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第六章 『にごりえ』における酌婦の独白夢遊

6.4 宿命的な死の結末

お力は源七と絶縁したかどうか、先行研究によれば、三つに大別できる。① 復縁の説。今井泰子氏は、お力が最終幕の直前に太吉に買い与えたカステラは、

復縁の意志の現れと映るであろうし、男女間の心理的駆け引きにたけたお力に その予測がつかなかったはずはない、と述べている。56②絶縁の説。石丸晶子 氏は、源七に対して、彼女の気持がふっ切れたからこそ、彼女は太吉に近づき、

菓子を買ってやることができる、と言っている。57また、須田千里氏によると、

子供にカステラを買ってやったのは、経済力ある新しい情夫を見せつけ、源七 に諦めさせるためである、という。58③無絶縁の説。渡部芳紀氏は「今はさめ ているとする読み方が圧倒的に多いが、それは間違いである。お力は、今でも 強く源七を愛しているのだ。お力が源七に冷たくするのは、自分の思いを圧え つけているのである」と指摘している。氏によると、お力は、源七一家の幸せ を考えると、今の自分の源七への恋の思いを諦めることが一番だと考えた、と いう。59お力は源七と絶縁する気がするかどうか、お力はお高、朝之助との会 話から考察しようとする。第一章におけるお力とお高の会話の場面から考えて みる。

「力ちやん先刻の手紙お出しかといふ、はあと氣のない返事をして、ど うで來るのでは無いけれど、あれもお愛想さと笑つて居るに、大底にお しよ卷紙二尋も書いて二枚切手の大封じがお愛想で出來る物かな、そし て彼の人は赤坂以來の馴染ではないか、少しやそつとの紛雜があろうと も縁切れになつて溜る物か、お前の出かた一つで何うでもなるに、ちつ とは精を出して取止めるやうに心がけたら宜かろ、あんまり冥利がよく

56 岩橋邦枝・他『群像日本の作家 3 樋口一葉』、小学館、1992.3、p.193

57 三好行雄『近代小説の読み方 1、有斐閣、1979.8、p.84

58 須田千里「『にごりえ』試論-他者のことば」『国文学解釈と鑑賞〈特集・樋口一葉-新た な一葉像へ向けて〉』60 巻 6 号、1995.6、p.73

59 渡部芳紀氏は、「今まで、源七の気持を受け入れて来た事が、結果として彼を破産させ、彼 の妻や子をも悲惨のどん底に陥れてしまった。幼い太吉に、自分の子供の頃のあの貧乏の悲し さを味わわせていると思うとたまらない思いがしたことであろう」と述べている。(渡部芳紀

「にごりえ」『国文学解釈と鑑賞』〈特集・近代文学が描く愛と性〉52 巻 10 号、1987.10、p.42)

あるまいと言へば御親切に有がたう、御異見は承り置まして私はどうも 彼んな奴は虫が好かないから、無き縁とあきらめて下さいと人事のやう にいへば」(一・p.4、下線筆者)

以上の場面において、お高はお力に源七との縁を戻させように手紙を出すこと を勧めている。お力は「大底におしよ卷紙二尋も書いて」いるが、手紙を出さ なかった。ある意味では源七への深い情念がまだ残っていると考えられる。お 力のいう「私はどうも彼んな奴は虫が好かないから、無き縁とあきらめて下さ い」という言葉から源七と断念できないことが読み取られる。お高はさらに次 のようにお力を説得して語っている。

「夫は今の身分に落ぶれては根つから宜いお客ではないけれども思ひ合 ふたからには仕方がない、年が違をが子があろがさ、ねへ左樣ではない か、お内儀さんがあるといつて別れられる物かね、構ふ事はない呼出し てお遣り、(略)お前は氣位が高いから源さんと一處にならうとは思ふま い、夫だもの猶の事呼ぶ分に子細があるものか、(略)お前は思ひ切りが 宜すぎるからいけない兎も角手紙をやつて御覽、源さんも可愛さうだわ な」(一・p.5-6、下線筆者)

つまり、お高にとって、お力が源七と別れたのは、源七の女房お初のためで あり、二人の年齢さ、そして息子太吉のためである。だが、お力が源七と別れ た鍵は、「今の身分に落ぶれては根つから宜いお客ではない」ということであ ろう。源七は家産のすべてをお力に入れ揚げ、零落し不幸になった。お力は「人 情しらず義理しらず」「菊の井のお力を通してゆかう」と決めたが、実は「惡 魔の生れ替りにはあるまじ」(五・p.20)、「障れば絶ゆる蜘の糸のはかない處」

