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第四章 『われから』における妻の逸脱する身体性

4.4 人形妻の「癪」という病の身体性

お町が自分の「淋しい心地」という心の空虚、不安の心情を泣きながら、夫 に訴えたが、美しい人形としてしか見ようとしない恭助にはお町の心境を理解 できず、「又かと且那さま無造作に笑つて」「旦那さま愚痴の僻見の跡先なき事 なるを思召、悋氣よりぞと可笑しくも有ける」というように、お町の心配する ことを置き去りにして、彼女の言葉を受け止めようとしない。「何うでも此様 な氣のするを何としたら宜う御座りますか」というほどの苦しみを訴えても、

恭助の理解を得られず、結果としてお町の苦悩は一層深くなってゆくようにな った。年末の大掃除の日に偶然耳にした夫の妾である「飯田町のお波」と息子 の存在は、お町の精神的に不安定な状態に拍車をかけた。翌日の朝、恭助は、

金村家の跡取りに十一歳になる知人の子を養子に貰おうと提案する。お町は、

「萬一その子にて有りたらば」、恭助と妾のお波の子供のことであろうと心配 している。機嫌をとって優しい言葉をかける恭助に、お町は「貴郎は何故そん な優しらしい事を仰しやります、私は決して其やうな事は伺ひたいと思ひませ ぬ、鬱ぐ時は鬱がせて置いて下され、笑ふ時は笑ひますから、心任かせにして 置いて下され」と、夫の「優しらしい」言葉の裏を見抜いていても、子のない お町がこの提案に拒否し難く、ただ「心に籠めて愁はしげ」に返事するしかな い。十三章の冒頭に、「さまざま物をおもひ給へば、奥様時々お癪の起る癖つ きて、はげしき時は仰向に仆れて、今にも絶え入るばかりの苦るしみ」(十三・

p.202)を重ねるように、身体的異常すなわち神経症を引き起こすことになる。

「癪」はヒステリーと同様の症状と思われる。41藪禎子氏は、〈お町の「癪」

は、明らかにヒステリーである。これが、言葉も権利も持たず、ただ内攻する しかなかった女の、精一杯の抗議と自己主張であることは言うをたまない。身 体の病を借りて、作者はこれをきわめてリアルに、また有効に表現した〉と述 べている。42その見解を踏まえて、千田かをり氏は、〈他者と共有しうる、コ ミュニケーションの手段としての言葉が町子には与えられていないのならば、

町子は特別の手段を講じるしかない。言説化=表出されることなく、町子の内 部でくすぶり続ける、当の町子にさえ正体のわからない思いは、とうとうにお いて癪という身体的なレベルで噴出してしまうのだ。ここに至り、癪は女性性 の表徴であることを超える〉と指摘した。43また、五島慶一氏も、「町のヒス テリーの発作は、言葉による夫との交通がもはや不可能とみた彼女の非言語的 身体表現である。ヒステリーは元来特定の他者の現前を必要とするものであり、

町のそれは根源的には夫たる恭助唯一人に向けられたものだ」と言う。44つま り、「癪」は言葉による他者との交通が不可能となった者の、身体による自己

41 千田かをり氏によると、〈同時代評のなかで町子の癪に言及したのは「三人冗語」の頑固と 訳知りであった。癪という本来医学のカテゴリーにそぐする者が、当時のいてはあるタイプの 女性の徴しとして流通していたらしい。ヒステリーや癪が女性固有の病であるとする説は俗説 にすぎないのだが、「われから」発表当時、ヒステリーや癪は女の病と相場が決まっていた。

文学テクストに於いても癪やヒステリーは女性にふりわけられてきた。癪、ヒステリーは文学 テクストのなかを生きる〈女〉の記号なのである〉という。(千田かをり「『われから』にお ける言葉と身体」『立教大学日本文学』71 巻、1993.12、p.53-54)

