第二章 『軒もる月』における「不貞の女子」の高笑い
2.3 手紙を読む行為で構築されるセクシュアリティの空間性
お袖が結婚してから物語時間の現在までの経過時間は少なくとも三年を経 ていると思われる。22桜町の殿が返信のない「十二通」の手紙を発信し続け、
お袖がそれを読まずに葛籠の底に秘匿し続ける。お袖が結婚後から今日に至る まで殿への思いを抱き続けることは、殿の行動の光景をさまざまに想像する場 面から窺える。
「桜町の殿は最早寝処に入り給ひし頃か、さらずは灯火のもとに書物を や開き給ふ、然らずは机の上に紙を展べて静かに筆をや動かし給ふ、書 かせ給ふは何ならん、何事かの御打合わせを御朋友の許へか、さらずば 御母上に御機嫌うかゞひの御状か、さらずは御胸にうかぶ妄想のすて所、
詩か歌か、さらずば、さらずば、我が方に賜はらんとて甲斐なき御玉章 に勿躰なき筆をや染め給ふ。」(p.478-479)
殿の姿を想像するお袖は、小間使時代に見たことのある光景が思い浮かべ、
「桜町の殿といふ面かげなくば胸の鏡に映るものもあらじ」、「殿だになくは我 が心は静なるべきか」という殿への思いを馳せている。しかし、身分意識と倫 理観に縛られるお袖は、殿との恋情が「はかなし」「はかなき思ひ」「果敢なき 楼閣」と思って、「勿躰なき罪」と見なし、「桜町の名を忘れぬ限り我れは二タ 心の不貞の女子なり」と自戒している。そのため、「幾度幾通の御文を拝見だ にせぬ我れいかばかり憎くしと思しめすらん、拝さば此胸寸断に成りて常の決 心の消えうせん覚束なさ」と語ったように、結婚後から今日まで「常の決心」
を持っているお袖は、殿からの手紙を読まなかった。「常の決心」とは、妻の 倫理を守って良人と忠実な結婚生活を営むことと思われる。23いわば、結婚後 三年間、殿への思いを抱き続けるお袖は、身分意識、倫理観に縛られ殿からの 手紙を読まずに、「常の決心」のもとで生きていこうと努力し続けてきたが、
「桜町の名を忘れぬ」心のなかの葛藤を自覚している。
22 高田知波「『某の上人がためしにも同じく』―『軒もる月』を読む―」『論集樋口一葉Ⅲ』、
おうふう、2002.9、p.147
23 趙恵淑『樋口一葉作品研究』、専修大学出版局、2007.2、p.70
ところが、お袖はなぜこの夜、今まであえて読まなかった殿からの手紙を開 封すると決めたのか。手紙を読むことを決意する動機について、戸松泉氏は、
「自分の心を対象化するところにあった」のであり、「自らの抱え込んだ〈二 タ心〉を止揚しようとする意志からであった」と述べている。24滝藤満義氏も、
「〈二タ心の不貞の女子〉にならないこと、つまり夫を選ぶことで」「自己の決 心を試さなければならない」と指摘した。25また、高田知波氏も、「これは彼 女にとって反倫理的な決断によるものではなく、むしろ自己を倫理的に追い詰 めた結果で」、「倫理が感情を制御し得るかという試練への挑戦として、この行 為が決断されていた」というのである。26水野亜紀子氏も、「結婚生活の継続 を志向する中で抱えた迷いを、誤魔化さずに見る好意である」とほぼ同じ見解 を示した。27それらの見解に対し、弦巻克二氏は、「恋文と直面することによ って、袖は恋情のない結婚制度の機関を超えて、恋そのものの奥を対自的に見 極めて行こうとする」と指摘した。28つまり、先行説によると、手紙を開封す る動機は、〈二タ心〉を止揚して、結婚生活の継続を志向しようとするからで あり、あるいは、殿との恋を見極めようとするからであるというのである。し かし、深く読んでみれば、お袖が果たして手紙を開封するのは、〈二タ心〉を 止揚して、結婚生活を継続するためのであろうか、この点について、まず、手 紙を読む時間が「今宵」という時点の設定に注目して検討してみる。作品の冒 頭に、お袖が夫の帰りを待っている場面は次のように描かれている。
「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ、我が子は早く睡りしに帰 らせ給はゞ興なくや思さん、大路の霜に月氷て踏む足いかに冷たからん、
炬燵の火もいとよし、酒もあたゝめんばかりなるを、時は今何時にか、あ れ、空に聞ゆるは上野の鐘ならん、二ツ三ツ四ツ、八時か、否、九時に成 りけり、さても遅くおはします事かな、いつも九時のかねは膳の上にて聞
24 戸松泉「『軒もる月』の生成―小説家一葉の誕生」『相模女子大学紀要』56 巻、1993.3、p.47
