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『たけくらべ』における少女の変貌 5.1 はじめに

『たけくらべ』(明 28.1~明 29.1)は初め「雛鶏」1と題して、未定稿として 書かれていたものと推定される。明治二十八年一月三十日発行の『文学界』第 二十五号に最初の第一章から第三章までの分が発表されてから、最後の第十五 章、第十六章が翌二十九年一月三十日発行の『文学界』第三十七号に発表され るまで、一年間に亘って書き続けられえたものであるが、その間暫く中断され た時期もあり、また併行して数篇の作品が発表されるという制作状況の中で世 に出たものである。当時それほど評判にはならなかったが、明治二十九年四月 十日発行の『文芸倶楽部』第二巻第五篇に一括再掲されたとき、森鷗外・幸田 露伴・斎藤緑雨の三人による合評「三人冗語」(『めさまし草』明 29.4)で激賞 され、とくに鷗外による「われはたとひ世の人に一葉崇拝の嘲を受けんまでも、

此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」とまで言ってい る。以来今日においても一葉の小説といえば『たけくらべ』をあげる、いわゆ る代表作として、日本近代文学史における歴史的作品とされている。2「たけ くらべ」という題名は『伊勢物語』二十三段3の二首の和歌、(「筒井筒井筒に かけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざるまに(男)」「くらべこし 振分髪 も肩すぎぬ 君ならずして誰があぐべき(女)」)少年少女の恋・成長という事 柄からとったというのである。幼い二人が適齢期になって、お互いに恥ずかし がっていたが、幼馴染の淡い恋を結んで、夫婦になる話である。

一葉は明治 26 年 7 月、本郷菊坂から大音寺前(下谷竜泉町)に、母と妹の

1 「雛鶏」という題名は、おそらく「巣を出て塒も知ら雛鶏のなぜや暮れゆくひよと啼くらん」

「宇津保物語」「鳥の子はまだひなながら立ちてゐぬかひの見ゆるは巣もりなりけり」「拾 遺和歌集」)あたりの和歌に拠るものと思われる。「雛鶏」は、その未定稿の内容も、題名のよ うに大人から保護された子供たちを描こうとしている感が強い。(岩見照代・他編『樋口一葉 事典』、おうふう、1996.11、p.44)

2 西尾能仁『一葉・明治の新しい女―思想と文学―』、有斐閣、1983.11、p.126

3「井戸を囲う井戸枠と高さをくらべた僕の背丈も、あなたが見ない間に、ずっと高くなって しまったよ(男)「あなたと長さをくらべあった、おかっぱも、肩を過ぎる長さとなりました。

あなたではなくて、いったい誰の為にこの髪をあげて、私は大人になるの(女)」堀内秀晃・

秋山虔校注『竹取物語・伊勢物語』、岩波書店、1997.1、p.104-106

三人で移り住み、駄菓子屋を開き、そこでの生活体験が作品と大きくかかわっ ている。翌 27 年 5 月、閉店してから本郷丸山福山町に移った。わずか 10 ヶ月 足らずの生活であったが、〈下谷龍泉寺にて荒物と駄菓子屋を営み、店に出入 りする子供たちの会話や動向を観察したと思え、繊細な心理分析まで緻密に写 実的に描写されたのは、この時の体験が素材になったものである〉といわれる。

4作品の筋書きに移ると、吉原遊廓の裏町を舞台として、夏から初冬への季節 の移ろいの中で、龍華寺の信如・大黒屋の美登利・鳶の頭の子長吉・田中屋の 正太郎の四人を中心に、表町と横町の子供達の対立を主軸に据えながら、その 恋愛や挫折を主題とする物語である。僧侶の息子信如は学問ができ、長吉に尊 敬されている。一方、姉の全盛の遊女を誇りとしている美登利は持ち前の気風 で子供仲間の女王様である。八月二十二日の千束神社の祭りの夜、美登利は長 吉に罵倒され屈辱を受けた。このことがあってから美登利は信如を長吉の仲間 だと思い込み、密かに慕っていた信如を恨むようになる。いつしか秋風の吹き はじめた十一月三日の酉の市の日、正太郎は、美しく着飾った美登利を見つけ、

大黒屋の寮まで付いてゆくものの、美登利の不機嫌な理由がわからないままに 退散する。この日を境に、これまでの陽気で勝気だった少女は、内気な性格に なってしまう。ある霜のおりた朝、美登利の家の格子戸に水仙の造り花を差し て行った者があった。その日は信如が仏門に入るためにこの町を立ち去る日で あった。5

『たけくらべ』を読解する場合、美登利の急激な変貌の原因は何であるか。

この変化をどう読むかは、『たけくらべ』論における、最大の焦点となった。

〈美登利の変貌理由〉に関するこれまでの先行論文は、大きく分けて五つの説 に分かれる。一つ目は、和田芳恵・塩田良平両氏を中心として前期初潮説(石 崎等氏、重松恵子氏、山本欣司氏、矢部彰氏)6と、次の初店説を受けて初潮

