第二章 『軒もる月』における「不貞の女子」の高笑い
2.2 節婦という身体の拘束力
「卑賤にそだちたる我身」となるお袖は、娘時代に「小間使」として桜町家 で働いていた。桜町の殿から寵愛を受けていたが、親の決定にしたがい、「工 職にて工場がよひする人」と結婚して一児の母になった。では、なぜお袖は、
職工との結婚を受け入れたか、その理由について、趙惠淑氏は三つ目の理由を 指摘した。即ち、①お袖の身分意識による諦念、②両親を心配する気持ち、③ 殿への思いである。14お袖がこの結婚を受け入れた理由から考えれば、お袖が 感じた身体の拘束力を更に探究することができる。次のようなお袖の独白から 考察してみる。
11 弦巻克二「一葉『軒もる月』断想―結婚の機関(からくり)と「悟迷の境」の解脱」『叙説』
26 巻、1998.12、p.11
12 滝藤満義「『軒もる月』――――悟道を急ぐ女」『国文学解釈と鑑賞』68 巻 5 号、2003.5、p.100
13 水野亜紀子「樋口一葉『軒もる月論』―凝視の先にあるもの―」『阪大近代文学研究』第 7 号、2009.3、p.10
14 趙恵淑『樋口一葉作品研究』、専修大学出版局、2007.2、p.69
「卑賤にそだちたる我身なれば始めより此以上を見も知らで、世間は裏屋 に限れる物と定め、我家のほかに天地のなしと思はゞ、はかなき思ひに胸 も燃えじを、暫時がほども交りし社会は夢に天上に遊べると同じく、今さ らに思ひやるも程とほし、身は桜町家に一年幾度の出変り、小間使といへ ば人らしけれど御寵愛には犬猫も御膝をけがす物ぞかし。
言はゞ我が良人をはづかしむるやうなれど、そもそも御暇を賜はりて家に 帰りし時、聟と定まりしは職工にて工場がよひする人と聞きし時、勿躰な き比らべなれど我れは殿の御地位を思ひ合わせて、天女が羽衣を失ひたる 心地もしたりき。」(p.479)
お袖の身体の拘束感は、まず、「卑賤にそだちたる我身」という身分意識に よるものである。職工との結婚を受け入れなかったら、「此縁を厭ひたりとも 野末の草花は書院の花瓶にさゝれん物か」(p.479)というように、自分の低い 身分と相応する結婚が「書院の花瓶にさゝれん物」よりましであると認識して いる。そして、桜町家の「小間使」という低い階級に属する身分意識である。
もし殿が自分を妾に迎えることになったとしても、「邪道にて正当の人の目よ りはいかに汚らはしく浅ましき身とおとされぬべき」、そして、「殿がは浮世に 誹らせ参らせん事くち惜し、御覧ぜよ奥方の御目には我れを憎しみ殿をば嘲り の色の浮かび給ひしを」(p.479)とあるように、『源氏物語』にみられる桐壺 が帝に寵愛されても、奥方に憎まれたという筋を想定し、身分相応のない結婚 であれば、さんざんな目にあうことになることを認識している。ここからみる と、お袖の結婚観は、恋から結婚に至るのが恋情の成就であるという「近代的 結婚観」15ではなく、妾を「邪道」、正妻を「正当」とする価値観に支配され る。身分相応の結婚を夢想していたと考えられる。お袖の結婚生活の不満もき たのは身分の拘束感によるものであると考えられる。次に、お袖の拘束感は〈良
15 弦巻克二氏の見解は、次のようである。お袖に結婚生活の不満が感じられるのは、恋が結 婚に連続するという近代的結婚観を夢想していた。独身時代に経験した殿への恋と結婚生活に おける夫への恋情を連続させ、近代的な恋情ある夫婦生活を夢想したためであり、そしてその 結果、恋情を無みする結婚という制度の機関によって「家」に閉じこめられる女の虚しさを体 験したためであるという。(「一葉『軒もる月』断想―結婚の機関(からくり)と「悟迷の境」
の解脱」『叙説』26 巻、1998.12、p.3-4)
妻賢母〉という身分意識にもよっている。次の語りから検討してみる。
「勿躰なや此の子とふ可愛きもあり、此(子)が為我が為不自由あらせ じ憂き事のなかれ、少しは余裕もあれかしとて朝は人より早く起き、夜は 此通り更けての霜に寒さを堪へて」(p.480)
「母が心の何方に走れりとも知らで、乳に倦きれ乳房に顔を寄せたる まゝ思ふ事なく寝入し児の、頬は薄絹の紅さしたるやうにて、何事を語ら んとや折々曲ぐる口元の愛らしさ、肥えたる腮の二重なるなど、斯かる人 さへある身にて我れは二タ心を持ちて済むべきや、夢さら二タ心は持たぬ までも我が良人を不足に思ひて済むべきや、はかなし、はかなし、桜町の 名を忘れぬ限り我れは二タ心の不貞の女子なり。」(p.481)
