第三章 『十三夜』における美人妻の離縁決意
3.2 美人妻に依存する「鬼」夫
『十三夜』は「例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではない かと兩親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子 戸の外に立てば」(上・p.96)という「例」の状態と異なる状態が置かれてい るところから始まる。そこから今まで両親の前で平和そうな七年間の結婚生活 の仮面を剥ぎだされた。お関とその「良人」である原田勇との結婚生活の様相 は、離婚を求めて実家の斎藤家に帰ってきたお関と両親との会話を中心に明ら かとなっていく。離婚の決意を固めた後に原田家から逃げ出したが、実家の門
12 狩野啓子「関係性の病い―『十三夜』の照らし出す近代」『日本文学』45 巻 11 号、1996.11、
p.44
13 菅聡子・関礼子校注『樋口一葉集〈新日本古典文学大系 明治編 24〉』、岩波書店、2001.10、
p.364
14 松坂俊夫『樋口一葉〈鑑賞日本現代文学 2〉』、角川書店、1982.8、p.121
前で「戻らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人のもとに戻らうか」と迷っ ている。でも、心の中にやはり「彼の鬼の、鬼の良人のもとへ、ゑゝ厭や厭や と身をふるはす」というように婚家に戻ることを拒否した。
しかし、ここで注目したいのは、お関によって語られる「鬼」という原田像 と、虐げられてきた生活と相対化することができず、お関の一方的な語りのみ によって示されているのである。「妻であるお関の側からの一方的な解釈とし て、根本的な限界を有する語りが意図的に選ばれているのである。」15それは、
おそらく家内に生きる女性の虐待されてきた苦しみと男の理不尽な横暴への 告発であり、自己主張の立場を据えて発してきた強烈な訴えは、男性の横行に 対する一種の反抗姿勢であるともいえる。そして、笹尾佳代氏の言うように、
「両親の共感と離縁の同意を求めようとするお関の語りの戦略性を読むべき なのである」。16お関の苦情は次のように両親に語っている。
「夫れは何ういふ子細でと父も母も詰寄つて問かゝるに今までは默つて 居ましたれど私の家の夫婦さし向ひを半日見て下さつたら大底御解りに成 ませう、物言ふは用事のある時慳貪に申つけられるばかり、朝起まして機 嫌をきけば不圖脇を向ひて庭の草花を態とらしき褒め詞、是にも腹はたて ども良人の遊ばす事なればと我慢して私は何も言葉あらそひした事も御座 んせぬけれど、朝飯あがる時から小言は絶えず、召使の前にて散々と私が 身の不器用不作法を御並べなされ、夫れはまだまだ辛棒もしませうけれど、
二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑みなさる、それは素より華 族女學校の椅子にかゝつて育つた物ではないに相違なく、御同僚の奧樣が たの樣にお花のお茶の、歌の畫のと習ひ立てた事もなければ其御話しの御 相手は出來ませぬけれど、出來ずは人知れず習はせて下さつても濟むべき 筈、何も表向き實家の惡るいを風聽なされて、召使ひの婢女どもに顏の見 られるやうな事なさらずとも宜かりさうなもの、嫁入つて丁度半年ばかり の間は關や關やと下へも置かぬやうにして下さつたけれど、あの子が出來 てからと言ふ物は丸で御人が變りまして、思ひ出しても恐ろしう御座りま
15 山本欣司『樋口一葉 豊饒なる世界へ』、和泉書院、2009.10、p.171
16 笹尾佳代「『十三夜』論-コミュニケーションの不可能性-」樋口一葉研究会編『論集樋口 一葉Ⅵ』、おうふう、2006.11、p.67
す、私はくら闇の谷へ突落されたやうに暖かい日の影といふを見た事が御 座りませぬ、はじめの中は何か串談に態とらしく邪慳に遊ばすのと思ふて 居りましたけれど、全くは私に御飽きなされたので此樣もしたら出てゆく か、彼樣もしたら離縁をと言ひ出すかと苦めて苦めて苦め拔くので御座り ましよ、御父樣も御母樣も私の性分は御存じ、よしや良人が藝者狂ひなさ らうとも、圍い者して御置きなさらうとも其樣な事に悋氣する私でもなく、
侍婢どもから其樣な噂も聞えまするけれど彼れほど働きのある御方なり、
男の身のそれ位はありうちと他處行には衣類にも氣をつけて氣に逆らはぬ やう心がけて居りまするに、唯もう私の爲る事とては一から十まで面白く なく覺しめし、箸の上げ下しに家の内の樂しくないは妻が仕方が惡いから だと仰しやる、夫れも何ういふ事が惡い、此處が面白くないと言ひ聞かし て下さる樣ならば宜けれど、一筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相 談の相手にはならぬの、いはゞ太郎の乳母として置いて遣はすのと嘲つて 仰しやる斗、ほんに良人といふではなく彼の御方は鬼で御座りまする、御 自分の口から出てゆけとは仰しやりませぬけれど私が此樣な意久地なしで 太郎の可愛さに氣が引かれ、何うでも御詞に異背せず唯々と御小言を聞い て居りますれば、張も意氣地もない愚うたらの奴、それからして氣に入ら ぬと仰しやりまする、左うかと言つて少しなりとも私の言條を立てて負け ぬ氣に御返事をしましたら夫を取こに出てゆけと言はれるは必定、私は御 母樣出て來るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁されたか らとて夢さら殘りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬ彼の太郎が、