4 朴那美『たけくらべ』『国文学解釈と鑑賞』第 68 巻 5 号、至文堂、2003.5、p.90

5 岩見照代・他編『樋口一葉事典』、おうふう、1996.11、p.44-45

6 【前期初潮説前期初潮説前期初潮説】石崎等氏によると、前期初潮説 〈髪形・衣装という外的な記号だけではなく、それを結 い纏うに相応しい肉体の変化があったと見るのが至当であろう。つまり同時代批評以来、人口 に膾炙している初潮をみたことがそのきっかけに他ならない。身体の成熟にともなう変化は、

身体の成熟にもなう変化は、登校拒否児ではあるが、まだ小学校に在籍している少女を残酷に も性の儀式の主人公に仕立て上げる〉という。(石崎等「無垢(イノセンス)のゆくえ(一)

―『たけくらべ』試論」『立教大学日本文学』70 巻、1993.7、p.45)。また、重松恵子氏による と、〈花魁になることを期待されている美登利の場合、初店には充分な準備期間を設けたはず で、美登利の変化は、やはり周囲も予期せぬうちに初潮が始まったと考えるほうが適切である〉

~成女式を想定した後期初潮説に分けられる(青木一男氏、関礼子氏、宮崎千 娘の物語―『たけくらべ』試論」『弘前大学教育学部紀要』87 巻、2002.3、p.12-13)。さらに、

矢部彰氏によると、〈美登利の「大人に成る」ことを象徴するのが「初潮」であったのだ。美 文学』20 巻、1994.12、p.47)。また、関礼子氏によると、〈「いつでも極りの我まゝ様」(十五 章)であった美登利にようやく「初潮」が訪れ、そのことを待ち構えていた人々の手によって 盛大な儀式が行われ、大黒屋の主人から遠からず「初店」の日が訪れることが告知された、と 考えるのが最も自然な解釈ではあるまいか。「初潮」「成女式」という段階を踏むことで、特殊 な環境に置かれた美登利という存在が「少女なるもの」の普遍的な一つの形象としてわれわれ と地続きの存在になるのではないか〉という。(関礼子『語る女たちの時代・一葉と明治女性 表現』、新曜社、1997.4、p.287)。宮崎千鶴氏によると、「初潮〉を迎えれば一人前の女となっ たことを〈成女式〉として祝い、世間一般の娘なら〈母〉になる印として先輩の母親に教授さ れることが、吉原という特別な地で迎えた〈初潮〉は、〈母〉になる事など全く関係なく、〈遊 女〉として体が資本になることを、姉女郎から教わると考えられるからだ。〈初潮〉〈成女式〉

を契機とした〈禿〉の廓内修業のほうが、〈生動〉してくるのではないか」という。(宮崎千鶴

「樋口一葉『たけくらべ』論」『国文橘』28 巻、2002.3、p.26-27)

8 【初店説初店説初店説】吉田千佳氏によると、初店説 〈初めて男性に体を開かせられたとき、遊女の仕事がどの 語科研究論集』45 巻、2004.1、p.77)

9 【両説否定論両説否定論両説否定論】本田和子氏は〈両説否定論 「憂きこと」が果たして「初潮」だったのか、あるいは「初

氏を中心として検査説(峯岸千紘氏、石井茜氏)。10これは、娼妓になる為の

(朴那美「樋口一葉の『たけくらべ』にみられる悲哀」『言語と文芸』117 巻、2000.11、p.106)

10 【検査説検査説検査説検査説】峯岸千紘氏によると、〈三の酉の後の美登利は「かの日を始めにして生れかはり

(猪狩友一「〈美登利の変貌〉私解」湘南文学』11 巻、1997.10、p.30-32)そして、藤村猛氏 は美登利に「恋の意識化の過程」を読む猪狩友一氏の考察に賛成する。その一つの姿として、

「憂く恥ずかしい」行為であったという見解である。

美登利の変貌の理由は長い間「初潮」であると考えられてきた。しかし、佐 多稲子が「『たけくらべ』解釈へのひとつの疑問」で、〈初店説〉を発表したこ とにより、美登利の変貌の原因について論争が行われた。この論争の過程で上 杉省和「美登利の変貌―『たけくらべ』の世界―」により「美登利の突然の変 貌の原因を、検査場で身体検査を受けたことに求め」る〈検査場説〉が出され た。それから、恋の自覚説、体を売る自覚説といった新たな見解も出てくる。

どちらの説も決め手に欠け、現在でも変貌の理由は確定されていない。このよ うな諸説が対立している状況について、結局、「美登利の変貌」に関して一つ の定説が確定したとは言い難い状況が続いている。本章では、美登利の変貌に

どちらの説も決め手に欠け、現在でも変貌の理由は確定されていない。このよ うな諸説が対立している状況について、結局、「美登利の変貌」に関して一つ の定説が確定したとは言い難い状況が続いている。本章では、美登利の変貌に