25 滝藤満義「『軒もる月』――――悟道を急ぐ女」『国文学解釈と鑑賞』68 巻 5 号、2003.5、p.100
26 高田知波「『某の上人がためしにも同じく』―『軒もる月』を読む―」『論集樋口一葉Ⅲ』、
おうふう、2002.9、p.152-153
27 水野亜紀子「樋口一葉『軒もる月論』―凝視の先にあるもの―」『阪大近代文学研究』第 7 号、2009.3、p.6
28 弦巻克二「一葉『軒もる月』断想―結婚の機関(からくり)と「悟迷の境」の解脱」『叙説』
26 巻、1998.12、p.9
き給ふを、それよ今宵よりは一時づゝの仕事を延ばして此子が為の収入を 多くせんと仰せられし成りき、火気の満たる室にて頸やいたからん、振あ ぐる鎚に手首や痛からん。
女は破れ窓の障子を開らきて外面を見わたせば、向ひの軒ばに月のぼり て、此処にさし入る影はいと白く、霜や添ひ来し身内もふるへて、寒気は 肌に針さすやうなるを、しばし何事も打わすれたる如く眺め入て、ほと長 くつく息月かげに煙をゑがきぬ。」(p.478)
「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ」と語ったお袖の心の中に、
夫が毎日夜遅くまでうちに帰るので、毎日淋しさに耐えていることがうかがえ る。お袖の淋しさの心象は、「大路の霜に月氷て踏む足いかに冷たからん」と いう屋外の寒さと対応している。「向ひの軒ばに月のぼりて、此処にさし入る 影はいと白く、霜や添ひ来し身内もふるへて、寒気は肌に針さすやうなる」と いう語り手の描写も主人公の内面に抱えている寂しさ、孤独感を、「月」「霜」
「寒気」「長くつく息」といったイメージによって、映し出されている。そう 考えれば、お袖は、内なる寂しさを排除するために、結婚後三年間経ても、「果 敢なき楼閣を空中に描く」、殿への思いを抱き続けるのであると考えられる。
しかし、お袖は、今まで夜遅くまで帰る夫が「今宵よりは一時づゝの仕事を延 ば」すことになり、さらにその淋しさに耐えきれなく、生活の貧しさを一層強 く感じたのであろう。
次に、注目したいのは、お袖の「天女が羽衣を失ひたる心地」という心境で ある。昔、「天上に遊べると同じ」ような上流社会で暮らしたことがあるお袖 は、桜町家の「小間使」といっても、殿の「寵愛」を受け、「天女」になる身 分を夢のように感じたが、今は、職工と結婚した「地上」の「裏屋」に暮らす 職工の妻となったゆえ、身体の拘束力を強く感じさせ、貧しい生活の中で、「地 上」に生きる自分の宿命を見据えていた。「果敢なき楼閣を空中に描く時、う るさしや我が名の呼声、袖、何せよ彼せよの言附に消されて、思ひこゝに絶ゆ れば恨をあたりに寄せもやしたる」とあるように、現実の生活を嫌がって、殿 との関係によって得られる「天上界」の生活に憧れている。そのため、お袖は、
下層社会にいる「工職にて工場がよひする人」と、上流社会にいる殿の地位を
比べれば、「人界」と「天上界」との差と同じように、身分の差を感じながら、
「天女が羽衣を失ひたる心地もしたりき」という喪失感を生じさせている。橋 本のぞみ氏は、人類普遍の「人界の汚濁を厭ふ」テーマを読み取っていること に注目し、一葉において「身」「心」相克のテーマとして継承、異化されてい ることを指摘した。29そうすれば、心の底に天界へ憧憬しているお袖は、自我 意識を抑圧したゆえに、身体の拘束力を強く感じたのであることがわかる。そ して、「今宵」の淋しさに襲われ、その拘束力を一層強く感じたのである。さ らに、お袖の言う「心試し」という言葉に注目したいのである。お袖は、今ま で手紙を開封しなかった理由を、次のように語っている。
「今日まで封じを解かざりしは我れながら心強しと誇りたる浅はかさよ、
胸のなやみに射る矢のおそろしく、思へば卑怯の振舞なりし、身の行ひは 清くもあれ心の腐りのすてがたくば同じ不貞の身なりけるを、卒さらば心 試しに拝し参らせん、殿も我が心を見給へ、我が良人も御覧ぜよ。
神もおはしまさば我が家の軒に止まりて御覧ぜよ、仏もあらば我が此手 元に近よりても御覧ぜよ、我が心は清めるか濁れるか。」(p.481)
お袖の言う「心強し」とは、殿からの手紙を読まなかった「常の決心」を持 っている自律の力であると考えられる。しかし、自分の心が今まで「二タ心」
を持っていて、身体と情念の相克に苛まれ、「濁れる」ことは、すでに分かっ
を持っていて、身体と情念の相克に苛まれ、「濁れる」ことは、すでに分かっ