片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、詫て機嫌を取つて、
何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居りました、御 父樣、御母樣、私は不運で御座りますとて口惜しさ悲しさ打出し、思ひも 寄らぬ事を談れば兩親は顏を見合せて、さては其樣の憂き中かと呆れて暫 時いふ言もなし。」(上・p.101-103、下線筆者)
以上からみると、お関が語っている夫の横行は次のようである。①「朝飯あ がる時から小言は絶えず、召使の前にて散々と私が身の不器用不作法を御並べ なされ(略)二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑みなさる」、②「箸
の上げ下しに家の内の樂しくないは妻が仕方が惡いからだと仰しやる」、③「一 筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬの、いはゞ太郎 の乳母として置いて遣はすのと嘲つて仰しやる斗」、④「張も意氣地もない愚 うたらの奴、それからして氣に入らぬと仰しやりまする」、また、後に言う⑤
「出際に召物の揃へかたが惡いとて如何ほど詫びても聞入れがなく」といった 事例である。夫の横行に対するお関の対応は、「よしや良人が藝者狂ひなさら うとも、圍い者して御置きなさらうとも其樣な事に悋氣する私でもなく」、「氣 に逆らはぬやう心がけて居りまする」「詫て機嫌を取つて、何でも無い事に恐 れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居りました」とあるように、いつも夫 の機嫌をとって、従順な態度で扱っていたのである。お関の口を通して、原田 勇の態度は理不尽だが、お関の言葉から推量すれば、彼の不満は妻の諄々とし た態度にもかかわっている。原田勇は高い教育を受ける奏任官で「利発の人で はあり随分学者でもある」。原田勇が強引にお関と結婚したのは、彼女の「容 色」に魅せられたのである。
「阿關が十七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、
舊の猿樂町の彼の家の前で、御隣の小娘と追羽根して、彼の娘の突いた 白い羽根が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、夫れを阿關が貰 ひに行きしに其時はじめて見たとか言つて人橋かけてやいやいと貰ひた がる、御身分がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何 も稽古事も仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有樣で御座いますか らとて幾度斷つたか知れはせぬけれど、何も舅姑のやかましいが有るで は無し、我が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取 つてからでも充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれ ば大事にして置かうからと夫は夫は火のつく樣に催促して、此方から強 請た譯ではなけれど支度まで先方で調へて謂はゞ御前は戀女房」(上・
p.103-104)
母親の話によると、当初原田勇はお関の容貌に引かれて、強引に嫁を貰いた のであり、斎藤家は何度かも断ったが、原田勇は「何も舅姑のやかましいが有
るでは無し、我が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つ てからでも充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれば大事に して置かうから」と言うように、身分とかも気にせず、好きにお関を嫁に貰い
るでは無し、我が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つ てからでも充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれば大事に して置かうから」と言うように、身分とかも気にせず、好きにお関を嫁に貰い