子のため、妻のため、一生懸命に働いた夫に対して、お袖は「我が良人を不 足に思ひて済むべきや」と、良き夫の妻として、夫に不満を抱くべきではない と思った。しかも、可愛い子供に恵まれた「身にて我は二タ心を持ちて済むべ きや」と、母になったお袖は子供の身上に専念しべきなのに、母としての規範 から逸脱する「心の何方に走れり」、「二タ心」を持つべきではないと自戒して いる。高田知波氏の言うように、「二タ心」という言葉が三回繰り返され、夫 以外の男性を「心」に思い浮かべる自体を「不貞」と見なすお袖は、「二タ心 の不貞の女子」に対する強いオブセッションの持ち主であった。16こうして、
家父長的家族秩序のもとに女性は家を守ることが強要されるゆえ、女性が無意 識に家を守ることを自己の役割として観念される。その結果として、家父長制 度は女性のセクシュアリティを女性自身から疎外させるものとなり、再び女性 にとっての重荷、抑圧となるといえる。
「不貞の女子」になるべからずと自戒しているお袖の内面を考える際、明治 啓蒙期における良妻賢母規範との関わりも見る必要である。明治十五年に下布 した『幼学綱要』には、女子に対して、貞淑な妻、従順な女であるべきことが
16 高田知波「『某の上人がためしにも同じく』―『軒もる月』を読む―」『論集樋口一葉Ⅲ』、
おうふう、2002.9、p.152
教えられ、孝女・節婦を讃える話題が盛られていた。17女性=妻・母の立候補 者=子供の教育者への躾けが重要であり、そのなかで「和順」と「貞操」は基 本的要素である。貞婦・貞女とは、二夫にまみえぬ、すなわち夫の死後再嫁せ ぬ女のことであると同時に、家や夫のために守られるべき性の規範を守る女を 指す言葉である。橋本のぞみ氏によると、時あたかも日清戦争下、国家・国民 意識が高揚し、また、戦争を契機として、近代的工場制産業が急速に発達する なか、国家の安泰と家庭の平安とをアナロジカルにとらえ、「男は外、女は内」
という性別役割分業に基づく良妻賢母規範が宣伝されてゆく時期であること を考えると、夫の姿勢は理想的なものであるといえ、それに対し、他の男性に 心奪われ、家政がなおざりになりがちなお袖は、あるべき妻・母像をともに逸 脱しているといえるというのである。18さらに考えれば、お袖の内面は「ある べき妻・母像」という身分を意識したからこそ、逸脱すべきではないと自戒し て、身分の規範による拘束を自らに与えたのではないか。
「孝女・節婦」という身分を意識したお袖は、その内面意識においても倫理 観に拘束される。次の語りから分析してみる。
「父の一昨年うせたる時も、母の去年うせたる時も、心からの介抱に 夜るも帯を解き給はず、咳き入るとては背を撫で、寝がへるとては抱起 しつ、三月にあまる看病を人手にかけじと思し召の嬉しさ、夫れのみに ても我れは生涯大事にかけねばなるまじき人に不足らしき素振りの有 りしか、我れは知らねど左もあらば何とせん」(p.480)
お袖が結婚を受け入れた理由には、「恩愛ふかき親に苦を増させ」るという 配慮が作用していたためである。封建道徳においては、子供が親のために自己 犠牲をすることが親孝行の基本であり、親の難儀を救うため娘が身売りするこ とは美談ですらあった。一方、家的(血縁的)人間関係の特徴は、自然的・感 情的・心情的・情緒的ということができる。これは、法的・契約的・公的人間
17 赤木志律子『女性〈日本史小百科 2〉』、近藤出版社、1977.11、p.50
18 橋本のぞみ「『軒もる月』―〈二タ心〉とジェンダー・システム」『日本女子大学大学院文 学研究科紀要』10 巻、2004.3、p.31
関係と対比的なものということができる。19したがって、「恩愛ふかき親に苦 を増させ」たくないお袖が、病弱の両親のために、縁談を承諾したことのは、
「孝」という倫理観に支配されているといえなくても、「家的感情」という血 縁倫理を意識していると考えられる。しかし、その倫理観はかえって自分の心 を縛られるようになった。
また、両親を親身になって「介抱」し続けてくれた夫は、お袖にとって「此 大恩の良人に然る」という感謝の対象である。高田知波氏によると、「貧しい
また、両親を親身になって「介抱」し続けてくれた夫は、お袖にとって「此 大恩の良人に然る」という感謝の対象である。高田知波氏によると、「貧しい