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第六章 『にごりえ』における酌婦の独白夢遊

6.3 性的差異の断絶構造

酌婦の位置から這い出る可能性について、今井泰子氏は、それが三つに限ら れると指摘した。50つまり、①男性を当て込んだ境涯の変化平たく言って結婚

(妾を含む)、②金を貯めて行なう何らかの独立、③芸娼世界内部における出 世=「芸者」になること、この三つの道が考えられる。氏は「第一の道をうべ なえない女である」と指摘したが、私の読む限りでは、お力はその結婚願望を 持っている女であると思う。その望みは第六章で朝之助との会話の中からその 端緒がうかがえる。ここでは、第六章と第二章、第三章におけるお力と朝之助 との会話場面を対照しながら考察しておきたい。第六章の告白の場面は次のよ うである。

「何より先に私が身の自墮落を承知して居て下され、もとより箱入りの

1982.4、p.213)

49 日本文学研究資料刊行会編『幸田露伴・樋口一葉〈日本文学研究叢書〉、有精堂、1982.4、

p.218

50 今井泰子氏は、「まず第一に〈持たれるは嫌〉と言い切る女、したがって時には迷うにせよ 究極のところ〈玉の輿〉〈味噌こし〉の別を問わず第一の道をうべなえない女である。第二に 金銭的執着もまるでないことは、岡保生氏がすでに指摘するとおりである。さらに、赤坂にい たという設定と我がまま性格という二重の条件によって、第三の道も閉ざされている。(略)

〈赤坂〉から銘酒屋菊の井へのお力の転居は芸者からの転落を意味するに違いないからであ る」と指摘した。(岩橋邦枝・他『群像日本の作家 3 樋口一葉』、小学館、1992.3、P188)

生娘ならねば少しは察しても居て下さろうが、口奇麗な事はいひますと も此あたりの人に泥の中の蓮とやら、惡業に染まらぬ女子があらば、繁 昌どころか見に來る人もあるまじ、貴君は別物、私が處へ來る人とて大 底はそれと思しめせ、これでも折ふしは世間さま並の事を思ふて恥かし い事つらい事情ない事とも思はれるも寧九尺二間でも極まつた良人とい寧九尺二間でも極まつた良人とい寧九尺二間でも極まつた良人とい寧九尺二間でも極まつた良人とい ふに添うて身を固めよう

ふに添うて身を固めようふに添うて身を固めよう

ふに添うて身を固めようと考へる事もござんすけれど、夫れが私は出來夫れが私は出來夫れが私は出來夫れが私は出來 ませぬませぬませぬ

ませぬ、夫れかと言つて來るほどのお人に無愛想もなりがたく、可愛い の、いとしいの、見初ましたのと出鱈目のお世辭をも言はねばならず、

數の中には眞にうけて此樣な厄種を女房にと言ふて下さる方もある、持持持持 た

たた

たれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬ、そもそも の最初から私は貴君が好きで好きで、一日お目にかゝらねば戀しいほど なれど、奧樣にと言ふて下されたら何うでござんしよか、持たれるは嫌持たれるは嫌持たれるは嫌持たれるは嫌 なり他處ながらは慕はしゝ

なり他處ながらは慕はしゝなり他處ながらは慕はしゝ

なり他處ながらは慕はしゝ」(六・p.25、下線筆者)

お力の結婚願望は、第二章で「此樣な者なれど女房に持たうといふて下さる も無いではなけれど未だ良人をば持ませぬ、何うで下品に育ちました身なれば 此樣な事して終る」(二・p.8)「相手はいくらもあれども一生を頼む人が無い」

(同)と暗示的に朝之助に聞かせた。それに、「世間さま並の事」も考え、「寧 九尺二間でも極まつた良人といふに添うて身を固めよう」と表明した。お力に とっての「一生を頼む人」は財力を持ち、自分の出身を別として、互いに相愛 する対象である。幼時の貧苦体験をしたお力は、その辛さをたまらなくて「私 は其頃から氣が狂つた」(六・p.26)といい、その貧苦から脱出することを願 っている。それに、お力は朝之助の前に、「恥かしい事つらい事情ない事」を する酌婦の身分が彼と相応できないと思って、たびたび「此樣な者」「下品に 育ちました身」「私が身の自墮落」「もとより箱入りの生娘ならねば」「私は此 樣な賤しい身の上、貴君は立派なお方樣」(六・p.24)といった自嘲するよう な言い方をした。その言葉から自分に軽蔑を帯びる目を見ないでほしいという ような意味が含まれている。お力の結婚しない理由は、「此方で思ふやうなは 先樣が嫌なり、來いといつて下さるお人の氣に入るもなし」(二・p.8)、「持た れるは嫌なり他處ながらは慕はしゝ」といったようである。お力が「持たれた

