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5.2 「悪場所」の金銭支配論理に抵抗する信如

5.5 共同体に排除される「哀れ」の生

『たけくらべ』における社会批判意識は作品の表層に浮かび上っていないが、

純粋な子供たちの言動を通して大人の世界の様々な歪みを反映した。美登利を めぐって、大音寺前の子供たちは、これから吉原、及びその界隈の、金銭と欲 望が渦巻く混沌とした世界に吸収されて、それぞれの「定め」に従い、子供の

34 藪禎子「非望の生の物語―樋口一葉『たけくらべ』『フェミニズム批評への招待―近代女 性文学を読む』、學藝書林、1995.5、p.56

35 和田繁二郎『明治前期女流作品論―樋口一葉とその前後』、桜楓社、1989.5、p.432

世界と決別した運命になった。物語は、信如が挿し入れたと思われる「水仙の 作り花」の、「淋しく清き姿」を愛でる美登利を描いて閉じられるが、この水 仙が他者との対幻想の空間、子供たちの無垢な童心の世界を象徴するように思 われる。語り手は子供たちに寄り添って、見つめているのも子供たちの無垢な 童心、および無垢性を喪失していく子供たちの「生」の歪みを語ろうとしてい る。また、子供たちの定められた運命や、無垢性の喪失に対して、反世俗的な 批判意識を「をかし」という口調で反映している。さらに、『たけくらべ』に おいて、美登利を通して、女性差別の中に生きた女の悲しさを感じさせ、社会 における女性が犯されている種々「醜悪な実態」36、及び女性の肉体が男性の 性欲をみたすための商品として扱われる体制の非人間性を、痛烈に批判しよう としている。

美登利は子供たちの過ぎ去った時間への未練があっても、成熟を拒否しても、

結果的に対抗できない決められた運命に従って、子供の世界との「別れ」、恋 との「別れ」という淡い悲しい「哀れ」を物語の主調となっている。藤村猛氏 の言うように、美登利たちの恋および生の切断化現象は、一時的なものかもし れないが、子供時代への回帰が不可能である点とあいまって、悲劇を叙情的に 盛り上げている。『たけくらべ』はその意味で、否定と必然の挟間に花開いた 美登利たちの「別れ」の恋愛物語である。37一方、語り手は、美登利の対幻想 意識を「水仙の造り花」に化せしめ、定められた運命の中で、自ら対幻想の空 間が封じ込められ、聖なる娼婦として造型され、美登利の無垢性を保とうとす る心がけが窺える。逆に、対幻想に生きるしかない女性の生の「哀れ」や、社 会共同体から疎外される生に対して、反抗意識を持っていても、何らかの行動 に出せず、娼婦として生きるしかないという女性の身の限界性を表現している。

したがって、その反抗は、情緒的反動に止まり、現実の宿命を受け止め、対 幻想によって自己救済の姿勢をとって、意識的主体を保とうとする無効な反抗 である。そして、制度外部に生きる女性が、他者や社会から疎外されるのを恐

36 高良留美子氏によると、この小説のなかで美登利は三度、象徴的に犯されている。一度は 長吉の投げた泥草履によって、次は朝帰りの長吉によって、最後は検査場の門から乱れ入った 若人達の勢いによって。はじめは共同体の差別によって、二度目は金銭によって、最後は国家 権力によって、といってもいいという。(高良留美子「たけくらべ―両極存在に引き裂かれた 少年と少女」『恋する女―一葉・晶子・らいてうの時代と文学』、學藝書林、2009.6、p.81)

37 藤村猛「樋口一葉『たけくらべ』論」『国語国文論集』34 巻、2004.1、p.40

れ、女性の内面に無意識的に秘められていた男性社会制度に従属しようとする 志向が窺える。さらにいえば、その反抗指向は、内部共同体との切断、疎外さ れることを拒否し、内部共同体への従属を求める求心的な反抗指向である。こ のように、家制度の外部に生きる女性の反抗指向は、従属志向と一線に並んで いるといえる。いわば、『たけくらべ』は、対幻想に宿る女心を見据えて、精 神的な主体を保ちながら、逆らえぬ宿命に対抗する姿勢や、無意識的に社会共 同体へ従属志向を、美登利の変貌を通して描き出した作品である。その延長線 上に、作者は、制度外部に生きる女性の内面にある共同体への反抗意識と従属 志向との葛藤を、『たけくらべ』の後に発表された『にごりえ』の中の「物思 ふ」酌婦お力を通して描いている。このようにみると、『たけくらべ』は、作 者一葉が少女の美登利から大人になったお力へと社会制度から疎外される女 性の内面意識を深く見つめ、女心に寄り添っていく物語を創出させる起点の作 品となっている。