擇上也近於一般本島大眾標準。
詳〈防諜用語談義(一)〉,《臺灣警察時報》NO.312,1942 年 4 月 20 日
79 〈防諜劇を公演 嘉義厚生劇團頗る好評〉,《臺灣公論》NO.12,1938 年 12 月 1 日
80 依 1940 年 11 月 9 日《臺灣日日新報》夕刊 2 版〈臺灣新劇聯盟の藝能祭〉上刊載,其他二 加盟劇團「東明」、「鐘聲」亦會出演,將在兩三日內選定劇本並練習,是否因排練不及而未 出演尚待查明。
81 詳石婉舜〈「黑暗時期」顯影:「皇民化運動」下的臺灣戲劇(1936.9~1940.11)〉,《民俗曲藝》
NO.159,頁 60-61,2008 年 3 月
82 邱坤良《飄浪舞臺 臺灣大眾劇場年代》,頁 49-60,遠流,2008 年
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一、著重生動演技的藝能祭
關於 1940 年首次藝能祭的演出,在各方所獲評價都很高,《文藝臺灣》創辦 者西川滿評論:
臺灣新劇聯盟四劇團のコンクールの中では、東寶の「新しき出發」と、
星光の「黎明之家」が心に歿つた、實際にこの演劇をみるまでは前者は イデオロギーを盛りすぎた詞劇の故を以て、また後者は餘りに型にはま つた安易な筋の故を以て、正直なところ、たいした期待を持ち得なかつ たのであるが、一見するに及んで、かなりの感動に打たれた(中略)
律動感を覺えずにはゐられなかつた、私は臺灣語を知らない然し、話し てゐることは實によくわかつた、熱いものさへこみあげて来た、まして 臺灣語を解する人人には一層深い感激を與へたことと思ふ、事實、舞臺 で日本精神の發揚を說き、本島人の陋習改革を述べ、國語を話すありが たさ、皇民として歡喜を謳歌するあたり、觀客の拍手はしばし鳴りもや まなかつたであるし、すすりあげる(中略)
「新しき出發」では、漁師になつた楊錦、その妻楊月發、次男陳天枝の 諸君が抜群であつたし、他の諸君もよく呼吸があつて、完全な成功であ つた
「黎明の家」では前科者の翁寶樹君とその妹黃氏瑞月さんか立派だつた、
黃さんの和服姿も、その狂亂の死然たる姿も、また一寸した帶を直すし ぐさも、少しも不自然さはなかつた、それに舞臺もゆつたりして観客に は相當受けたのではないかと思う
さう云へば高砂の「月の漩渦」も實に眞劍であつた、木刀勝負ならぬ白 刃の熱演であつた、廣愛の『護れ國旗』は脚本の故に多少損をしたが、
南部特有の會話はなめらがで心地よかつたし、俳優諸君にも玄人らしい
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餘裕さがあつてよかつた83
開演前西川滿應已知悉劇本與臺詞,但因其太過理想的臺詞與簡單的故事架構,
開始並不抱太大期望,直到看到現場演出,因職業演員出色的演技與現場節奏拿 捏得當,使得不懂臺灣話的西川滿也感到熱血沸騰。由西川滿的描述可知,當時 藝能祭的新劇雖清一色宣揚皇民化政策,然以其生動的演技及大眾能理解的語 言,使觀眾深受感動,而達到宣揚政策的效果。藝能祭跨越職業新劇團商業演出 的界線,是在官方訴求下進行皇民劇演出的特例,也是官方將推廣皇民思想的主 力由業餘青年劇轉嫁部分至職業新劇團的開端,在評價與效果上較業餘劇團更成 功,且不論是否受到觀劇群不同的影響,對官方而言,職業新劇團似是達成以戲 劇傳遞皇民思想的另一可能性,然考量其商業性質,動員不易,也僅能以舉辦藝 能祭的方式進行。
自 1940 年舉辦首次藝能祭後,每年仍持續舉辦藝能祭,也有持續觀看的觀 眾進行比較,1941 年一位觀劇的夫人發出如下的評論:
處が確か兩三年前から內地風の演劇─新劇が出來て、演出の方法から、
劇の筋並びに感覺表現が全く內地風であつて物考へ方、物の觀方、物の 感じ方が內地風に識らずに引き込まれていく樣であります。そして最近 は時局物を澤山○込んでゐますので、樂しみ乍ら時局認識にもなり、こ れなら皆様をお誘ひして觀に行けるとおもはれます。
先日臺北の永樂座の新劇大會にまいりましたが、昨年の同處のコンクー ルと比較致しますなら演技、演出、照明等全般的に圓熟し、進步して來 たことは否めませんが、演劇が釀す氛圍氣とか、舞臺から受取る氣分と か言ふものは、確かに昨年の方が活氣があつた様に感じました。尤も本 年のコンクールではなく情報部選定脚本の發表大會と言ふせゐであつ