(五・p.21)のある人間であり、それに幼女時極貧体験をなめたことがあるの で、自分のゆえに源七一家の生活に崩壊されたことに対し、憐憫の情が生じる 可能性も考えられる。山本洋氏は、お力はそんな源七を冷酷無情に捨て去るこ とができない、憐憫の思いに心が痛むし、罪業感もある、と解している。60

60 山本洋氏によると、お力が毎日の酌婦稼業のなかで人間的な真実といったもの、繊細純粋

のため、彼女は、源七から離れることが一番いい選択であると考え、「彼んな 奴は虫が好かない」「何の今は忘れて仕舞て源とも七とも思ひ出されぬ」(一・

p.5)など、すでに自分と縁が切るような言い方をした。第三章におけるお力 は朝之助との会話の場面から彼女の思慮もうかがえる。

「結城さん貴君に隱くしたとて仕方がないから申ますが町内で少しは巾 もあつた蒲團やの源七といふ人、久しい馴染でござんしたけれど今は見 るかげもなく貧乏して八百屋の裏の小さな家にまいまいつぶろの樣にな つて居まする、女房もあり子供もあり、私がやうな者に逢ひに來る歳で はなけれど、縁があるか未だに折ふし何の彼のといつて、今も下坐敷へ 來たのでござんせう、何も今さら突出すといふ譯ではないけれど逢つて は色々面倒な事

、、、、

もあり、寄らず障らず歸した方が好いのでござんす、恨 まれるは覺悟の前、鬼だとも蛇だとも思ふがようござりますとて」(三・

p.13、下線筆者)

お力が源七を避ける理由は「面倒な事」にあったのである。その事は、自分 のゆえに身を破滅させていた源七に妻と子供を養う困難の状態に陥らせ、生活 を崩壊させることである。お力は、相手がいかにも自分の無情を「鬼だとも蛇 だとも」と恨んでも、かまわず、ただ相手を一層不幸させなければいいと思っ ている。しかし、源七の子供太吉に「鬼」と罵られるお力は、「私の事をば鬼々 といひまする、まあ其樣な惡者に見えまするかとて、空を見あげてホツと息を つくさま、堪へかねたる樣子は五音の調子にあらはれぬ」(三・p.15)とあるよ うに、心が苦しくてたまらない。源七のために会わないのは、まだ源七との情 が断ち切れないからである。それに、源七の事を思うと、又「持病」(三・p.12)

が起こった。このことから、お力は源七との縁をまだ断ち切れずに、彼のゆえ に苦悩することがわかる。

お力は源七との絶縁を決める契機は、「我戀は細谷川の丸木橋わたるにや怕 し渡らねば」と唄ったときである。自分の身分の限り、真の愛情を求めるのは

な心といったものを磨りへらさず保持し続けているので、普通の酌婦ならば呵責も罪業感も感 じない行動をとるのに、お力はわが身を引き裂かれるほど苦悩煩悶するのである、という。(日 本文学研究資料刊行会編『幸田露伴・樋口一葉〈日本文学研究叢書〉、有精堂、1982.4、p.228-229)

至難のことがわかってきた。たが、その遂げない愛情に対し、やはり真正面に 対面しがたく、源七から避けるしかない。店を飛び出したお力は、すでに客観 的に過去の愛情に対し、「渡るにや怕し渡らねば」と自覚した。遂げない愛情 に苦悩する自分は、現実脱出に向ってそこから乗り越えようと考えた。山本洋 氏によると、丸木橋を渡るのは、長く深い馴染みだった源七を振り捨て、結城 に乗り換え結城に身をまかせる行動である、という。61また、須田千里氏は、

丸木橋を渡るとは、そうした他者の誤解を覚悟しながら、源七と絶縁するとい う目的に向って進むことなのであると指摘した。62「他者の誤解を覚悟」する ことは、すでに源七と逢わせないと決めたときにあったと思う。それに、「源 七を振り捨」ることをさらに考えれば、丸木橋を渡るお力は振り捨てるのが、

源七への愛情であり、残しているのが源七に対する憐憫の情だけである。した がって、結城を新たな愛情の対象として、身をまかせるようとする。それに、

源七の息子太吉にカステラを買ってやった意味には、憐憫、お詫びの意味が含 まれる。

しかし、お力の思いはお初に「圖太い奴めが是れほどの淵に投げ込んで未だ いぢめ方が足りぬと思ふか、現在の子を使ひに父さんの心を動かしに遣し居 る」(七・p.30)と誤解される。そのカステラを発端とする源七お初の収拾の

しかし、お力の思いはお初に「圖太い奴めが是れほどの淵に投げ込んで未だ いぢめ方が足りぬと思ふか、現在の子を使ひに父さんの心を動かしに遣し居 る」(七・p.30)と誤解される。そのカステラを発端とする源七お初の収拾の