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第四章 『われから』における妻の逸脱する身体性

4.5 家制度に回収される妻の「一念」

お町は「此家を君の物に」譲らず、抵抗しても、家を所有することができな いかぎり、お町は夫恭助の手によって「谷中の家」に別居・幽閉を強いられる

47 高田知波「<女戸主・一葉>と『われから』(第三十号記念)」『駒澤國文』30 巻、1993.2、p.58

48 五島慶一「<妻>の「一念」:『われから』における妻の位置」『三田國文』巻号 34、2001.9、

p.45

49 山根常男『家族と結婚:脱家父長制の理論を目ざして』、家政教育社、1990.11、p.86-87

ことを変えることができない。ここで、明らかに家の中にいる女性は男性主導 の体制に逆らえない定められた生が描かれている。そして、お町の不幸に陥っ ていく運命は、女子にのみ貞操の厳重さを要求する時代の封建制、男性権力の 社会体制によるほかに、母の不義とも深く関わっている。藪禎子氏は、「お町 が母の不義、父の復讐を一身に引き受けた娘だったということであろう。とり わけ、美尾の劇の意味は大きい」と言った。50さらに言えば、お町物語は、美 尾物語を前景化して、前代の定め(親の因果による孤立への必然)と、現世の 社会の定め(男の権力、男性社会体制・論理)を引き受けなければならぬ女の 生が暗示されている。

また、美尾物語とお町物語母子二代の物語に見られたのは、女性のセクシュ アリティを形象化して描き出し、女性の性の解放を肯定する一方、また自己否 定した、という女性自ら枷を造った自己限界である。一葉は美尾も、お町も、

家族主義的な発想の犠牲・奉仕というものより、自分自身の欲望とエゴイズム に生きた人物として、心と身と一致する女として描かれている点において、最 後の小説として画期な飛躍であると認めるが、語り手は夫与四郎と生まれたば かりの娘お町を捨てて出奔する美尾の行為に対し、「夫を裏切る妻の正当化」51 を示しているが、彼女の欲望に翻弄されてゆく夫与四郎と娘の町の不幸によっ て心のままに行動する美尾を批判しているように見える。そして、〈母から娘 へと伝わる血のもたらす宿命的な運命という『にごりえ』と同様の設定をさら に具体化し、娘のお町には寂しさの積み重なった上での千葉への傾き、そして 破滅という道を歩ませたということになる。「母と娘の因果応報」というテー マを加えた多重構造により、物語に厚みを増やしたのであった〉。52したがっ て、女性が世間の規範を破って、自分の欲するままに行動して、個人の意志を 生き通しても、関係の中で生きている存在である限り、他者に不幸を齎せるこ とは免れないのである。それは妻の身から逸脱しようとする『十三夜』のお関 の配慮である。他者に不幸させる有様は、お町物語で如実に語られている。作 者は、女性の欲望やエゴイズムという人間の個としての自我意識を肯定しても、

50 藪禎子「『われから』論」『透谷・藤村・一葉』、明治書院、1991.7、p.293

51 木元伸祐「樋口一葉作品にみる女性像:妻の歩み」『日本文學誌要』47 巻、法政大学、1993.7、

p.69

52 木元伸祐「樋口一葉作品にみる女性像:妻の歩み」『日本文學誌要』47 巻、法政大学、1993.7、

p.69

やはり家族の中で個としての存在ではなく、関係的な存在、破壊すべからず家 族秩序という共同体意識を重要視している。

美尾物語、お町物語から妻である女が人形扱いされることを拒否して、女も 欲望するという精神と肉体をもつ人間である女として、欲望の充足を求めて模 索する苦悩を描いた。美尾の物質的欲望は、商品化される身体として表現され ている。一方、お町のセクシュアリティの愛欲(エロス)は、姦通的身体、身 体の「癪」として象徴されている。ここから母と娘とともに自分の欲望が身体 を通して表現していることがわかる。しかし、母娘の身体は時代の女性身体の 範疇を越えることができず、女性は如何に反抗しても、社会の中で関係的な存 在、男性に依存する存在、家父長制度に縛られる存在であることは変えられな い。男に支配される体制に反抗意識を持っていても、「一念」という情緒的反 動の言葉を言うしかなかった。一方、無意識的に「家」に依存し、夫からの疎 外や規制される妻としての自我存在を見失うことが恐れ、「家」から帰属感を 求めようとする心持が潜在されている。つまり、『われから』は、女性の反抗 行為としての逸脱する身体表現がモノ化される志向、無意識的な回帰志向によ って回収され、女性の個として自我を確立する限界、および女性の生きた時代 の限界を、構造的に最もよくみせた作品であるといえる。また、一葉文学の表 現に於いては、最後の作品として、前作の『わかれ道』(明 29.1)と『裏紫』

(明 29.2)53に及んだ貞という価値を自ら捨てていこうとする傾向が深化され、

家制度から逸脱する女を描き出し、女性の欲望を幻想領域に囲い込まず、身体 によって表現してきたという方向へ変容していく。家に囲まれ、欲望が抑圧さ れ、幻想に生きる女性は、徐々に家の閉塞感を破る主体的な姿勢をもって、欲 望を幻想領域から越えて、自意識に従うまま行動を出した。いわば、『われか ら』は、一葉が最後に生との闘い(最後まで現実と妥協しない意志、女性の生

53 『わかれ道』(明 29.1)で一葉は、相容れない生き方を選んで生きていくお京と吉三とを描 いた。吉三は、天涯孤独の身で、一寸法師と馬鹿にされながらも、頑固な潔白さと、苦境の中 でも何かしら希望を見出していける明るい逞しさとを持っている。一方、お京は、身を汚し人 の誹りを受けてでも、妾奉公に出ることを決意し、現状から這い上がっていこうとする女であ る。『わかれ道』のお京の生き方は、社会的に堕落(不道徳)ではあっても、罪悪(反道徳)

ではなかった。『裏紫』(明 29.2)で一葉は、世の価値観に於いては絶対の罪悪である姦通妻を 描いた。善良な夫を騙して恋人に会い続けようとするお律は、反道徳行為を犯してでも、心に 正直に生きようとする女として描かれているのである。(河野郁代「樋口一葉論―一葉文学の ゆくえを追って―」香川大学国文研究』巻号 6、1981.9、p.57-58)

の可能性を開こうとする意志)を具象化した作品である。そして、〈妖艶な閨 怨の様を描き出しているあたりや、夜更けて書生部屋を訪れたお町が、燃え立 つ情炎を危うく踏みこらえている姿等、かなり感覚的に描かれている。〉54一 葉は、最後の作品において、女性の性(精神と肉体)を対象化して、女の欲望 や情欲が内面意識の描写に止まらず、女性の身体を通して表現していく感覚的 な官能描写、という新しい分野の描写を開拓した。一葉の後を継ぐかのように 鮮烈に登場した女流文学者与謝野晶子は、歌集『みだれ髪』(明 34)をもって 大胆な姿を現し、官能的に女性の情熱を謳いあげていた。この意味で、一葉文 学にみられる肉感的な表現は、文学史に先駆者として位置を占めることができ たのであるといえる。

54 平山斐子「一葉に於ける晩年の動向」『日本女子大学紀要:文学部』巻号 6、1957.2、p.25