83 西川滿〈皇民化劇を見て 藝能祭新劇コンクール〉,《臺灣日日新報》夕刊 4 版,1940.11.17
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たかも知れません。もう一度昨年の氣分に滿ちみちにたものを見たいと 思ひます。一般觀眾の評を綜合して、忌諱なく申せば、脚本が臺北の様 な都會人には程度が少し低いのではないかとも思はれます。又臺詞も冗 長で、舞臺がだれ氣味になる様にかんじました。この脚本を水準の低い 地方に持つていけば一般觀眾に滿足されるかもしれませんが、さういふ 地方では上演出きる様な舞臺を持たないし、兎に角一般本島人民眾の知 識は皇民奉公運動によつて、事變以前に比じて、芝居の內容も觀客層の 知識の水準に伍して行く必要があるのではないでせうか。84
隔了一年後舉辦的新劇祭,在演出上不如首次舉辦所獲的評價那麼高,此篇評認 為出其原因在劇本上,由情報部所選定的劇本「程度略低」、「臺詞冗長」、「舞臺 沒有張力」,並不能達到預期皇民思想傳遞的效果。暫不提此評論的中央意識,
這時期在報章雜誌上發表評論的「觀眾」,已不再單純滿足於首次藝能祭造成的 震撼,而開始以更專業的角度比較與評論,除卻關心演技、演出、照明等技術層 面外,更從劇情架構、臺詞內容、演出氛圍等各面向深度考量,單純宣揚國策、
沒有戲劇張力及角色深度的劇本,已無法撼動具備都會中接受基本教育,擁有一 定程度知識水準的新劇觀眾,也因此新劇的劇本比起改良劇,普遍更需在「質」
上提升,而新劇劇本缺乏的問題也日漸浮出檯面。
二、人氣演員與劇本創造
職業新劇團如「星光」、「鐘聲」,主要演員多是有地緣關係的當地人,且大 部分為商人、地方知識分子、甚至市井大眾,沒有出國留學,未曾受過專業劇場 訓練,其舞臺生涯多半始於日治末期,進劇團後才開始學習戲劇,經過見習、中 間、幹部等階段,邊演邊學,85但也有不少人氣演員,在官方特意的形塑下,創
84〈島民劇を見て 一層水準を高めたい〉,《臺灣日日新報》夕刊 4 版,1941 年 11 月 16 日
85 邱坤良〈星光與鐘聲〉,《表演藝術》NO.89,頁 100-101,2000 年 5 月
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造出一種與過往演員有別的知性、健康而摩登的形象,86以產生「新劇演員」與
「現代化」、「文明化」表徵間的連結。
除此之外,劇本編寫也成為官方重心之一,以藝能祭的《黎明之家》為例,
此劇描以一群口渴要水喝的日本中學生,偶遇遭受村民排擠的前科犯勇良,鼓舞 其重新站起為開頭,描述到勇良的故事。勇良父親為偷鄰人的牛乳給飢餓的勇良 兄妹,被發現後重傷鄰人入獄,在獄中抑鬱而終。勇良兄妹自小在同情與嘲諷中 成長,造成勇良因受不了村民欺負憤而縱火入獄,出獄後因前科犯身分使勇良兄 妹更受排擠,惟有日警田中時常給予開導及幫助。勇良妹在日警田中的介紹下嫁 入鄰村,卻因前科犯之妹的身分被婆婆趕回家門。正巧此時勇良接獲徵召令,卻 擔心因拋棄而發狂的妹妹無人照顧,日警田中與妹夫貞順適時出現,田中說服村 民一同前來替勇良出征慶賀,貞順則為接回妻子美寶,也使美寶恢復神志。最後 眾人齊呼萬歲與合唱愛國進行曲,歡送田中與勇良出征。此劇展現日臺融合的主 題,在主角勇良與日警田中深厚的情誼,甚至是偶遇的日本中學生也能與其互相 體諒,相對本島村民的百般排擠、刁難,更是明顯對照。勇良的形象由最先的強
此劇描以一群口渴要水喝的日本中學生,偶遇遭受村民排擠的前科犯勇良,鼓舞 其重新站起為開頭,描述到勇良的故事。勇良父親為偷鄰人的牛乳給飢餓的勇良 兄妹,被發現後重傷鄰人入獄,在獄中抑鬱而終。勇良兄妹自小在同情與嘲諷中 成長,造成勇良因受不了村民欺負憤而縱火入獄,出獄後因前科犯身分使勇良兄 妹更受排擠,惟有日警田中時常給予開導及幫助。勇良妹在日警田中的介紹下嫁 入鄰村,卻因前科犯之妹的身分被婆婆趕回家門。正巧此時勇良接獲徵召令,卻 擔心因拋棄而發狂的妹妹無人照顧,日警田中與妹夫貞順適時出現,田中說服村 民一同前來替勇良出征慶賀,貞順則為接回妻子美寶,也使美寶恢復神志。最後 眾人齊呼萬歲與合唱愛國進行曲,歡送田中與勇良出征。此劇展現日臺融合的主 題,在主角勇良與日警田中深厚的情誼,甚至是偶遇的日本中學生也能與其互相 體諒,相對本島村民的百般排擠、刁難,更是明顯對照。勇良的形象由最先的強