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第一篇 家庭内に生きる少女と妻の反抗表現

1.3 復讐の代行者を支配する女夜叉

では、なぜお蘭は父の死後八年間、父の恨みを晴らす行動に出なかったのか。

おそらくお蘭の内に、純粋に復讐に向うだけでは済まされないものが潜んでい たのであろう。お蘭の内面に焦点を当てて彼女の家族観を探究してみたい。

「よしさらば我れも父の子やりてのくべし、悪ならば悪にてもよし、善 とはもとより言はれまじき素性の表面を温和につゝんでいざ一と働き、

仆れてやまば夫れまでよ、父は黄泉に小手招きして九品蓮臺の上品なら ずとも、よろしき住家は彼の世にもあるべし、さらば夢路に遊ばんの決 心」(七・p.329)

このお蘭の語りから見ると、〈父の娘〉17であることを意識したお蘭の内面 が、確かに何らかの行動に出ようと決意したことは読み取れる。しかし、更に 読めば、父と一緒に住む家を「よろしき住家」と述べるお蘭には家族に対する 幻想が垣間見られる。お蘭のまなざしは「我が父は此世の憂きにあきて何處に もせよ靜かに眠る處をと求め給ひしなり」(六・p.326-327)と父の死の世界へ 降りてゆき、そこは「思へば此底は靜なるべし、世の憂き時のかくれ家は山辺 も浅し海辺もせんなし唯この池の底のみは住みよかるべし」(六・同)と、お 蘭が求める浮世から離れた静寂な境地にある幻想する家である。前田愛氏は、

そこに彼女自身が抱えている死の意識をまざまざと見ると指摘した。18しかし、

「いざ一と働き、仆れてやまば夫れまでよ」という、お蘭の父のために何らか の行動に出ようという生の意識は見逃せない。それに、「父が遺志のつぎたさ になり」(十一・p.340)といったように父の遺志を継ぐ娘として父の無念を晴 らそうとしてもいる。父の遺志が何であろうかは意味不明だけれど、お蘭は「よ ろしき住家」という幻想を抱き、父の遺志を継ぎたい意志を持ったゆえ、〈父

17 自分がお母さんの役割を演じたい「母の娘」タイプとは逆に、「父の娘」タイプはお父さん の真似をしたがる傾向があります。父に憧れたりして、知的なことに興味を抱いたりします。

生き方としては、経済的にも精神的にも男性的な自立を理想としているのである。(秋山さと 子『「家族」という名の幻想』、双葉社、1998.5、p.154)

18 前田愛「一葉の転機―『暗夜』の意味するもの―」『樋口一葉の世界』、筑摩書房、1989.9、

p.160

の娘〉として此の世で何らかのことをしないと「よろしき住家」へ行けなくな るという意識に強く支えられている。

それに、お蘭は亡くなった父への思いに殉じず、冷静に「我が父は此世の憂 きにあきて何處にもせよ靜かに眠る處をと求め給ひしなり」と父が死を選んだ 理由を考えている。この点について、峯村至津子氏は「父が死を選んだことを 冷徹に見据える視座を獲得し、父の行き方に隷従して後に続くのではなく、そ れを乗り越えてゆこうとするお蘭の像が見えてくるように思われる」と指摘し た。19更に考えれば、父の死に対し、お蘭はとても冷静で悲しみが全く見えな いのは、〈父の娘〉としての役割に従う意識に強く支配されているからである と考えられる。しかも、父の死を語っているとき、「冷かなる眼中に笑みを浮 かべて」いるのは、父の無実な罪を見据え、世間の汚さ、愚かさを軽蔑してい るような心持も窺える。

つまり、自分が〈父の娘〉であることを強く意識したお蘭が、家族幻想を抱 えながら、父の後に赴かず、その死後八年間を生き続けているのは、松川家の 女戸長としての役割に従っていくべきであるという家族観に囚われているの であろう。峯村至津子氏によると、同時代を舞台とした作品であっても、前出

『経つくえ』(明 25.10・18~25)あたりまでの一葉小説は、家や義理、操など に殉じて、自決したり世を捨てたりする主人公を多く描いてきたのであり、『や み夜』に於いてもお蘭自身による仇討ち・殉死を描くことも可能であったはず である。お蘭は、孝・貞・忠などを拠り所として命を賭して敵に立ち向かう単 純な〈烈女〉的ヒロインとは距離を持つように意図的に造型されたのである。