ら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬ」と思ったのは、おそら く彼女が互いの愛に基づいて結婚を望んでいるからであろう。お力は源七との 愛情が遂げないことを苦悶することから考えれば、彼女が期待する結婚は、単 なる形式ではなく、愛情を込められる結婚であり、つまり、女の情欲を満足す る願望である。

しかし、彼女はなぜ「夫れが私は出來ませぬ」といい、結婚願望を自ら否定 したのだろうか。次のお力の語りから探究してみる。

「あゝ此樣な浮氣者には誰れがしたと思召、三代傳はつての出來そこね、

親父が一生もかなしい事でござんしたとてほろりとするに、其親父さむは と問ひかけられて、親父は職人、祖父は四角な字をば讀んだ人でござんす、

つまりは私のやうな氣違ひで、世に益のない反古紙をこしらへしに、版を ばお上から止められたとやら、ゆるされぬとかに斷食して死んださうに御 座んす、十六の年から思ふ事があつて、生れも賤しい身であつたれど一念 に修業して六十にあまるまで仕出來したる事なく、終は人の物笑ひに今で は名を知る人もなしとて父が常住歎いたを子供の頃より聞知つて居りまし た、私の父といふは三つの歳に椽から落て片足あやしき風になりたれば人 中に立まじるも嫌やとて居職に飾の金物をこしらへましたれど、氣位たか くて人愛のなければ贔負にしてくれる人もなく、(略)私は其樣な貧乏人の 娘、氣違ひは親ゆづりで折ふし起るのでござります、今夜も此樣な分らぬ 事いひ出して嘸貴君御迷惑で御座んしてしよ、もう話しはやめまする、御 機嫌に障つたらばゆるして下され、誰れか呼んで陽氣にしませうかと問へ ば、いや遠慮は無沙汰、その父親は早くに死くなつてか、はあ母さんが肺 結核といふを煩つて死なりましてから一週忌の來ぬほどに跡を追ひました、

今居りましても未だ五十、親なれば褒めるでは無けれど細工は誠に名人と 言ふても宜い人で御座んした、なれども名人だとて上手だとて私等が家の やうに生れついたは何にもなる事は出來ないので御座んせう、我身の上に も知れまするとて物思はしき風情」(六・p.25-26)

おそらく、お力が自ら結婚否定をするのは、「此方で思ふやうなは先樣が嫌

なり、來いといつて下さるお人の氣に入るもなし」、「持たれるは嫌なり他處な がらは慕はしゝ」「持たれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りま せぬ」といった「浮気」の性のゆえであろう。お力は「浮気者」たる己の性に 対する歎き、「誰れがしたと思召、三代傳はつての出來そこね」という父祖二 人の血が自分に伝わった結果であると思って、「氣違ひ」も血統の遺伝である

「親ゆづりで折ふし起る」ものであると言っている。お力の祖父は「四角な字 をば讀んだ人でござんす、つまりは私のやうな氣違ひで、世に益のない反古紙 をこしらへしに、版をばお上から止められたとやら、ゆるされぬとかに斷食し て死んださうに御座んす、十六の年から思ふ事があつて、生れも賤しい身であ つたれど一念に修業して六十にあまるまで仕出來したる事なく、終は人の物笑 ひに今では名を知る人もなし」という封建政治の弾圧に断食をもって抗議し、

ついにしに至った反俗の人である。一方、父は職人で、「三つの歳に椽から落 て片足あやしき風になりたれば人中に立まじるも嫌やとて居職に飾の金物を こしらへましたれど、氣位たかくて人愛のなければ贔負にしてくれる人もな く」という氣位が高い人である。いわば、お力が父祖のことを取り上げて、自 分がその気概と才能がある血と繋がることにひそかな誇りを持ち、自分が意固 地な、誇り高い女を強調している。父祖のように反俗者、「気違ひ」者であり、

ついにしに至った反俗の人である。一方、父は職人で、「三つの歳に椽から落 て片足あやしき風になりたれば人中に立まじるも嫌やとて居職に飾の金物を こしらへましたれど、氣位たかくて人愛のなければ贔負にしてくれる人もな く」という氣位が高い人である。いわば、お力が父祖のことを取り上げて、自 分がその気概と才能がある血と繋がることにひそかな誇りを持ち、自分が意固 地な、誇り高い女を強調している。父祖のように反俗者、「気違ひ」者であり、