42 藪禎子「『われから』論」『透谷・藤村・一葉』、明治書院、1991.7、p.306

43 千田かをり「『われから』における言葉と身体」『立教大学日本文学』71 巻、1993.12、p.56

44 五島慶一「<妻>の「一念」:『われから』における妻の位置」『三田國文』巻号 34、2001.9、

p.49

表出である。ところが、身体をかけてお町の思い悩み、心理的な圧迫は表出さ れても、周囲の者たちに理解されることはなかった。お町は「癪」が起きると、

「夜といはず夜中と言はず、やがて千葉をば呼立て」たし、千葉は「反かへる 背を押へさするに、武骨一遍律義男の身を忘れての介抱」をした。このような 二人の様子は「人の目にあやしく、しのびやかの囁き」がなされ、さらに、「隠 れの方の六疊をば人奥様の癪部屋と名付けて、亂行あさましきやうに」噂され るようになる。お町と千葉の不義の「風説」が家の外部に広がり、ついに恭助 の耳にまで届く。だが、恭助自身はお町に姦通の事実があったと見ていて、〈不 義〉の真偽を問い質す意思さえもなかった。「金村が妻と立ちて、世に耻かし き事なからず」と思いながらも、噂が「さし置がたき沙汰とにかくに喧しく」

からこのままにしておいたのでは、政治家としての生命にかかわるの判断に立 って、「内政のみだれ世の攻撃の種に成りて、淺からぬ難義現在の身の上に かゝ」ることを気にした恭助は、世間体と政治家としての自身の地位を維持す るため、お町に別居を言い渡した。『われから』末尾に、最後の別居言い渡し 場面は次のように描かれている。

「憂かりしはその夜のさまなり、車の用意何くれと調へさせて後、いふ べき事あり此方ヘと良人のいふに、今さら恐ろしうて書齋の外にいたれば、

今宵より其方は谷中へ移るべきぞ、此家をば家とおもふべからず、立歸ら るゝ物と思ふな、罪はおのづから知りたるべし、はや立て、とあるに、夫 れは餘りのお言葉、我に悪き事あらば何とて小言は言ひ給はぬ、出しぬけ の仰せは聞きませぬとて泣くを、恭助振向いて見んともせず、理由あれば こそ、人並ならぬ事ともなせ、一々の罪状いひ立んは憂かるべし、車の用 意もなしてあり、唯のり移るばかりと言ひて、つと立ちて部やの外へ出給 ふを、追ひすがりて袖をとれば、放さぬか不埒者と振切るを、お前様どう でも左様なさるので御座んするか、私を浮世の捨て物になさりまするお氣 か、私は一人もの、世には助くる人も無し、此小さき身すて給ふに仔細は あるまじ、美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れ美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れ美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れ美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れ をば捨てゝ御覧ぜよ、一念が御座りまするとて、はたと白睨む

をば捨てゝ御覧ぜよ、一念が御座りまするとて、はたと白睨む をば捨てゝ御覧ぜよ、一念が御座りまするとて、はたと白睨む

をば捨てゝ御覧ぜよ、一念が御座りまするとて、はたと白睨むを、突のけ てあとをも見ず、町、もう逢はぬぞ。」(十三・p.204、下線筆者)

お町は別居の意を決めた恭助に「お前様どうでも左様なさるので御座んする か、私を浮世の捨て物になさりまするお氣か」と、夫の裏切りの行為を激しく 詰め寄る。「美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れを ば捨てゝ御覧ぜよ、一念が御座りまする」と言って、「はたと白睨む」。お町 にとって、幼少から父与四郎が残された家の中で育ち、唯一自己を同一化しえ る「家」が、恭助に奪われんとする瞬間、強い意志が現れ、「此家を君の物に」

譲られず、激しく抵抗している。「一念が御座りまする」という言葉は、お町 の不条理な世への抵抗、憤懣、抗議に通わせることが可能である。この「一念」

という言葉は、「罪はおのづから知りたるべし」「一々の罪状いひ立んは憂かる べし」という夫の言葉に対する、なんの「罪」もない事実を明示するのである。

だが、お町にとって、具体的な対策、戦略などを持っていたわけではないだろ うと考えられる。お町は、夫の裏切りの前に何ら関係打開への道も見出せず、

できるのは、ただ恭助を「白睨む」ことだけである。別居を申し渡された際の お町の「抗議の声は空しい響を伝えるにすぎない」45(前田愛氏)というよう である。恭助は自らの処世の論理から保身に懸命で、「振向いて見んともせず」

お町の言葉を正面から受け止めることはない。結語の「突のけてあとをも見ず、

町、もう逢はぬぞ」には、お町がどう反抗しても、住み慣れた家を追われたと いうことを変えることができない。そこから男性社会に支配される女性の生、

女性の無力さが表出されている。お町一人っ子の「家つき」娘である。高田知 波氏によると、「家つき娘」の結婚には「婿養子」と「入夫」の二つのケース

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