20いわば、お蘭は一見、烈女・孝女の鋳型に嵌められ形骸化した存在とされて いたが、何の行動にも出なかった彼女は、ただ屋敷にこもりすみ、家族幻想を 抱えて生き続けている。しかし、生き続けているということは、この世に対す る彼女のとった反逆姿勢と取れるのではないか。波崎への手紙に「我れを何處 までも日蔭ものゝ人知らぬ身として仕舞はゞ、前後に心ざはりなくて胸安から んの所為とは見え透きたり」(九・p.334)と書きたかったお蘭は「我が家の門

19 峯村至津子「〈烈女幻想〉の揺らぎ―樋口一葉『やみ夜』再考」『国語国文』76 巻 5 号、2007.5、

p.12

20 峯村至津子「〈烈女幻想〉の揺らぎ―樋口一葉『やみ夜』再考」『国語国文』76 巻 5 号、2007.5、

p.13

を避け」る波崎の心持を見え透いている。そうすれば、父の恨みを晴らす行動 に出なかったお蘭は自分の存在によって、死の真相から避ける世間の汚さ、愚 かさを露呈させ、父の無罪を世に証明させるような役割を果たす存在として考 えられよう。

お蘭は家族幻想を抱え、父の遺志を継ぎたいと言いながら、なぜ八年間を経 た後、復讐することを決心したか。それを直次郎との関係から考えてみよう。

北田幸恵氏は、肉親に死別した孤児となったお蘭と直次郎について、二人の関 係は現世の縁、男女の性さえも超越し、共同の情念で結ばれた関係であり、容 貌、地位、財力によるかつてのお蘭波崎の関係とは対極のものとして理想化さ れて、世間に対して深い怨恨と矜恃を持ち世に背を向けていることで「浮世に 不運の寄合」という精神的な相似形をなしていると指摘した。21そこからさら に、二人が相似な遭遇による「不運の寄合」を自覚しても、なぜ精神的な寄り 合いの関係を続行し続けたかを探究してみる。

直次郎は死んだ母に代わり育ててくれた祖父にも十三歳で死別し孤児とな った。家再興のため、東京で医学の修業に打ち込みようと母と祖父の恨みを胸 に秘めて決意したが、どこでも用いられるのは才子で、口先が巧みな小器用な 者が重宝がられる。直次郎は人に媚びて心にもない御機嫌を取ったりせず、舌 を噛み切って死ぬ間際まで乞食などできない性分なので、どこまでもさんざん な目に遭わされて、結局野宿者のあてもない身になってしまった。さまよって いたところを波崎の車にはねられ、松川家に助けられた。こうして、お蘭と直 次郎は共に家運が零落し、たった一人の肉親にも死別した孤児であり、「我等 に宿りたもう神も仏もない世の中であれば、世間と戦うのみ」と世に背を向け て「捨てられた者」として生きる。

直次郎の身の上を知ったお蘭は「あなたも幼い頃からのひとり者とか。私と よく似た身の上」、「あなたのご両親も早くに世を去ったとか。私も母の顔を知 らず、父上の手一つで育ったので、恋しさ懐かしさは人一倍。つね日頃はとも かく、命日にはことさら父上のことが思い出され、何かで紛らわそうとて紛れ ない。あなたにもそのような経験はあるでしょう」といって、自分と相似な不

21 北田幸恵「越境する女・お蘭―『やみ夜』論」『樋口一葉を読みなおす』、學藝書林、1994.6、

p.94-95

運を感応しあった。いわば、お蘭にとって直次郎は自分と同じ不運に遭われた

「天地にたった一人」の孤独感を感応し得る男である。一方、お蘭の目で見る 波崎とは対照的である。現世での栄華をきわめた波崎は、立身出世と保身のた めに他人を利用する軽薄非情の、狡猾で誠意のないものとされている。また、

妾という待遇での復縁を迫る手紙を受け取ったお蘭は、波崎の自分に対する恋 心を信じなかった。それに対し、直次郎に心底から告白されたお蘭は男の誠心 を感じた。

「恋をうきたる物とは誰れか言ひし、恋に誠なしとは誰れか言いひし、

昨日までの述懐我れながら恥かし、直次は我れを左ほどに思ひしか、我れ は其方を思ふ事の夫れほどには非ざりしぞかし、我れは其方を哀れとは思 ひつれど命をかけても可愛しとは思はざりし、今日の今こそ其方は誠に可 愛き人に成りぬ、誠ぞや、今日の今までお蘭に口づから恋ひしといひし人 も無ければ心に染みて一生の恋はせざりしなり」(十一・p.339)

といったようにお蘭は直次郎の素直な心によって、恋に誠のあることを信じ 始めた。「今日の今こそ其方は誠に可愛き人」になった、「今日より蘭が心の良

といったようにお蘭は直次郎の素直な心によって、恋に誠のあることを信じ 始めた。「今日の今こそ其方は誠に可愛き人」になった、「今日より蘭が心の良